水、チーズドリア、そして過渡期
9月14日
長袖か、半袖か、半袖か、いや、七分袖か。まあ、いっか。
なんて迷いは一瞬で忘れて、よく晴れた秋って気持ちいいな、と思う朝。「言葉は、水だよ」と言ってくれた方の顔がふと思い出されて、ひさしぶりに水になってみようと思った。
自由に描くことは、難しいことだと思う。
描こうとすると、自分の内にあること(感情・思考)にひっぱられ、囚われているような気持ちになる。自分の限界にびっくりがっかりする。底のない真っ暗な箱に片足をつっこんで、戸惑って、それでも、えいやっと、進みはじめたら、どんな気持ちになるだろう。どんなわたしに出会えるだろう。
自由に描くことは、信じることだと思う。
美術の時間。何もないまっさらな黒い画用紙に、白いボールペンで魚の骨を描きはじめたのは、それを「いや、死んでない。泳いでるんです」と言ったのは、中学生のわたし。無鉄砲で、はじめの一歩に躊躇がない。
そんな昔の自分がうらやましいと思いつつ、まだ生きている、とも思う。必要なのは、「無」だと決めつけるのではなく「ここにたしかにある」と思い始めること。
自由に描きたい、と思う。
昨日、腹がぱんぱんになるぐらいご飯を食べた。というのも、この頃、何を食べたいのかわからないし、食べたいとも思えない時期が続いていて、お粥ばかり食べていた。頼んだのは、チーズドリア、チーズましまし。腹がぱんぱん。一つまた、乗り越えられたような気持ち。自分の身体をもっとたのしくつかっていきたい。それは、自分を自分で自由に描いていく過程、かな。
前世にご縁があったのか、いろんな場面でシンクロしてしまう友人が「生活が変わる。過渡期だと思う」と書いていた。
わたしも過渡期です、と画面越しに話しかけてみる。
今度会ったらどこから話そう。
