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yurikasann_777
可哀想という言葉の裏に隠していた私の本音
昨日、母の病院に行った。
母を元気づけようと、母が推しているアイドルの話をしたけれど、あまり乗ってこなかった。
「今は、アイドルのことを思う余裕がない。苦しいから。」
と、ポツリと言った。
そうか、やっぱり苦しいのか。
本当は苦しいのに、私たち家族が心配しないように元気そうに振る舞ってたんだ。
そう思ったら、頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けて、立っているのがやっとだった。
そして、身体中が氷の塊になったように寒くて痛くて悲しくなった。
なんとか笑顔で取り繕って、病室を後にしたけれど、帰りの車の中では、母は可哀想という思いと、いつになっても子供のことを愛してくれているんだっていう感謝の気持ちが行ったり来たりしていた。
家に帰ると、感謝の気持ちよりも、母は可哀想の思いが強くなり、何もしてあげられない私を苛立たしく思ってイライラしてきた。
一日経って、私は母を可哀想な人にしたいんだってことに気づいた。
母は可哀想。
可哀想な母を看病している私も可哀想。
結局は、私は可哀想って言いたいだけ。
可哀想な私に優しくしてって。
自分が可哀想アピールをしていた私。
母は可哀想じゃない。
苦しくても、頑張って食事代わりの飲み物を飲む。
苦しくても、私たち家族に愛を降り注いでくれている。
生きようと愛しようと、自分の出来ることを精一杯している。
私たちを楽しませようとしたり、苦しくても人生を楽しんでいる。
そんな母は可哀想ではなく、生きる見本じゃないか!
私は可哀想なので、優しくしてくださいなんて、言ってる場合じゃない。
私も私の出来ることを精一杯していこう。
さあ、今日も笑顔で母に会いに行こう。
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