好き嫌いパズル
「好き」
なんと素敵な言葉だろうか。
どの文脈で使われてもポジティブなイメージを想起させる。
「嫌い」
聞いただけで少し心が痛む。
自分に言われているわけではないとしても。
「好き」と「嫌い」は感情の原点である。
全ての動物が生まれながらにしてもつ正と負の相対する感情だ。
「好き」の対義語は「無関心」だという人もいるが、1の反対が0だとは思えない。
紙がないのに、表も裏も存在できない。
話が逸れたが、あなたはこの世界に嫌いなものがいくつあるだろうか。
嫌いな人はどうだろう。嫌いなことはどうだろう。
人の幸福度において、好き嫌いは多大なる影響を及ぼす。
想像してみてほしい。
嫌いな人に囲まれ、嫌いなことをさせられて終える一生を。
そんな生活が幸せなわけがない。
幸福とはもちろん正の感情の集合体なわけで、それを分解した一つ一つのピースが「好き」なのだ。
人は人生を「好き」で彩るために努力する。
好きな人と好きな場所で好きなことをして生きることを追い求める。
一方で「嫌い」を避け、近づかないようにする。
ただ、世界は自分を中心に回っていない。
「好き」に到達するために「嫌い」を通過しないといけなかったり、
「好き」の近くに「嫌い」が密接していることだってある。
「嫌い」を完全に回避することは難しい。
これまで好き嫌いをその客体に固定されたものとして話してきた。
既に好き嫌いのラベルが貼られた世界でどのように生きるかを人は考えがちだ。
だが、そのラベルを貼ったのはあなただ。
もし、そのラベルを貼り替えることができたら、まだ見ぬ客体に「好き」のラベルを貼り続けることができたらどうだろう。
「嫌い」の絶対数を減らし、そもそもの環境を「好き」で溢れさせることが幸せへの一番の近道なのではないだろうか。
極論、嫌いなものがない人間が不幸になることはない。
例えば、裕福な家庭に生まれ、質素な暮らしが嫌いな者であれば、
何らかの理由で収入が減った時にすぐさま不幸になってしまう。
質素な暮らしの良さを知っている者は、経済状況に関わらず、幸せに生きることができる。
食べ物に「嫌い」が多い者は、それを食さなければいけない状況に陥れば突如として不幸が訪れる。
その食べ物を好きでいる者にとっては、その時間が幸福に転ずる。
「好き」の母数が増えれば増えるほど、人生の幸福な時間を最大化できるのだ。
ではどのように「好き」を増やすのか。
先ほど「好き」の対義語は「無関心」ではないと述べた。
この「無関心(無知)」こそが「好き」を増やすチャンスだと思っている。
人は客体の存在を認識した時点で、ラベリングを開始する。
ここに一つ目のポイントがある。
初見の客体に正の感情を抱くことができるかどうかだ。
ここで重要なのが、他の記事でも度々その重要性を説いてきた好奇心である。
初めての人やものに触れた時、それまで0だった感情を好奇心が正のベクトルに押し上げる。
それを知りたい、試してみたいと思えることが大切だ。
好奇心が未熟な者は、未知の客体に対して負の感情を抱き、
即座に「嫌い」のラベルを貼る。
(外的な力が加わらない限り)そのままその客体をよく知ることなく、その後も「嫌い」を避けたまま、
数少ない「好き」の分布エリアで一生を終える。
二つ目のポイントは理解だ。
客体への関心を持つことに成功しても、その後に「嫌い」のラベルを貼りつづけていては意味がない。
客体をよく観察し、多角的な視点で理解することで「好き」のラベルを貼る確率が高くなる。
人で例えるなら、一つ目のポイントが話しかけられるかどうか、
二つ目のポイントはその人の好きなところを発見できるかどうか、である。
さらにこの理解は、ラベルを変更する際にも役立つ。
負の感情は正の感情より力が強い。
一度、「嫌い」のラベルを貼られた客体を「好き」に変更するのは容易ではない。
唯一の方法は、「嫌い」を遠ざけずに、理解を試みることだ。
新しい視点から、まだ見ぬ「好き」な部分を発見する他ない。
ここまで自分を主体とした好き嫌いの話をしてきた。
殊、対人関係では、相手からすると自分はラベルを貼られる客体となる。
自分が、好かれるもしくは嫌われることになる。
人に好かれたいと思うのは人間の性だ。
愛着欲求や承認欲求は人間に生来、社会的欲求として備わっている。
これまで論じてきた主体的な好き嫌いのラベリング行動は、
客体としてのラベルの貼られ方にも影響を与える。
好意の返報性という心理学の定説がある。
同じく、敵意の返報性も存在する。
人は、自分がその人に貼ったラベルを貼り返してくるのだ。
もしもあなたが直感を信じて決断するタイプなら気をつけたほうがよい。
直感で「好き」のラベルを貼ることができれば良いが、
よく観察することなく「嫌い」のラベルを貼ってしまうと、あなた自身も「嫌い」のラベルを貼られることになる。
人に好かれている人というのは、人を好きになる人だ。
人を嫌う人は、人に嫌われる。
人を愛し、人に愛される人生が幸せであることは言うまでもない。
そもそも自ら行動を起こさずして、他人の感情を動かすことはできない。
愛されたければ、まず愛せ。
どこがの教典の一説のようだが、これは真理に思える。
この世界は無色のパズルで覆われている。
そのピースに色を塗るのはあなただ。
「好き」で彩るか、「嫌い」で塗りつぶすか。
あなた以外のピースの形は変えられない。
最期の瞬間に完成したパズルがあなたの人生の彩りを表すことだろう。
読者の方々の人生が「好き」で溢れますように。
