身体はまだ、安心できていない
呼吸がつなぐ内なる境界線
──うねりは、呼吸を導く。
意識では、
「力を抜きたい」と思っている。
でも身体は、
まだ緊張したままだ。
頭では、
もう大丈夫だとわかっている。
けれど、
呼吸は浅く、
肩は上がり、
身体のどこかが、
まだ身構えている。
そんなことがあります。
意識と身体が、
同じ方向を向いていない。
このズレが続くとき、
身体の中では、
何が起きているのでしょう。
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「反射」と聞くと、
私たちは、
勝手に起こる動きを想像するかもしれません。
たとえば、
熱いものに触れた瞬間、
考えるより先に手を引っ込める。
身体には、
意識的に考えてから動くよりも先に、
反応する仕組みがあります。
それは、
生命を守るために備わった、
とても古く、
とても速い仕組みです。
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一方で、
私たちは、
経験や記憶をもとに考え、
選択することもできます。
言葉を選ぶ。
動きを調整する。
過去の経験から、
次の行動を変える。
考えることも、
感じることも、
反射することも。
それぞれが別々に存在しているようで、
実際の身体では、
複雑につながりながら働いています。
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そのつながりを考えるとき、
僕が長く身体を見ながら、
興味を持ってきたもののひとつが、
脳と脊髄、
そして、
それらを包む膜の存在です。
脳と脊髄は、
硬膜などの膜に包まれ、
その周囲には脳脊髄液があります。
身体の内部は、
静止しているわけではありません。
呼吸。
心拍。
血流。
姿勢の変化。
身体を動かすこと。
さまざまな要因によって、
内部では、
絶えず小さな変化が起きています。
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オステオパシーや頭蓋領域の手技では、
こうした身体内部に感じられる微細なリズムを、
「一次呼吸」などの言葉で捉えてきた歴史があります。
ただし、
これは肺で行われる通常の呼吸とは別の概念であり、
その仕組みや解釈については、
現代医学ですべてが確立されているわけではありません。
だから僕も、
「こういう仕組みだから、こうなる。」
と単純に決めつけるのではなく、
身体に触れたときに感じる、
微細な動きや変化を観察するための、
ひとつの見方として捉えています。
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実際に身体を見ていると、
興味深いことがあります。
「力を抜いてください。」
そう伝えても、
なかなか抜けない人がいる。
本人は、
抜いているつもりなのです。
でも、
身体に触れていると、
まだどこかが、
静かに抵抗している。
反対に、
こちらが無理に緩めようとせず、
呼吸や姿勢、
触れ方を変えていくと、
ある瞬間、
ふっと呼吸が変わる。
肩が落ちる。
背中が広がる。
身体の重さが、
こちらへ預けられる。
本人が、
「力を抜こう。」
と頑張った結果ではありません。
むしろ、
頑張らなくなった瞬間に、
起きることがあります。
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これは、
硬膜だけで説明できるものではありません。
神経系。
呼吸。
筋緊張。
感覚入力。
姿勢。
その人が置かれている環境。
いろいろなものが、
互いに影響し合っています。
だから、
身体をひとつの場所だけで、
説明しきることはできません。
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ただ、
ひとつ確かなのは、
意識で「緩もう」と思うことと、
身体が実際に緩むことは、
同じではない。
ということです。
身体がまだ、
何かに備えているなら、
「力を抜け。」
という新しい命令を加えるより、
身体が、
力を入れておく必要のない状態を、
つくった方がいい。
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呼吸は、
その変化を観るための、
とてもわかりやすい入口になります。
無理に深く吸うのではなく、
まず、
いまの呼吸を感じてみる。
どこまで入っているのか。
どこで止まるのか。
吐いたあと、
身体にどんな変化が起きるのか。
呼吸を操作するというより、
呼吸を通して、
いまの身体を観る。
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すると、
「落ち着こう。」
と思うより先に、
身体のほうが、
静かに落ち着き始めることがあります。
呼吸が変わる。
緊張が変わる。
反応の仕方が変わる。
意識が身体を支配するのでもなく、
身体の反応に、
ただ振り回されるのでもない。
そのあいだに、
少しずつ余白が生まれてくる。
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呼吸を整えるということは、
深く吸うことでも、
力を抜くことでもありません。
自分の身体が、
いま何に反応しているのかを感じ、
必要のなくなった緊張を、
身体自身が手放せる条件をつくること。
意識と無意識。
考えることと、感じること。
自分の内側と、外の世界。
その境界線を、
呼吸は今日も、
静かにつないでいます。
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