アンディ・ウォーホル
最近、アンディ・ウォーホルの著書『ぼくの哲学』が文庫化されているのを見つけ、すぐさま購入した。
思い返せば、大学に入学した頃の私は、文学とポップアートに傾倒していて、バッグの中にはよくこの本を入れていた。
そこには、いわゆる深遠で高尚な「哲学」はない。
描かれているのは、繊細で神経質な人間が、平凡と小さな興奮を繰り返しながら過ごす日常の、ささやかな気づきである。
淡々とした文体の中には、不思議な魅力が宿る。
人を煙に巻くような彼らしい語り口の奥に、ふとした瞬間、鋭い美意識が現れてくる。
「もしアンディ・ウォーホルのすべてを知りたいのなら、私の絵と映画と私の表面だけを見てくれれば、そこに私がいるはず。裏側には何もない」
そう語ったウォーホルは、誰もが知るスターでありながら、自らの深い内面をあえて語ろうとはしなかった。
過剰な承認欲求と、ミステリアスであり続けたいというアンバランス。
その曖昧さがむしろ強い美学となって、彼のアートを形づくっている。
ウォーホルの映像や展覧会には数多く触れてきたが、「アンディ・ウォーホルとはどのような人物か」と問われると、私の脳裏に浮かぶのは、映画『バスキア』でデヴィッド・ボウイが演じた姿であるというのが、なんとも不思議である。(それほどまでに、ボウイの演技が印象深かったというのもあるが)
けれど、この奇妙な感覚こそが、ウォーホルという存在の本質なのかもしれない。
つかみどころがないからこそ、人はそこに意味を見出そうとし、より強く惹きつけられていく。
美や芸術とはそういうものなのだと、ウォーホルのアートは私に教えてくれる。
【Kyohei Hayakawa 公式ウェブサイト】
【Kyohei Hayakawa Instagram】
