理解する前から、大切にしている本がある
もしかすると、
本には2種類あるのかもしれません。
読んだ瞬間に人生を変える本と、
人生を通して、じわじわ効いてくる本。
ダニエル・カーネマンの『ファスト&スロー』は、わたしにとって、間違いなく後者でした。
この本を買ったのは、発売されてすぐの頃です。
読書好きの友人に勧められて、すぐに手に取りました。
けれど、そこから10年。
わたしは、この本を読みませんでした。
表紙を見て、目次を見て、本棚へ戻す。
そんな積読のままの10年。
それでも、なぜか捨てられなかった。
2回の引っ越しを経ても、この本だけは、ずっと手元に残り続けました。
そして不思議なことに、
10年経って読み終えたあと、
わたしはこの本を、何度も人にプレゼントするようになりました。
これまで出会った本の中でも、たぶんダントツに多い。
なぜ、わたしはこの本を配り続けていたのだろう。
最近になって、ようやく分かった気がします。
この本は、「知識を得る本」ではなかった。
“人生の見え方”そのものを、変えてしまう本だったのだ。と。
『ファスト&スロー』は、「認知バイアスの本」ではなかった
この本では、人間の意思決定のクセや、認知バイアスについて、大量の実験とともに語られます。
有名なのが、「フォード株を買うべきか?」という問いです。
でも人は、気づくと、「わたしはフォード車が好きか?」という、もっと簡単な問いに置き換えてしまう。
しかも、本人はその置き換えに、ほとんど気づいていない。
この本では、そうした“思考の近道”が、次々と暴かれていきます。
でも、わたしが本当に衝撃を受けたのは、そこではありませんでした。
むしろ怖かったのは、
「人は、思っているほど“自分で考えていない”」ということです。
人は、「考える前」に反応している
本書では、人間の思考を、二つのシステムで説明します。
システム1:速い思考 直感、感情、反射、習慣
システム2:遅い思考 熟考、論理、自己制御
私たちは普段、
「自分は理性的に判断している」
と思っています。
でも実際には、かなり多くの判断が、システム1によって、自動的に行われている。
空気。疲労。先入観。期待。印象。
そういったものが、“考える前”に、すでに意思決定へ入り込んでいるのです。
しかも人間は、あとから、ちゃんと理由を作れてしまう。
つまり私たちは、
「考えたから選んだ」のではなく、
「先に反応し、あとから“考えたことにしている”」場合がある。
この感覚は、少し怖い。
でも同時に、わたしには、どこか救いにも見えました。
「意志が弱い自分」を責めなくてよい
この本を読んでいて、少し安心した瞬間がありました。
それは、人間の弱さが、単なる努力不足として描かれていなかったからです。
人は、
近道を探す。
わかった気になる。
都合よく物語を作る。
つまり、人間は、そんなに合理的にはできていない。
でも、だからこそ、
希望が必要になる。
仲間が必要になる。
物語が必要になる。
そこから、文化も、宗教も、芸術も、マーケティングも、生まれてきたのかもしれません。
この本は、
「人間のこういうところがダメだ」という話ではなく、
“人間とは、そもそも何なのか”を見つめ直す本だったのです。
SNSは、「速い思考」を加速させる
この本を読んでいて、
何度もSNSのことを考えました。
最近、タイムラインを眺めていると、「ちゃんと考えた」つもりになることがあります。
でも実際には、
「この人が好きか嫌いか」
「この空気に乗れるか」
「なんとなく気持ちいいか」
そんな反応だけで、判断している瞬間が、かなり多い気がするのです。
本当は、「この意見は妥当か?」を考えるべきなのに。
でも、人間の脳は、速く、簡単に、疲れずに判断したがる。
だから、刺激の強い言葉ほど広がる。
断定的な意見ほど、気持ちよく感じる。
そして、“わかった気”になる。
でも読書は、そこから一度離れる行為なのかもしれません。
時間をかけて読む。
立ち止まる。
すぐに結論を出さない。
読書とは、遅い思考を起動する行為でもあるのです。
理解する前から、大切にしているものがある
いま振り返ると、10年間、
この本を手放せなかったこと自体が、少し象徴的に思えます。
なぜかわからない。
でも、捨てられなかった。
その感覚は、もしかすると、
理屈より先に、何かを察知していたのかもしれません。
この本のテーマそのものが、
「人は、自分が理解していると思っているほど、自分を理解していない」という話だったからです。
つまり、
わたしは読む前から、もうこの本の核心に触れていたのかもしれません。
理屈ではない。
でも、ずっと残り続けた。
そして、
人生のある地点に来たとき、
ようやくこの本が、
“知識”ではなく、“鏡”として立ち上がった。
そして今、ようやく思うのです。
人は、「理解したから大切にする」のではなく、
理解する前から、
もう大切にしているものがあるのかもしれない。
