人間にしかできないこと
俺たちの理性的な部分を擽って人間らしさを喜ばせるような文章にせよ、俺たちの海綿体組織を弄って人間らしさを奮わせるような画像にせよ、AIが生成したそれに自分の人間らしさが動かされることを俺は今のところ潔しとしないのだけれど、「AIみたい」という形容詞が侮蔑や皮肉の言葉ではなく、手放しの称賛の言葉として機能するようになるのは、そう遠くない未来のことだろうし、英語なら現在進行形で記述してもよいだろう。現代の俺たちが計算の速さや正確さを激賞する意図で、「人間コンピュータ」などと口走ることの自然さを鑑みるに、それは避けられないことに違いないし、また、特段避けるべきことでもない。
問題の作り手に一体どんな意図があってのことかは知らぬが、中高生に書かせる作文・小論文のテーマというのは、往々にして時事的なことがらを扱うものが多い。いきおい子どもたちはAIにはできない人間ならではの仕事・能力などをでっち上げて言葉を書き連ねるという苦行を強いられているのだが、どいつもこいつも雁首を揃えて「人間ならではの対人能力・コミュニケーション能力」といったものを論う。まあそう書くのは致し方ないし、俺が中高生でもそのように書いただろうから、彼らを面罵したり糾弾したりするつもりは寸毫もありはしないのだが、中高生の乏しい人生経験で想起される「コミュニケーション能力」程度のそれなら、とっくに人間よりもAIのほうがよっぽど上手であろうと思う。全面的にこちらの意図を汲んで望ましい返答をする能力にせよ、むしろいい塩梅で手厳しく突っついてくれる能力にせよ、およそ話し手が欲する反応を提供する能力については、もはや人類にかなうところはないのであって、俺たちにしかできないことは、予想外の反応を衒ってみたり、あるいは予想外の反応が現象し得るという場を共同して作り出すことではないか。そんなことを人間という名を冠する生物である俺たちが望んでいるのかはよくわからないし、そうした営みが俺たちの学名が戴く人間らしさの現れといえるかどうか、また、そういうべきかどうかについてはいっそう自信はないのだけれど。
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