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世界が面白く見える人は、なぜ「分かりきらない」ことを選ぶのか? ー『世界のほうがおもしろすぎた』を読む

ちゃんと理解しようとすると、
なぜか世界がつまらなく感じることがあります。

純粋に「魔法かもしれない」と思って見ていたマジックも、
その種を知ってしまった途端、
あの驚きは少し薄れてしまいます。

仕組みが分かった瞬間、
「すごい」は「なるほど」に変わり、
目の前で起きていることは、
もう不思議ではなくなってしまう。

そんな感覚に、どこか心当たりはないでしょうか。

ちゃんと理解できたはずなのに、なぜか気持ちは動かない。
分かったはずなのに、世界が少しだけ平坦になる。

もしかすると、
世界は「分かりすぎる」と、
面白くなくなってしまうのかもしれません。


世界は「理解するもの」ではなく、「編集され続けるもの」

そんなことを考えさせられたのが、
世界のほうがおもしろすぎた』
という一冊です。

著者の松岡正剛氏は、
「編集工学」という独自の方法論を提唱しています。

「編集工学」とは、その編集の仕組みを明らかにし、社会に適用できる技術として構造化したもの。

松岡正剛氏は、
世界を「正しく理解する対象」としてではなく、
編集し続ける対象として捉えています。

編集とは、きれいに整えることではありません。
むしろ、
ずれ・遅れ・矛盾・チグハグを含んだまま、
関係を結び直していく行為です。


ゴッホの絵は「地」と「図」が分かれない

この考え方は、
ゴッホの絵を思い浮かべると、とても分かりやすくなります。

ゴッホの絵では、
空や麦畑といった「地(背景)」と、
糸杉やカラスといった「図(目立つもの)」が、
きれいに分かれていません。

鑑賞者は、
「これは背景」「これは主役」と
一度で決めることができず、
全体を見たり、細部に目を向けたりしながら、
「地」と「図」を行ったり来たりすることになります。

その行き来そのものが、
ゴッホの絵を見ている時間であり、
理解している状態なのだと思います。


編集とは、意味を決めきらずに行き来し続けること

松岡正剛の言う「編集」とは、
まさにこの状態を指しているのだと思います。

一つの説明に回収せず、
違和感やズレを抱えたまま、
別の絵や、別の体験と並べてみる。

時間を置いて、
もう一度見直してみる。

そうして、
解釈が行き来し続ける余地を残す。

それは、
意味を決めきらないことではなく、
意味が生まれ続ける状態を保つことなのだと思います。

分からない状態は、未完成ではなく可能性

世界は、
完全に理解されるためにあるのではなく、
何度も編集されるためにある。

そう考えると、
「分からない」という状態も、
未完成ではなく、
可能性なのだと思えてきます。

これはそういうものなんだ・・・と
思考を止めてしまうのではなく、
新しい世界とつながる喜びを
味わい続ける。

この喜びを誰に伝えよう。

本書からは、そんな松岡氏のメッセージが聞こえてきます。


分かることは、安心をくれます。
でも、分かりきらないまま考え続けることは、
世界とつながり続ける力をくれるのだと思います。

正解に回収しない。
違和感を抱えたまま、行き来をやめない。

そんな態度が、
世界をもう一度、面白くしてくれるのかもしれません。

あなたには、
すぐに答えを出さずに、置いておきたい違和感はありますか?


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