「自分の言葉」は人間関係の中で生まれるのか―教師との心理的な距離と「話してみよう」という気持ち
出典:① Zajonc, R. B. (1968). Attitudinal effects of mere exposure. Journal of Personality and Social Psychology, 9(2, Pt. 2), 1–27.
出典② Hu, L., & Wang, Y. (2023). The predicting role of EFL teachers’ immediacy behaviors in students’ willingness to communicate and academic engagement. BMC Psychology, 11, 318
英語を「自分の言葉」として使うためには、何が必要なのだろう。
語彙を知っていること。文法を理解していること。発音できること。もちろん、どれも大切である。
しかし、それだけで人は「話してみよう」と思うのだろうか。
ザイアンスの法則から考えてみる
人間関係について、「ザイアンスの法則(単純接触効果)」という考え方がある。人は、ある対象に繰り返し接することで、その対象への親近感や好意が高まることがあるというものである。
この考え方をそのまま英語授業に当てはめることはできない。しかし、「人はどのような相手に対して、自分から話してみようと思うのだろう」と考えると、英語教育とも無関係ではないように思える。
最近、教師と学習者との人間関係について考えている中で、Hu & Wang (2023) の研究が目に留まった。
教師との「心理的な近さ」
Hu & Wang (2023) が取り上げているのは、EFL教師の immediacy behaviors である。
immediacyとは、教師と学習者との心理的・対人的な距離を縮めるようなコミュニケーション行動を指す。言語的なものだけでなく、アイコンタクトや身振り、声の使い方など、非言語的な行動も含まれる。
この研究では、中国の大学で英語を学ぶ学生を対象に、教師のimmediacy behaviorsと、学習者の Willingness to Communicate(WTC:英語でコミュニケーションしようとする意欲)、そして学習へのengagementとの関係を調べている。
400名から回答を集め、そのうち364名の有効回答を分析した結果、教師のverbal / nonverbal immediacy behaviorsは、学習者のWTCおよびacademic engagementと強い関連を示した。著者らは、教師の対人的なコミュニケーションのあり方が、学習者の「英語を使ってみよう」という気持ちや学習への関与と関係する可能性を指摘している。
「英語を知っている」と「英語で話してみよう」は同じなのか
この研究を読んで改めて考えた。
学習者が英語を話さないとき、私たちはつい「語彙が足りない」「文法に自信がない」「発音に不安がある」といった言語能力の側から理由を考えがちである。
しかし、英語を知っていることと、その英語を使って誰かに話してみようと思うことは、同じではない。
「この先生になら話してみたい」
「間違えても聞いてもらえそうだ」
「自分が言おうとしていることを受け止めてもらえそうだ」
そのように感じられる相手がいることも、英語を使うことに関係しているのかもしれない。
Hu & Wang (2023) の研究は「自分の言葉」について直接論じたものではない。しかし、教師と学習者との心理的な近さとWTCとの関係は、私がこれまで考えてきた「自分の言葉として使える英語」を別の方向から考えるきっかけになった。
「自分の言葉」は人間関係の中で生まれるのか
ここからは、研究結果そのものではなく、英語授業について私自身が考えた一つの仮説である。
接触を重ねる → 相手を知る → 心理的な距離が縮まる → 安心してコミュニケーションできる →「自分の言葉」で話してみようと思う。
英語を「自分の言葉」として使えるようになるためには、語彙や文法、発音などの力だけではなく、**「この人になら話してみたい」「この人なら自分の話を聞いてくれる」**と思える人間関係も関係しているのではないだろうか。
もちろん、この流れをHu & Wang (2023) が実証したわけではない。まして、「接触を重ねれば必ず英語を話すようになる」ということでもない。
あくまで、研究を読んで自分の授業を振り返ったときに生まれた問いである。
しかし、英語はそもそも誰かに向けて使うことばである。
そう考えると、「自分の言葉」を育てる授業を考えることは、表現活動の方法だけを考えることではなく、その言葉を安心して差し出せる相手との関係をつくることでもあるのかもしれない。
「自分の言葉」は、自分の中だけで育つものではなく、誰かとの関係の中で育っていくものなのかもしれない。語彙や文法、発音といった言語面だけでなく、学習者が誰と、どのような関係の中で英語を使うのかということにも目を向ける必要があるのではないだろうか。
「自分の言葉」として英語を使えるようになるための授業デザインを考える上で、一つの参考になった。
