パプアニューギニアの言語――850の声が生きる国 第2回:植民地が言語を変えた――ドイツ・イギリス・オーストラリア支配の痕跡
PNGの言語シリーズ|Episode 02
はじめに
第1回では、PNGに850もの言語が生まれた理由を、4万年という時間軸で見てきました。今回は一気に時代を19世紀末へと進めます。
1884年、PNGの歴史は大きく動きました。ヨーロッパの植民地支配が始まったのです。そしてその支配が、PNGの言語地図を根本から塗り替えていきました。
■ 1884年――ひとつの島を3つの国が分割した日
1880年代、オランダ・ドイツ・イギリスの3つの植民地大国がニューギニア島と周辺諸島の異なる部分を領有しました。オランダは現在インドネシアの一部となっている西半分を、ドイツは北東部を、イギリスはオーストラリアに近い南東部を占領したのです。 Ghrd
このとき「ひとつの島」は、3つの全く異なる植民地政策のもとに引き裂かれました。そしてその政策の違いが、今のPNGの言語構造を形づくることになります。
■ ドイツ植民地北部――トクピシン誕生の地
トクピシンが生まれたのは19世紀末、主にビスマルク諸島出身の年季奉公労働者たちの間からでした。彼らはクイーンズランドや特にサモアのドイツ人所有のプランテーションに送り込まれており、それぞれまったく異なる母語を持っていました。唯一共通していたのは、故郷で英語を話す商人たちから覚えた簡略化された英語の語彙だけでした。
やがてその語彙にドイツ語・サモア語・ビスマルク諸語からの言葉が混ざり合い、労働者同士が自分たちの母語の文法ルールを当てはめながら、ひとつのピジン語として安定していきました。これがトクピシンの原型です。
ブリタニカ百科事典は「トクピシンはコプラ・砂糖きびプランテーションに19世紀後半に生まれた太平洋ピジン語のひとつで、メラネシア・マレーシア・中国から輸入された労働力が必要とした共通言語として誕生した」と記しています。
つまりトクピシンは、植民地支配の「副産物」として生まれた言語なのです。
■ ドイツ語の痕跡がトクピシンに残っている
今も使われるトクピシンの単語の中に、ドイツ語がこっそり息づいています。
たとえば「スプーン(spoon)」はトクピシンで「supu」。これは英語のspoonではなく、ドイツ語の「Suppe(スープ)」から来ているとも言われます。「持ってくる(bring)」を意味する「bringim」にはドイツ語「bringen」の影が見えます。
ドイツ植民地の影響によって、トクピシンの語彙の一部はドイツ語に由来しています。ただし今日、ドイツ語はPNGで一般的に話される言語ではなくなっています。一方、東ニューブリテン州では「ウンザードイッチュ(Unserdeutsch)」というドイツ語ベースのクレオール語が今も話されており、その語彙はドイツ語に由来し、基層言語はトクピシンです。 Human Rights Watch
■ イギリス植民地南部――ヒリモツ語が「警察の言葉」になった日
南東部を支配したイギリスは、異なる言語政策を選びました。
イギリス植民地時代、多くの異なる言語集団から集められた警察官たちが本部をポートモレスビーに置きました。彼らはモツ人の女性と結婚するケースも多く、自然とモツ語に親しみましたが、複雑な文法を完全には習得できませんでした。また、イギリスの警察官たちはピジン英語(トクピシン)の使用を禁止していました。 United Nations Development Programme
そこで生まれたのが、モツ語を単純化した「ポリスモツ(Police Motu)」です。複雑なモツ語の文法を省略し、自分たちの母語の感覚で使いやすくした言葉でした。これが後にヒリモツ語と呼ばれるようになります。 United Nations Development Programme
ヒリモツ語の普及は20世紀初頭に加速し、ポートモレスビーを中心とする南部地域の共通語として1960年代に最盛期を迎えました。しかしその後トクピシンに押され、今では使用者の多くが高齢者で、モツ人自身もほとんど使わなくなっています。 UN Women
■ 1906年――オーストラリア支配と英語教育の始まり
イギリス領ニューギニアは「パプア」と改名され、1906年にオーストラリアの植民地となりました。そして1914年、オーストラリア軍がドイツ領ニューギニアを占領したことで、旧ドイツ領・旧イギリス領の両方がオーストラリアの管轄下に入りました。このときトクピシンは引き続き共通語として機能し続けました。 Ghrd
オーストラリア統治期に顕著になったのが、英語を通じた近代化政策です。学校・行政・法廷・医療——あらゆる公的場面で英語が「正式な言語」として位置づけられていきました。一方で、農村部や山岳地帯では母語が生き続け、英語はごく一部の教育を受けた人々だけが使う「エリートの言語」になっていきました。
この英語とトクピシンと母語という「三層構造」は、植民地時代に生まれ、今のPNGにそのまま引き継がれています。
