横須賀を歩く(後)
京急汐入駅改札を出て右方向へと進んでいく。
すると右側はもう海だ。
左側に広がって来るのが公園。
そこのメインがティポディエ邸である。
横須賀製鉄所の副首長ティポディエの官舎で、2003年に解体されるまで本州最古級の西洋館だった。
その小屋組みを移設展示しているのがミュージアム。




ティポディエ邸辺りから横須賀湾を見ると潜水艦だろうか3隻見える(冒頭の写真)。
ここでそもそも横須賀はどのようにして発展してきたのかを見てみよう。
江戸期、半農半漁の寒村だった。 が、横須賀の入り江に横須賀製鉄所が建設され、全国に先駆けて交通、水道、港湾などのインフラが整備されていき、日本の近代化を牽引する町の一つとして発展していった。
海に囲まれた半島で、丘陵が海に迫り、都市化を進めるには難しい地形であった一方、海が深く波が穏やかで天然の良港として使えた。
1903年以降は日本帝国海軍が使用し、第二次世界大戦後は米軍により接収されて、のちに米海軍横須賀基地(横須賀ベース)として今日に至る。

もう少し進むとフランソワ・レオンス・ヴェルニー(1837-1908)の胸像が見える。横須賀ゆかりのフランス人造船技師だ。
海軍増強を目指していた徳川幕府の要請で横須賀鉄工所建設責任者として1865年に来日し、1876年に帰国した。

その右側にあるのが小栗上野介忠順(1827-1818)の胸像。
日本初の遣米使節を務め、外国奉行や勘定奉行など徳川幕府末期の要職を歴任した。フランスの支援のもとで横須賀精錬所を建設。
軍政の改革などに大きく貢献するも、大政奉還後に徹底抗戦を主張したことで役職を解かれ、官軍に斬首された。

ここまではティポディエ公園だったが、どこからかヴェルニー公園になる。今では横須賀といえばアメリカだが、かつてはフランスだったよう。



(終わり)
