惑いながら願う—リチャード・パワーズ『惑う星』
🪞ポンダラ〜の読書ノォト vol.007
ポンダラ〜です。本をひらけば、沼がひらく。
きょうも「読むこと」から、ちいさな探検をはじめてみましょう。
レイチェル・カーソンとルクレティウス(『物の本質について』)の言葉が引用されている最初のページを開いたとき、胸の奥に小さなひっかかりが生まれました。
「世界に対する感じ方は、人の数だけある」 ——そんなことを、静かに囁かれたような気がしたのです。
この本、リチャード・パワーズ『惑う星』は、
科学者の父と少年ロビンの物語でありながら、
実は、「私たちは世界をどう感じ、どう願うのか」 を問う、一種の祈りのような小説でした。
■物語の入り口:揺れながら、世界を抱きしめる親子
ロビンは、亡き母が遺した想いを抱えたまま、絶滅の危機にある生き物たちへ心を向け続けます。
父セオは天文学者で、観測装置越しに宇宙を眺めながら、息子の“内なる宇宙”に触れようとする。
小さな親子の物語なのに、ページを追うほどに世界がどんどん広がっていく。
そしてその中心には、次のような一文がひっそりと光っています。
“The world is a mystery, and we always have been too small to solve it.”
——「世界は謎に満ちていて、私たちはそれを解き明かすにはあまりに小さい。」
邦訳:リチャード・パワーズ『惑う星』(木原善彦訳、新潮社、2022)
“解けない謎”としての世界。
でも、その小ささを嘆くのではなく、小ささごと抱きしめて進もうとする。
そこに、ロビンとセオの誠実さがあります。
■“叶う夢”ではなく、“感じ続ける夢”
この作品が美しいのは、
夢を「実現の結果」としてではなく、「感受の姿勢」として描いている ところです。
“He wanted to save everything. I wanted to save him.”
——「彼はすべてを救いたかった。私は彼を救いたかった。」
邦訳:リチャード・パワーズ『惑う星』(木原善彦訳、新潮社、2022)
ロビンの願いは世界へ向かい、
セオの願いはロビンへ向かう。
向かう方向は違っているのに、ふたりの願いはどこかで重なり合い、
その交点に“惑いながらも心を向け続ける意志”が宿ります。
科学の限界や政治の空気が、希望を揺らす場面は何度も出てきます。
それでもふたりは、世界に驚く心を手放さない。
願い続ける力は、迷いのないところではなく、むしろ 迷いのただなか に生まれるのだと教えてくれます。
■他作品との比較:
星の王子さま/村上春樹との“願い”の距離
読んでいて思い出したのは、『星の王子さま』の透明な問いかけでした。
「大切なものは目に見えない」と語る王子の言葉のように、
ロビンの願いもまた、形にはならないのに確かに存在し、
他者の心の風景をそっと変えていきます。
一方で、村上春樹作品の、
“世界の境界がにじむ瞬間に気づくとき、内側の揺らぎも姿を変える”という感覚とも呼応します。
ただパワーズは、境界の向こうへ連れていくのではなく、
今ここで足元が揺れていることそのものを、一緒に見つめようとする。
その差が、物語の質感をやわらかくしています。
■読後の余韻:惑う心を、もう少し信じてみる
読み終えてページを閉じたあと、
私はしばらくのあいだ、言葉を探すことができませんでした。
「惑う」という行為が、
こんなにも人を世界へ開いていくものだったのか、と。
夢と惑いはきっと、遠く離れているようで、根っこではつながっている。
迷いの中でこそ願いが生まれ、
叶わなくても、その願いが人を前へ進ませる力になる。
ロビンの幼い祈りが大人たちに世界を思い出させたように、
私たちもまた、わからないまま心を伸ばすことができるのかもしれません。
そして今はただ、
“惑いながら願う”という姿勢を、少しだけ信じてみたい。
この作品はそんな静かな気持ちを、そっと胸に置いていきました。
