もし、あの時あの人に会っていなかったら
「もし、あの時あの人に会ってなかったら?」
そんなふうに、考えること、ありませんか?
まだ携帯がないころ。
わたしは、大学受験のために、上京した会場で
以前のクラスメイトに偶然、再会しました。
彼とは、仲が良かったわけでは、ありませんでした。
「友だち」というほどでもなかった関係。
でも、向こうがわたしを見つけて、話しかけてくれました。
田舎者の挙動不審者がいるな、と思っていたら、それがまさかの知った顔だったから。笑
そのときは、相手が他にどこを受験するかも知らず
「お互い、希望校に受かるといいね」で、さよならしたのですが、
今度は、関西の大学で再会しました。
これは、学生時代のわたしと、夫との「出会い直し」の話です。
人生を振り返ると、
こういう瞬間があります。
「あの偶然がなかったら、今のわたしは、まったく別の人生を生きていたのではないか」
そう感じる瞬間、です。
でも最近、ある本を読んで、
その「偶然」の見え方が、少し変わりました。
『「偶然」はどのようにあなたをつくるのか』は、「運」の本ではなかった
今回読んだのは、
『「偶然」はどのようにあなたをつくるのか』です。
タイトルだけ見ると、
「運を味方につける方法」のようにも見えます。
でも実際は、もっと深い。
この本が本当に扱っているのは、
「偶然」そのものではありません。
私たちに問いかけるのは、
「自分とは何か?」という、普遍的な問い。
人はふつう、「私はこういう人間だ」と思って生きています。
でも、この本はそこへ刃を入れてくるのです。
本当にそうなのか?
「もし、あの日あの人に会っていなかったら?」
「もし、病気になっていなかったら?」
「もし、あの失敗がなかったら?」
つまり、「自分」という存在は、
自分の意志だけでできているわけではない。
無数の偶然。
無数の出会い。
無数の環境。
それらの「編み込み」として、
今のわたしたちは存在しているのだと、
この本は語りかけてくるのです。
人生は「直線」ではなく、「生態系」だった
この本では、カオス理論や複雑系、進化生物学など、さまざまな視点から、世界の成り立ちが語られます。
たとえば、原爆投下の標的が京都から外れた背景。
そこには、ある人物の京都旅行の記憶があった、というもの。
ある男性が海で溺れかけたとき、
偶然流れてきたサッカーボールによって助かった。
しかもそのボールは、
数日前に、
子どもが海へ蹴り込んでしまったものだった。
そんな話が、次々と出てきます。
読んでいると、少し怖くなるのです。
人生って、こんなにも偶然に左右されているのか、と。
でも同時に、少しだけ救われる感覚もあったのです。
私たちはつい、
人生を「自己責任」で説明しすぎます。
うまくいったのも自分。
失敗したのも自分。
もちろん、自分の選択は大事なことです。
でも実際には、出会った人や生まれた環境。
タイミングや時代、偶然読んだ本。
そういうものも、わたしたちを大きく形作っている、のではないでしょうか?
だとしたら、人生は一本の線で進むものではない。
無数の影響が絡み合う「生態系」のようなものなのかもしれません。
「我思う、ゆえに我あり」ではなく
西洋哲学では長く、「主体」が中心に置かれてきました。
デカルトの有名な言葉に、
「我思う、ゆえに我あり」があります。
考える主体として、人間を捉える考え方、です。
でも、
この本の世界観は、むしろ逆に近い。
「関係する。ゆえに、我あり。」
そんな感覚なのです。
これは、仏教の「縁起」にも似てる感じもあります。
すべては単独で存在しない。
人もまた、関係性の中で、変化し続けている。
わたしの価値観も、恐れも、好き嫌いも。
「自分で選んだ」と思っていたものの多くが、環境との相互作用の中で、形づくられてきたのかもしれない。
そう思うと、「自分らしさ」という言葉の輪郭まで、少し変わって見えてくるのです。
それでも、人は意味をつくろうとする
ここで、多くの人は不安になるのではないでしょうか?
「じゃあ、自由意志なんてないのか?」と。
でも、この本のおもしろさは、そこではありません。
むしろ逆なのです。
完全にはコントロールできない世界だからこそ、
人間は「意味」をつくろうとする。
偶然があるから、出会いが奇跡になる。
失敗が、あとから人生の転機になる。
そして、
人は、出来事そのものではなく、
「出来事への解釈」によって、形成されていく。
同じ偶然でも、
ある人は「最悪だった」と言い、
ある人は「人生が変わった」と言う。
つまり、
偶然は素材であり、
意味を与えるのは人間なのです。
だからこの本は、
科学書の顔をしながら、
実は人生論なのだと思います。
「ここまで運ばれてきた」という感覚
人は、「自分で決めた人生」を誇りたがります。
もちろん、それも大切なことです。
でも、
本当に成熟すると、
少し違う感覚が生まれるのかもしれません。
「ここまで運ばれてきた」という感覚です。
そこには、
諦めではなく、感謝があります。
あのとき、偶然再会しなかったら。
あのとき、違う電車に乗っていたら。
あのとき、別の本を読んでいたら。
今のわたしは、たぶん存在していない、と。
そう考えると、
人生は、自分ひとりで作るものではなく、
偶然や出会いと協力しながら、
少しずつ編まれていくものなのかもしれません。
未来は案外、大きな決断ではなく、
ふとした再会や、
偶然開いたページから、
動き始めるのかもしれません。
