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たたむ。という身体文化


──日本人の動きのルーツ

床がフローリング主流となった現代では、

畳の香りや感触を知らずに育つ世代も、

増えてきました。


けれど、

日本の暮らしと身体文化の根っこには、

ずっと、

「たたむ」

という感覚が息づいています。

畳は、

ただの床材ではありません。

もともとは、

畳んでしまえる敷物。

広げる。

使う。

たたむ。

しまう。

限られた空間を、

その時々に合わせて使い分ける。

一つの部屋を、

食事にも、

団らんにも、

寝る場所にもする。

そこには、

少ない空間を最大限に生かす、

日本独特の合理性があります。

そして僕は、

この「たたむ」という感覚は、

暮らしだけではなく、

日本人の身体の使い方にも、

深く入り込んでいるように思います。


暮らしの中にある、「たたむ」


着物。

袴。

提灯。

布団。

扇子。

風呂敷。

広げる。

使う。

そして、

たたんで収める。

ミニマリストという言葉が生まれる、

ずっと前から、

日本人は、

「たたむ」という技法を、

日常の中で使ってきました。

だから、

たたむことは、

単なる収納方法ではありません。

文化であり、

生活の知恵であり、

一つの美意識でもあるのだと思います。



そして、

もう一つ。

僕が面白いと思うのは、

日本の道具には「引く」ことで使うものが多いことです。

たとえば、

包丁。

上から押し潰すのではなく、

刃を引くことで、

対象を切っていく。

日本の鋸も、

引くことで切る。

荷車も、

身体を前へ押しつけるだけではなく、

荷重を身体に受けながら、

引いて運ぶ。

引く。

寄せる。

収める。

そこにも、

身体を大きく外へ広げるというより、

自分の側へ引き込みながら力を扱う

という身体感覚があります。

道具の形は、

身体の使い方をつくる。

そして、

身体の使い方もまた、

道具の形をつくってきた。

どちらが先なのかは、

それほど重要ではないのかもしれません。

長い時間をかけて、

暮らしと道具と身体が、

互いに影響しながら、

一つの文化をつくってきた。

僕には、

そんなふうに見えます。


身体にも、「たたむ」が宿っている


正座は、

脚を折り畳む動き。

礼は、

そこからさらに、

身体を折り畳んでいく動きです。

たたむ。

さらに、

たたむ。

そして、

中心へ戻る。

日本人に多い、

身体の前面の筋肉が優位に働きやすいという身体性も、

こうした「たたむ文化」と、

どこかでつながっているのかもしれません。

股関節を折り畳む。

腕をたたんで使う。

脚をたたむ。

腰を折る。

四肢を、

身体から遠ざけていくのではなく、

身体へ収めていく。

そこにあるのは、

大きく広げる動きとは違う、

静かに内へ収める動きの美学です。


たたむことで、力が生まれる


日本の武道にも、

同じ身体感覚を見ることができます。

余計な力を取り除く。

重心を静かに落とす。

身体をコンパクトに収める。

そして、

必要な瞬間に、

そこから力を解放する。

ずっと広がっているわけではない。

一度、

たたむ。

収める。

そして、

必要なときに広がる。

呼吸も、

少し似ています。

吐く。

収まる。

そして、

また吸う。

縮むことと、

広がること。

その往復があるから、

身体は自由に動くことができます。

たたむことは、

小さくなることではありません。

次に広がるための、準備でもある。

日本の身体文化には、

そんな知恵が、

長い時間をかけて育まれてきたのではないでしょうか。


たたむ文化は、身体の記憶の中に生きている


畳の部屋が減り、

正座をする機会が減り、

暮らし方が変わっても、

僕たちの身体の奥には、

まだ、

「たたむ」という感覚が残っています。

広げる力ではなく、

収める力。

押し出すだけではなく、

引き寄せる力。

閉じるのではなく、

折り畳み、

中心へ還る。

そして、

必要になれば、

そこからまた広がっていく。

たたむことと、

広がること。

その両方を行き来できる身体に、

本当の自由があるのかもしれません。

今日の一日一呼吸。

あなたの身体の中にも息づいている、

「たたむ動きの知性」を、

少しだけ感じてみてください。



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