組織の中で自由になる人は、「上司」をどう見ているのか
「上司とうまくやる人」が、わたしは昔から少し苦手でした。
空気を読んで、
タイミングを合わせて、
機嫌を見ながら話を進める。
どこか「処世術」のように見えてしまっていたのです。
でも、社会人として働く中で、
わたしは何度も、ある光景を見てきました。
課長が室長に話を通すために、
わざわざ出勤時間を合わせて
朝イチで相談していること。
室長が、部長のタバコのタイミングを見計らい、喫煙ルームで雑談のように話を進めていること。
その場では、
「最近どう?」
みたいな軽い会話なのに、
実際には、大事な調整が行われている。
当時は、
「上司に気を遣って大変だな」
くらいに思っていました。
でも、今ふりかえると、
彼らは「媚びていた」わけではなかった。
むしろ──
組織という構造を理解したうえで、
「現実を動かすための対話」をしていたのだと思います。
「上司との関係」を扱いながら、本当に問うていること
今回読んだのは、
『ボスマネジメント 「成果を出している人」が上司と話していること』という本です。
タイトルだけ見ると、
「上司攻略法」のように見えるかもしれません。
でも、この本は、
単なるコミュニケーション本ではありませんでした。
著者が本当に書いているのは、
「組織の中で、どう自分の人生を引き受けるか」
という、とても本質的な話なのです。
本の中では、
「キャリア自律」
という言葉が何度も出てきます。
会社任せでもなく、
運任せでもなく、
「自分で選ぶ」という感覚を
取り戻すこと。
そのために必要なのが、
「上司との対話」なのだと、この本は語っているのです。
私たちは、いつから「上司」に人生を預けたのだろう
この本を読んでいて、
少し怖くなった部分があります。
それは、
「上司に振り回されている」
と思っているときほど、
実は、
自分の価値基準を他人に預けてしまっているのかもしれない、
ということ。
評価されたい。
嫌われたくない。
波風を立てたくない。
だから、本音を飲み込んでしまう。
すると、少しずつ、
「自分は本当は何をしたかったのか」
が分からなくなってしまう。
本の中には、
「言わずに察してほしい」という感情が出てきます。
これ、とても日本的な感覚だな、と思いました。
でも同時に、
この「察してほしい」という気持ちは、
自分の人生のハンドルを、他人に渡してしまう感覚、でもあるのではないでしょうか?
成果を出す人は、「上司」を別のものとして見ている
この本で面白かったのは、
成果を出している人たちが、
上司を「敵」や「評価者」として見ていなかったことです。
むしろ、
「現実を動かすための環境」
として扱っている、ということ。
ここが、わたしにはとても印象的でした。
多くの人は、上司を感情で見ています。
怖い。
面倒。
理不尽。
気分屋。
でも、成果を出す人は、少し違う。
「この人は、何を不安に感じているのだろう?」
「何を守ろうとしているのだろう?」
「どういう言葉なら、未来をイメージできるのだろう?」
そうやって、「構造」で人を見ている。
だから彼らは、単に話がうまいわけではないのです。
相手が見ている世界を理解したうえで
「安心して未来を選べる言葉」を渡しているのです。
「伝える」とは、現実を共同編集すること
この本には、
会話術や報告のコツもたくさん出てきます。
でも、読んでいるうちに、
それらが単なるテクニックには見えなくなってきました。
なぜなら、
人を動かすというのは、
「正しいことを言う」ことではなく、
「相手が見ている現実を書き換えること」だから。
これは、
上司との対話だけの話ではありません。
読書会でも、
noteでも、
コーチングでも、同じこと。
人は、「正解」で変わるわけではない。
「世界の見え方」が変わったとき、初めて動き出す。
だからというわけではないのですが、
わたしは、ずっと、こんなふうに思っています。
読むという行為は、
知識を増やすことではなく、
「現実の解像度を変えること」
なのではないか、と。
上司との対話は、「未来」との対話なのかもしれない
この本を読み終えて、
最後に残ったのは、
「上司論」ではありませんでした。
むしろ、
上司との関係に悩んでいたつもりで
本当は、
「自分で決めること」から
少し逃げていたのかもしれない。
という感覚でした。
上司が怖かったわけじゃない。
評価が怖かったわけでもない。
本当は──
「自分で決めること」が怖かったのかもしれない。
自分で選ぶということは、
誰かのせいにできなくなるということです。
だから、
自由には責任がついてくる。
でも逆に言えば、
自分で選び始めた瞬間、
人は少しずつ、
「誰かに決められる働き方」から
抜け出していくのかもしれません。
上司との対話とは、
相手を変える技術ではなく、
自分の未来を、
自分の言葉で引き受ける行為なのだと思います。