■ 「ピジンから公用語へ」——トクピシンの驚くべき成長
プランテーションの労働者同士が便宜的に使うために生まれたピジン語が、やがて完全に発達したクレオール語へと進化し、今日では数百万人のパプアニューギニア人によって話されています。トクピシンは今や単なる便宜上の言語ではなく、国民的アイデンティティと文化的レジリエンスの象徴です。 Taylor & Francis Online
植民地支配は、PNGの人々にとって苦難の歴史でした。しかしその苦難の中から、人々は自分たちの言葉を作り上げました。トクピシンはその証です。
■ まとめ
1884年、ニューギニア島はドイツ・イギリス・オランダの3か国に分割され、言語政策が分かれました
トクピシンは19世紀末、ドイツ領プランテーションの多言語労働者たちが生み出したピジン語が起源です
トクピシンにはドイツ語由来の語彙が今も残っており、植民地の痕跡を言葉の中に見ることができます
イギリス支配下の南部では、モツ語を簡略化した「ポリスモツ(ヒリモツ語)」が警察の共通語として広まりました
1906年以降のオーストラリア統治期に英語教育が広まり、英語・トクピシン・母語という「三層構造」が生まれました
次回・第3回は「戦争が言語地図を塗り替えた――第二次世界大戦とPNGの言語」を取り上げます。
参考文献
Radical Pedagogy. "Language Development In Papua New Guinea." Robert Litteral. https://radicalpedagogy.icaap.org/content/issue3_1/01Litteral002.html
SIL International. "Language Development in Papua New Guinea." https://www.sil.org/system/files/reapdata/30/87/98/30879825024981655851095456146506795912/silewp1999_002.pdf
PNG Attitude. "The fascinating history of Tok Pisin & Hiri Motu." (2012年7月) https://www.pngattitude.com/2012/07/the-fascinating-history-of-tok-pisin-hiri-motu.html
Britannica. "Tok Pisin." https://www.britannica.com/topic/Tok-Pisin
Britannica. "Papua New Guinea — Languages." https://www.britannica.com/place/Papua-New-Guinea/Languages
Britannica. "Motu language." https://www.britannica.com/topic/Motu-language
Wikipedia. "Hiri Motu." https://en.wikipedia.org/wiki/Hiri_Motu
Wikipedia. "Languages of Papua New Guinea." https://en.wikipedia.org/wiki/Languages_of_Papua_New_Guinea
The National (PNG). "What is the difference between Motu and Hiri Motu?" (2019年9月) https://www.thenational.com.pg/what-is-the-difference-between-motu-and-hiri-motu/
Kreol Magazine. "Tok Pisin – The Creole Language That Unites Papua New Guinea." (2025年12月) https://kreolmagazine.com/tok-pisin-the-creole-language-that-unites-papua-new-guinea/
GRIN. "Tok Pisin. History, linguistic development and German influence." https://www.grin.com/document/353245
Encyclopedia.com. "Motu." https://www.encyclopedia.com/places/australia-and-oceania/pacific-islands-political-geography/motu
#パプアニューギニア #トクピシン #ヒリモツ語 #植民地 #ドイツ #イギリス #オーストラリア #PNG #言語の歴史
