感情が先か、理由が先か
理由があって怒っているのではなく、
怒りが先にあって、理由は後付けされている。
そんなこともあるのかもしれない。
ふと、そんなことを考えました。
きっかけは、ユニクロを展開するファーストリテイリングの柳井正さんの、過去のインタビューをめぐるSNS上の反応でした。
柳井さんが、日本の人口減少や外国人材について語ったインタビューが、最近になって再びSNSで拡散され、
柳井さんの発言の一部が取り上げられ、否定的な受け止め方が広がり、不買を呼びかける投稿まで見られるようになりました。
ところが、実際のインタビューを見てみると、SNSでの否定的な受け止め方と、実際の発言の文脈には、かなり隔たりがあるように感じます。
ただ、その物言いはかなり強いので、否定的に受け取る人がいることも理解できます。
けれど、SNSのコメントをしばらく読んでいるうちに、私が気になり始めたのは、柳井さんの考え方がどうこうではなく、
批判が、元の発言からだんだん離れていくことでした。
発言そのものへの批判から、
いつの間にか商品のことや、企業への印象、
さらには、以前から感じていた不満へと話が広がっていく。
そこで、ふと思ったのが、
もしかすると、理由があって怒っているというより、
怒りが先にあって、理由があとから補充されていることがあるのではないか。
ということ。
もし、怒りのきっかけとなった情報が事実とは違うとわかったら、
本来なら、その怒りは収まりそうなものです。
けれど、必ずしもそうはならない。
(そもそも、事実確認もしていないのかもしれない。)
一つの理由が成り立たなくなると、
今度は別のところに理由を見つけていく。
感情に沿うように、事実の意味を組み替えていく。
そんなことが起きているように見えました。
ここで、少し怖くなります。
これは、SNSで誰かを激しく批判している人たちだけに起きることなのか、と。
おそらく、そうではないでしょう。
私たちは誰でも、自分の感情や、それまでに培ってきた価値観を通して物事を見ています。
程度の差こそあれ、
好きな人の言葉なら、好意的に受け取り、
嫌いな人の言葉なら、同じ言葉でも否定的に受け取りがちです。
自分が信じていることに沿った情報はすんなり受け入れ、
沿わない情報には、どこか間違いがないかを探したくなる。
完全にまっさらな状態で、事実だけを見ることは、なかなか難しいものです。
ただ、その振り幅には大きな差があります。
自分の感情を通して世界を見ることと、
目の前にある事実そのものを、自分の感情に沿う物語へ変えてしまうことは、
同じではありません。
自分がいま見ているものは、本当にそこにあるものなのか。
それとも、
自分がそう見たいからつくったものなのか。
SNSだけの話ではありません。
誰かとの会話でも、
仕事でも、
人間関係でも。
私たちは、相手が言ったことを受け取っているつもりで、
実は、自分の中にある物語を聞いていることがあります。
そして、この二つは、とてもよく似ています。
だからこそ、自分ではなかなか気づけない。
ときどき立ち止まって、
自分の考えを振り返る時間は大切ですね。
✦ 今日の問い
あなたが「こうに違いない」と思っていることは、本当に目の前の事実から生まれたものでしょうか。
それとも、先にあった感情や、自分の中の物語が、そう見せているのでしょうか。
正解はありません。
もし、この問いが、あなたの日常を少しだけ立ち止まって見つめるきっかけになれば、とても嬉しく思います。

