天才になれなかったからこそ、自分になるしかなかった
わたしは『左ききのエレン』が好きです。
大好きです。
でも、この漫画を読むと、少し苦しくなることがあります。
なぜならそこには、「努力すれば誰でも報われる」という優しい嘘が、ほとんど出てこないからです。
圧倒的な才能を持つ人がいる。
努力では届かない差がある。
それでも、人生は続いていく。
だからこの作品は、才能の物語であると同時に、
天才ではなかった人間が、それでも自分として立つための物語なのだと思いっています。
『天才になれなかった全ての人へ』という本
今回読んだのは、『左ききのエレン』の作者かっぴーさんの
『天才になれなかった全ての人へ 自分だけの武器が見つかる才能論』です。
『左ききのエレン』でも描かれてきた「才能とは何か」という問いを、今度はビジネス書の形で真正面から扱った一冊です。
この本で著者は、才能、つまり天才性を
特別な能力として語りません。
天才とは、持っているか持っていないかで決まるものではなく、自分の力を発揮できている「状態」なのだと語ります。
自分を知ること。
自分の持っているカードを把握すること。
自分が力を発揮できる環境を選ぶこと。
この本には、そんなふうに自分を使いこなすための考え方が書かれています。
自分と向き合うための自己啓発書です。
でもわたしは、この本を読みながら、別の問いが浮かびました。
人はなぜ天才に憧れるのだろう
人は本当に、天才になりたいのでしょうか。
足が速い人。
絵が上手い人。
話が面白い人。
仕事ができる人。
そういう人を見ると、羨ましくなることがあります。
でも本当に欲しいのは、その能力そのものなのでしょうか。
これまでわたしが嫉妬してきたのは、圧倒的な才能そのものではなかったのかもしれません。
迷いなく自分の場所に立っているように見える人。
「これが私です」と差し出せるものを持っている人。
そういう人を見るたびに、羨ましいと思ってきました。
それは能力への嫉妬というより、自分の人生を自分のものとして生きているように見えることへの嫉妬だったのだと思います。
才能とは、自分の生を引き受けることかもしれない
哲学とは、他人より優れる方法ではなく、自分の生をどう引き受けるかを問う営みなのだと思います。
そう考えると、
才能とは能力の大きさではなく、
自分が自分として生きているときに現れる力なのかもしれません。
本書で語られる「自分のカード」という考え方も、わたしにはそう見えました。
カードとは、資格や技術だけではありません。
人の話を聞けること。
違和感に気づけること。
問いを持てること。
誰かと誰かをつなげること。
そういうものも、
その人が世界と関わるための大切なカードです。
ただ、カードは持っているだけでは意味がありません。
使ってはじめて、自分の力になる。
そして誰かの役に立ったとき、才能はただの能力ではなく、「状態」になるのだと思います。
比較をやめた先にあるもの
人はつい比較します。
あの人のほうがすごい。
あの人のほうが評価されている。
あの人のほうが才能がある。
でも比較には終わりがありません。
上を見れば、もっとすごい人がいるからです。
だから本当に大切なのは、
自分は天才かどうかではなく、
自分の持っているカードをどう使うか、なのだと思います。
比較から降りるだけでは、
自分の人生は始まらない。
自分のカードを知り、それを誰かのために使ったとき、はじめて才能は「状態」になる。
この本は、そんな方向へ視線を向けてくれる一冊でした。
天才ではない場所から、人生は始まる
読み終わったあと、わたしはタイトルの見え方が変わりました。
「天才になれなかった全ての人へ」
それは敗北の言葉ではありませんでした。
誰かになることを諦める言葉でもありませんでした。
むしろ、他人の人生を降りて、自分の人生を始めるための言葉のように感じたのです。
もし比較する相手が世界中に一人もいなかったら、わたしは自分の何を才能と呼ぶだろう。
そして、その才能を誰のために使いたいだろう。
天才になれなかったからこそ、
自分になるしかなかった。
この本は、そんな問いを残してくれる一冊でした。
