見出し画像

#180 化学教師Kによる絶対に忘れないイオンの色の覚え方

 フェヌォーールフォトゥルゥィェェエエエーーーーン!

 高校の化学の先生の口調である。

 恩師というほどではない。だが、印象に残っている。

「桒野!この滴定実験の場合、最も適する試薬は何だ!!」

 フェノールフタレインです。と、優等生の俺は間髪を入れずに答える。

「そう、フェヌォーールフォトゥルゥィェェエエエーーーーンだ!」

 いや、俺は普通にフェノールフタレインって言ったんですよ。俺が滑ったみたいやん。

「逆に、あまり適さない試薬は何だ!」

 メチルオレンジじゃないですかね。と、少しだけ自信なげに俺は答える。

「そう、この場合、メチルオゥルェエエエンジは適さない。なぜだかわかるか、N口!」

「えー、全然わかんない。酸化剤だから?」

 いやいや、そんな高度な内容をN口さんに問うなよ……彼女は窒素の沸点を3000度と答えてすまし顔でいられるような超人だぞ。中和点と変色域の話なんて答えられるわけないやん……

「N口ー……お前は本当に何度説明しても覚えられんやつだな、よいか!もう一度言うぞ!メチルオゥルェエエエンジの変色域は……む?何か発音がおかしいな。英語だからもっと母音の発音は曖昧なはずだな。メチルオゥルァァェエンジは……」

 気にするのはそこじゃないよ、発音というよりアクセントだよ。メチルオゥルェエエエンジじゃなくて、メチルオゥルェエエエンジだろ……

 またの日。

「N口!!クロム酸イオンの色は何色だ!!!」

「えー、なんやったっけ?あ、わかった!ピンク!!」

 だからN口さんに訊くなよ。あんたがあまりにフェヌォーールフォトゥルゥィェェエエエーーーーンて言うからそればっかり印象に残って、この前の定期テストでその色の変化、「無色→赤紫」だけを答えて3点を叩き出した傑物だぞ。二クロム酸イオンならともかく、クロム酸イオンの色なんて答えられるわけが……

「それは過マンガン酸イオンの色だろう!もう!桒野!何色か教えてやれ!!」

 黄色です。

「ん、あー、うん、まあそうだな」

 正しく返答したのに何故か微妙な表情だ。

「ちなみに、二クロム酸イオンは何色だ!」

 赤橙せきとう色です。優等生の俺は教科書通りの色を答える。

「うーむ、正しい。完全に正しいのだが、お前、それをどうやって覚えた?」

 どうって……普通に暗記しましたけど……

「桒野はそれができるからよい!しかし、桒野よ!皆がそうやって色を丸暗記できると思うか?他にもたくさん無機物のイオンの色を覚えなければならないのに、何の手立てもなく、お前のように皆が丸暗記できると思うか?もっとN口でも覚えられるような印象的な覚え方をするべきだと思わんか?」

 知らんがな。なんで俺がN口さんの記憶力にまで配慮しなければならないんだよ……

「よいか!N口!!いや、N口以外もだ!!どうせ桒野以外はS本もH井も覚えていないだろう!!お前らのためにオレが画期的な記憶方法を教えてやる!!刮目してよく耳を傾けろ!!!」

 見るのか聞くのかどっちだよ。

「よいか!!重要なのはクロム酸イオンと二クロム酸イオンの識別だ!!!だからクロム酸イオンの方は何も書いていないが、一クロム酸イオンだと考えるとよいな!一クロムと二クロムだ!!!」

 まあ確かにそれはそうだな。それで、一と二というクロムの数の違いが、どう色の覚え方に関わるんだ?

「よいか、クロム酸イオンは一クロム酸だ!!クロムの数が一!ひとつ!いっこ!!!だから、その色は!!!黄!だ!!黄色?ノンノン、黄!!!だ!!!よいな!!!黄!一文字で黄!!!だ!!!一クロムだから、一文字で黄!!!

 は?なにを言ってんだこのおっさん。

「そして、二クロム酸イオンは、二!!ふたつだ!!!桒野は赤橙とカッコよく言ったが、ようは赤橙とはだいだい色だ!
 わかるな!だい!だい!! 二クロム酸は、二だから、だい!だい!! 
クロム酸は一つだから、!!!
二クロム酸は二つだから、だい!だい!!
わかったか!!!」

「おおおーー」

 いや、N口、おおおーじゃねえだろ、お前はまず窒素の沸点を覚えろ。

「よいな、皆の衆、クロム酸イオンの色はー?」

『黄!!!』

「そして二クロム酸イオンの色はー?」

『だい!だい!!』

「エクスェルェント!!!どうした、桒野、なぜお前だけ声をあげない」

 いや、俺は普通に覚えよっかなって。










 それから二十年が経過した。もう俺は、メチルオレンジの変色域も忘れてしまったし、3000度が何の温度なのかも忘れてしまった(とはいえ窒素の沸点でないことだけは確かだ)。

 それでも、何も調べなくてもこの記事が書けた。調べるまでもないのだ。クロム酸イオンとニクロム酸イオンの色が他の色であるわけがない。あと二十年経っても同じことだろう。

 クロム酸は一つだから、黄。
 ニクロム酸は二つだから、だい、だい。

 こんなことは自明の理なのだ。


 恩師というほどではない。だが、印象に残っている。

 願わくば、俺も誰かにとってのそういう先生であらんことを。

 

いいなと思ったら応援しよう!

kuwanya あなたがブルジョワジーなら、所得再分配にご協力ください。

この記事が参加している募集