外海町誌に見るエクソシスム
エクソシスムと聞くと何を思い浮かべるであろうか。
数年前に公開された映画『ヴァチカンのエクソシスト』を思い浮かべる人も多いだろう。フィクションに描かれるキリスト教的な悪魔祓いの儀式をカトリック教会では祓魔(ふつま)と呼ぶことが多い。
この儀式はどこか遠い西欧のキリスト教圏で行われるものアニメや漫画の世界で描かれる架空のものといった印象を持つ日本人が大半だろう。
しかし、我が国でも祓魔の儀式は行われている。その一例として今回は長崎は外海の町誌にも記載されている悪魔憑きのエピソードを紹介したい。
時は1880年ごろ明治もまもない頃の話である。三重樫山の村にナセという十五才になる漁師の娘がいた。ある日を境に奇妙な病に取り憑かれ、漁に出ている父の様子を実況するようになった。そして、この実況というものが違わず一致するということで奇妙に思い少し離れた出津にいるド・ロ神父に見てもらうことになった。ド・ロ神父はパリ外国宣教会の司祭で村民のために惜しまず奉仕を続け、現在でも長崎では広く地域の人々からド・ロ様として顕彰されている人物でもある。
話を戻すとド・ロ神父が出津の港を出ると彼女はその様子をも克明に語り出した。遂には神父が家の近くに来るともう逃げ場がないと着物を頭から被り身を隠してしまった。その姿を見た神父は周りの人たちに命じて祈りをさせ、自らも祈りはじめた。そして彼女の目、口、鼻に聖ベネディクトのメダイを当て祈るとナセは倒れた。その際、何か黒い影が飛び出していったそうだ。それから彼女はすっかりと立ち上がり元気を取り戻した。そして娘から悪霊を追い出してくれた神父に感謝して家族みんながカトリックの信仰を持つようになったそうだ。
カトリックの祓魔が町誌に載るのは長崎らしい。明治の間もない頃の宣教師の活躍と当地の人々との関わりを偲べるエピソードでもあり興味深い。
悪霊について現代人ならば心の問題と片付けてしまう人の方が多いだろう。しかし、カトリック教会では今でも天使の存在を信じるのと同様に悪霊の存在を認めている。
悪は善の欠如であるとの聖アウグスティヌスの言葉を噛み締めつつ筆を置きたい。
以下のコラムはエクソシスムの経験があるカトリックの司祭が記したものである。
悪霊との対峙を通してひとりひとりの人間に向き合う真剣な司牧者の姿勢に胸を打たれる。
キリスト者ひとりひとりが悪という問題に目を向け日々の信仰に生きねばならないと考えさせられる。
611ページに同記録が残されている。
聖ベネディクトの十字架とメダイとについて解説されていて参考になる。
