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「便利なのに疲れる」のは、なぜなんだろう

最近、店に入った直後に、
QRコードで注文する居酒屋が増えた気がします。

テーブルに置かれた小さなQR看板を、それぞれがスマホで読み込む。

そして、
みんなが自分のスマホを見ながら、
注文を決めていく。

便利だと思います。

店員さんを呼ばなくていいし、
注文ミスも減る。

でも、わたしは、あの光景に、
少しだけ寂しさを感じることがあるのです。

「これ食べたいね」
「どれにする?」

メニューを真ん中に置いて、
「それ絶対うまいやつじゃん」と笑って、つい頼みすぎる。

あの小さな時間そのものが、
食事だった気もするのです。

スマホ注文が悪いわけじゃない。

でも、
“効率化”の中で、
わたしたちは何を手放しているのだろう。

そんなことを考えたとき、
『機械ぎらい 機械音痴のテクノロジー史』という本が、
強く刺さりました。

『機械ぎらい』は、「機械」の本ではなかった

今回読んだのは、速水健朗さんの
『機械ぎらい 機械音痴のテクノロジー史』です。

タイトルだけ見ると、
「機械が苦手な人」のための本に見えます。

でも実際には、
もっと深いテーマを扱っていました。

それは、
「人間の尊厳は、どこにあるのか」
という問いです。

本書では、
セルフレジやタッチパネル、
QRコード注文、
予約システムなど、
現代人が日常で感じている
“なんとなく使いづらい”違和感が扱われています。

そして著者は、
その原因を、
「機械音痴だから」
という個人の能力の問題ではなく、

“人間が機械に合わせる社会”
になってしまったことに見出していくのです。

本来、
機械は人間に合わせて設計されるものだった。

でも今は、
人間側が、
機械に適応することを求められている。

この視点は、かなり衝撃的でした。


近代化は、「人間らしさ」を削る歴史でもあった

この本がおもしろかったのは、
単なる現代テクノロジー批判で終わらないところです。

蒸気機関や工業化の歴史まで遡りながら、

「機械を嫌った人たちは、何を守ろうとしていたのか」

を見つめていく。

機械化によって、社会は便利になりました。

大量生産ができるようになり、
移動は速くなり、
生活は効率化されていった。

でもその一方で、
失われたものもある。

職人の誇り。
身体感覚。
共同体。
祈り。
遠回りする時間。
“手でつくる意味”。

つまり近代化とは、
「便利さ」と引き換えに、
“人間らしさ”を差し出していくプロセスでもあったのです。

だから本書に出てくる
「機械嫌い」の人たちは、
単なる時代遅れではありません。

むしろ彼らは、
「人間を、部品にするな」
と訴えていた人たちだったのではないか?

人間は、「役に立たないもの」を必要としている

読んでいて、
特に強く残った問いがあります。

それは、
「人間は、なぜ“役に立たないもの”を必要とするのか?」

効率だけを考えるなら、
不要なものはたくさんあります。

雑談。
手書き。
音楽。
儀式。
沈黙。
寄り道。
職人技。

でも、
わたしたちは、
それらを完全には捨てきれない。

なぜなら、
それらは“非効率”なのに、
人間を回復させるからです。

便利さは、人間を幸福にする。

でも、“便利すぎる社会”は、
人間から体温を奪うことがあるのです。


最近、
AIを使えば、文章も要約も、
かなり速く作れるようになりました。

でも、
だからといって、
人間が「考えること」をやめたいわけではない。

むしろ、
効率化が進むほど、
「自分の言葉で考えたい」
という欲求が強くなることもある。

ここに、人間のおもしろさがある気がします。

AI時代に、わたしたちは何を残したいのか

この本を読みながら、
私は何度も、
今のAI時代のことを考えていました。

昔は、
「機械が仕事を奪う」
と言われていた。

今は、
「AIが創造性を奪う」
と言われています。

でも、
本当に問われているのは、
「人間にしかできないことは何か」
ではないのかもしれません。

それよりも、
「人間は、何を“人間として残したい”のか」

のほうが、
大きな問いなのではないでしょうか?

速さ。
効率。
最適化。

それらは確かに便利です。

でも人間は、
速さだけでは生きられない。

だから歴史は何度も、
「機械化」→「人間回帰」
を繰り返してきたのだと思います。

「どれにする?」の中に、人間らしさは残っている

今日もたぶん、
わたしたちはAIを使うし、
QRコードで注文する。

便利さは、もう止まらない。

だから、
機械を否定したいわけではありません。

むしろ、わたしは、
技術によって救われていることも、
たくさんあります。

でも同時に、思うのです。

せめて誰かと食事をするときくらい、
同じメニューを一緒に眺めたい。

「どれにする?」

その一言の中に、
人間らしさは、まだ残っている気がするのです。

たぶん人間は、
便利になるほど、

「意味」
「感情」
「体温」

を求める生き物なのだと思います。

だからこの本は、
単なる「機械」の歴史ではありません。

AI時代に、
“わたしたちは、何を人間として残したいのか?”

を考えるための、未来の哲学書でした。


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