数学は「役に立つ」から生まれたわけじゃない
数学は、役に立つから生まれた。
ずっとそう思っていました。
でも──どうやら、逆らしい。
人はまず、
「役に立たないこと」に夢中になっていた。
この本を読んで、そう知ることができました。
数学は文明の中で、かたちを変えてきた
今回紹介するのは、加藤文元さんの『数学の世界史』。
この本は、数学を
公式や定理の集まりではなく、
文明の歴史として描いた一冊です。
古代バビロニア、エジプト、インド、ギリシャ——
それぞれの地域で異なる数学が生まれ、やがて交わり、変化しながら、今の形になっていく。
つまり数学は、最初から「ひとつ」ではなかったのです。
ここで、違和感が生まれました。
もし数学ですら、
時代や場所によって形を変えてきたのだとしたら——
いま私たちが「正しい」と信じているものも、
ただ“この時代のかたち”にすぎないのかもしれない。
そうだとすると、私たちが「当たり前」だと思っているものは、本当に当たり前なのでしょうか?
古代人は、「役に立たないこと」に夢中だった
特に印象に残ったのが、
古代バビロニアの数学の話です。
三平方の定理。
直角三角形の辺の関係を表す、
あの公式です。
a² + b² = c²
その関係を満たす数の組——
(3,4,5)や(5,12,13)といった「ピタゴラスの三つ組」が、
粘土板にびっしりと記録されていました。
しかし、これらの計算は、
いったい何の役に立つのでしょうか。
生活に必要なわけでもない。
効率を上げるものでもない。
それでも古代の人たちは、
膨大な時間をかけて、数を計算し続けていたのです。
では、なぜ、そんなことをしていたのでしょう?
人は「役に立つから」知るのではなく、
知ってしまったあとで、
「役に立つことにされた」だけ
なのではないでしょうか。
つまり、私たちは
この順番をどこかで取り違えてしまったのかもしれない。
粘土板に刻まれていたのは「計算」ではなかった
さらに、この話には続きがあります。
古代バビロニアには、
ひとつの奇妙な粘土板が残されています。
『プリンプトン322』。
紀元前1800年頃に作られたとされる、手のひらサイズの小さな粘土板です。
そこには楔形文字で、びっしりと数字が刻まれている。
ただの数字の羅列──そう見えてしまいます。
でもこれを解読すると、
そこに並んでいるのはすべて、
三平方の定理を満たす数の組だったのです。
たとえば、
12709² + 13500² = 18541²
のような、巨大なピタゴラスの三つ組。
しかも、それがひとつではなく、
いくつも、いくつも並んでいる。
計算機を持つ私たちでも、
こんな三つ組を見つけるのは、ほとんど不可能です。
いったい、どうやって見つけたのか。
その精度と規則性は、偶然では説明できません。
明らかに、意図して作られています。
この粘土板は、
人類史上最初の「三角表」だったのではないか。
そんな説もあります。
もしそうだとすると、
一見すると「役に立ちそうな道具」に見えてきます。
でも、ここで引っかかるのです。
本当に、それだけだったのでしょうか。
扱いやすい世界を、自分たちで作っていた
古代バビロニアの人たちは、
60進数という独特の数の体系を使っていました。
割り算でも、無限に続くような数は避け、
“きれいに割り切れる数”だけを扱う。
つまり彼らは、
扱いやすい世界を、自分たちで作っていた。
これは単なる計算の工夫ではありません。
どんな数を扱うか。
どんな答えを良しとするか。
その選択そのものに、
彼らの世界の見方が現れているのです。
数の奥に見えるのは、その文明の「クセ」
粘土板に刻まれているのは、ただの数ではありません。
「何を面白いと思ったか」という、
「その文明のクセ」ではないでしょうか。
どんな問いに惹かれたのか。
どこまで確かめようとしたのか。
何に時間を使ったのか。
数学を見ているはずなのに、
そこには、その時代を生きた人間の姿がそのまま現れている。
そう思うと、
数の並び方ひとつにも、違う景色が見えてくる気がするのです。
「役に立つか」でしか見なくなった、私たちへ
一方で、現代の私たちはどうでしょうか。
この勉強は役に立つか。
この本は仕事に使えるか。
この時間に意味はあるか。
気づけば、すべてを「価値」で測っています。
でも、数学が生まれた場所には、そんな基準はなかったのかもしれません。
ただ、『気になってしまう』という衝動があっただけ、ではないでしょうか。
もしかすると──
私たちが『無駄』と切り捨てたものの中にしか、まだ誰も見ていない世界は存在しないのかもしれない。
あるいは、それを『無駄』と呼んでしまった瞬間に、その世界から目を逸らしてしまっているのかもしれない。
そんなことを考えさせられた一冊でした。
