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問いは、答えを生むためのものじゃない

いいチームって、どのようなものなのか?
最近、そんなことを考える時間がありました。

優秀な人材が集まっていること。
正しい判断ができること。
みんなが自発的に動くこと。

でも、ある本を読んで、その見え方が少し変わりました。

もしかしたら、チームを動かしているのは「答え」ではなく、「問い」なのかもしれない、と。

『最強のチームはお題を出し合う』は、遊びの本ではなかった

今回、私が読んだのは『最強のチームはお題を出し合う』という本です。

タイトルだけを見ると、少し軽やかな印象を受けるかもしれません。
「お題」や「大喜利」という言葉から、遊びの本なのかな、と。

でも、この本が扱っているのは、もっと根っこの部分でした。

なぜ人は、思っていることを言えないのか?
なぜ、場にアイデアが出てこないのか?

その背景にあるのが、「正解病」という考え方です。

正しいことを言わなければいけない。
間違えたら評価が下がるかもしれない。

そんな思い込みが、私たちの言葉を飲み込ませてしまう。


正解を求めるほど、言葉は消えていく

会議で「何か意見ありますか?」と聞かれて、
言葉が出てこなくなることがあります。

頭の中には、何かしら浮かんでいるのに、
それが“正しいかどうか”を確かめているうちに、
結局、何も言えなくなる。
私も、よくあります。

これは能力の問題ではなく、場の構造の問題なのだと思います。

正解を求める場では、
人は「より良い答え」ではなく、
「間違えない答え」を探し始める。

そしてその瞬間、思考は少しずつ止まってしまうのです。

正解を求めるほど、言葉は消えていく。
もっと正確に言うと、自分が言葉を消している。


「ボケる」とは、未完成のまま差し出すこと

この本では、「ボケる」という言葉が出てきます。
でも、それは人を笑わせる、ということではありません。

思いついたことや、気づいたことを、そのまま場に出してみること。
つまり、「提案」です。

完成された意見でなくても、いい。
小さくても、曖昧でも、いいのです。

むしろ、その未完成さがあるからこそ、他の人の思考が動き出す。

発言とは、結論ではなく、
「思考の途中を差し出す行為」なのだと思いました。


問いは、答えを生むためのものではない

この本を読んでいて、一番心に残ったのは、この部分でした。

問いは、答えを生むためのものではない。
関係を生むためのもの。

同じ問いに向き合うことで、人は少しずつ思考を開いていく。
言葉を交わし、関係をつくっていく。

正解がないからこそ、
誰かの言葉に耳を傾ける必要が生まれる。

そこではじめて、「一緒に考える」という状態が立ち上がるのだと思います。

チームとは、答えを出す集団ではなく、
問いに一緒に乗る集団なのかもしれません。


いまの自分の場に、どんな空気が流れているだろう

この本を読んで、わたしの中にひとつ問いが残りました。

いま、自分がいる場所には、どんな空気が流れているだろう?

正解を求める空気なのでしょうか。
それとも、問いを楽しめる空気なのでしょうか。

もし前者なら、どれだけ優秀な人が集まっていても、場は少しずつ静かになっていきます。

でも、後者であれば、小さな言葉がきっかけになって、場は動き始める。

チームは、一気に生き物になるのです。

その一言を出せるかどうかは、誰かのせいではない。
空気のせいでもない。

いつも、自分が「飲み込んだかどうか」だけ。

もし、次の会議で一つだけ試すとしたら。
完成した意見じゃなくて、いい。
思いつきのまま、ひとこと出してみる。

そこから、すべてが動き出すのかもしれません。


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