本紹介『ヒロシマをのこす』
12月中旬の週末、私は広島を訪れた。
日本時間の12月10日。ノルウェーのオスロにて、ノーベル平和賞授賞式が行われた。そこで、日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)の代表委員である田中熙巳さんが世界各国に向け演説を行った。今一度、過去の惨劇に向き合い、何が起こったのか。それを受け今の私たちに何ができるのかを考えようと、一度訪れたことがある平和記念公園、並びに平和記念資料館へ向かった。


資料館を訪れ、帰路に就こうとしたとき、ある1冊の本が私の目の前にとまった。
その本の名は、『ヒロシマをのこす』。平和記念資料館をつくった人の物語である。その名は、長岡省吾。
実際、平和記念資料館に訪れた人は多い。しかし、誰が作ったのかを知っている人はそう多くない。町でインタビューしている映像を見てもそうだった。
この本は、子どもたちでも読みやすいように漢字の読み仮名が多く書かれている。また、文字も大きく読みやすい。しかし、内容はグッと引き込まれるようなものだった。
長岡省吾氏について
まず、長岡省吾という人物について簡単に紹介したい。長岡省吾氏は、ハワイ生まれの地質学者である。日本に帰国後は、現在の広島大学にて地質学の実地指導を担当していた。広島に原子爆弾が落とされた翌日、広島の街の惨状を目にする。その時、爆心地の近くで石の表面が溶け、針のようになった形跡を発見し、「この地で何が起こったのか」を科学的に解明することを誓うのだった。そこから、来る日も来る日も、現地に赴き、瓦や石を集める。当時、皆が生活のために必死になり、金になる金属類などを探し集める傍ら、長岡省吾氏は、それらに一切目もくれず集め続け、自宅に持ち帰った。その様子を見ていた現地の人からは部外者扱いされ、身内も困り果てるばかり。しかし彼は作業を止めることはなかったのである。
その後、ヒロシマで起こったことを世に伝えるための資料館を建設し、長岡省吾氏は初代館長となった。建設前後も前途多難の日々だった。建設のための資金調達。展示物の保全。建設後も、資料館の転用計画など、壮絶なドラマの数々。そして、おおよそ6年半館長を務め、職を辞した。
この本の見どころ
まずは、長岡省吾氏のバイタリティのすごさには圧倒される。原爆直後は、放射能による病のリスクが高くなる。原爆病ともいわれる病に、実際長岡省吾氏も苦しんだそうだ。しかし、苦しんでもなお、被爆地に足を運び、原爆によって傷ついた貴重な資料を集め続けた。その目的はただ1つ。
「二度と同じ過ちを繰り返さないようにするため」
被害の現状を伝えるために行動し続けたのである。
そして、今の平和記念資料館は、並々ならぬ努力の末に完成したものだということを知ることができる。戦争後の激動の時代の中、不断の努力により完成した建物。単純に見て回るだけでは気が付かない。どのような人が建設に関わり、どのような思いで記念資料館を作るに至ったのか。それを知る1つのきっかけにこの本がある。ぜひ手に取ってみてほしい。
