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書ける人は、世界の見え方が違う

書ける人は、何を見ているのだろう?

そんな問いから、私はこの本を開きました。

人は、見えているものを書いている。
ずっとそう思っていたのです。

でも、『書ける人になる』を読んで、その考えが少し変わりました。
書ける人は、見えている世界が違うのかもしれない、と。

文章が上手いから書けるわけでも、
特別な経験をしているから書けるわけでもない。

同じ景色を見ても、心が動く場所が少し違う。
その違いが、「書ける人」をつくっているのかもしれません。

『書ける人になる』は、文章術の本では終わらない

わたしは中野巧さんの本が大好物です。

文章を書くための技術だけではなく、「言葉との向き合い方」を教えてくれるからです。

もちろん本書にも、すぐに実践できる50のコツが詰まっていました。
「どう見るか」や「偏愛を語る」、「問いを書く」といった大切なヒントたち。

でも、読み終えたあとに残ったのは、テクニックではありませんでした。

中野さんは、「書き方」の前に、私たちの「見方」を変えてくれる。
だから、「もっと世界を面白く見られる人になりたい」と思うのです。

偏愛とは、その人だけが持つ世界の座標なのだと思う

本書の中で、一番好きだった言葉があります。

「客観的に書く」のではなく、「偏愛を語る」。

この「偏愛」という言葉が、とても好きです。

偏愛とは、好き嫌いのことではありません。

同じ景色でも、同じ本でも、同じ出来事でも、
「そこが気になるの?」と言われる場所に、自然と心が動いてしまうこと。

その人だけが持っている、世界の見え方です。

だから偏愛とは、自分がどんな世界を見ているのかを教えてくれるものなのだと思います。

書くことで、まだ知らなかった自分に出会う

私は、書くことはアウトプットだと思っていました。

でも、本当は逆なのかもしれません。

書いているうちに、言葉になっていなかった自分が姿を現してくる。
「ああ、私はこんなことを考えていたんだ」と驚くこともあります。笑

文章は、考えを残すものではなく、考えを見つけるもの。
そう思えたとき、書くことが少し好きになれました。

書くことは、世界をもう一度見ること

この本を読んで、「書く」という行為の見え方も変わりました。

書くことは、特別な出来事を探すことではありません。
日常をもう一度見つめ、
「どうしてここで心が動いたんだろう」と立ち止まって問い直すこと。

だから書ける人は、世界を何度でも見直せる人なのです。

大切なのは、目の前にある日常を、自分はどう見ているのか。
その見え方を、自分の言葉で残していくこと。

中野さんの本を読むたびに、
「もっと世界をよく見てみよう」と思います。

見え方が変われば、書く言葉もきっと変わっていく。
今回もまた、世界の見え方を一つ増やしてもらいました。


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