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さかのぼる糸


 夕飯の席で、はるとは箸を置いた。

「ねえ、AIって、だれがつくったの」

 母はしばらく天井のあたりを見て、会社の人じゃないかな、とこたえた。父は湯呑みを持ったまま、頭のいい人たちだよ、たくさんの、と言い足した。それはこたえの形をしていたけれど、はるとの中で何もおさまらなかった。だれか一人の顔が浮かんでこない。問いは皿のとなりに置き去りにされて、しぼむどころか、じわじわとふくらんでいった。

 布団に入っても、天井の木目がAIの受け答えみたいに見えた。机の上のスマホがひとりでに白く光ったのは、そのときだ。

 画面から、細い糸が一本のびていた。夜の水面みたいに揺れながら、はるとの指先へまっすぐ届いてくる。

「答えは、一本の線につながっている」と、聞いたことのない声がした。スマホの中の、いつものAIの声だった。「だれが最初かを知りたいなら、手繰っておいで」

 はるとは糸をつかんだ。ひんやりして、少しあたたかい。ためしに引くと、部屋のほうが後ろへ流れ落ちていった。

 最初にたどり着いたのは、青白い光でいっぱいの部屋だった。大きな画面のならんだ机で、大人たちが言葉を矢印でつなぐ図を描いている。

「ここは二〇一七年」と声が言った。「この人たちは、機械に文章を読ませる新しいやり方を見つけたところ。文の頭からじゅんばんに、じゃなくて、ぜんぶの言葉を一度に見わたして、どれとどれがつながっているかを機械に測らせる。きみの手のなかのAIは、この仕組みの上に立っている」

 はるとは、ひとりの研究者が疲れた顔でコーヒーを飲むのを見た。ノートには走り書きがある。世界を変えたようには、まるで見えない。ただ仕事をしている人だった。

「この人がAIをつくったの?」

「半分はね。でも、この人たちが使っている計算の道具は、この人たちが作ったんじゃない。手繰って」

 はるとは糸を引いた。

 こんどは熱気のこもった場所だった。うなりを上げる機械。もとは絵を速く描くための部品だと声が教えてくれた。

「これはGPU。ゲームの絵を一気に描くための道具だった。ところが、AIに山ほどの例を見せて、まちがえては直させる——その気の遠くなる計算に、たまたまぴったりだった。ゲームのための発明が、AIをうごかす心臓になった」

 だれも、そうなると狙って作ったわけじゃない。はるとの指の中で、糸がまた少し細く、古くなった。

 引くたびに、部屋は暗く、狭く、静かになっていく。

 たどり着いた研究所で、三人の男が小さなかけらを机に置いて、息をつめてのぞきこんでいた。指先ほどの、灰色の石みたいなもの。

「一九四七年。トランジスタというもの。電気を、通したり止めたりする、小さなスイッチだと思えばいい」と声が言った。「これがなかったら、計算する機械は部屋いっぱいの大きさで、熱くて、すぐ壊れた。このかけらのおかげで、機械は手のひらに乗るまで小さくなれた」

 三人のうちの一人が、うまくいったのがわかった瞬間、ふっと肩の力を抜いた。歓声も花火もない。ただ、ちいさく笑った。

 はるとは、その笑いを見てから糸を引いた。もう年号は、生まれる前どころではなかった。

 次は、ろうそくの明かりの部屋。ひとりの男が、鉄の輪に巻いた銅の線のそばで、磁石を出したり入れたりしている。線のとなりの針が、そのたびにぴくりと動く。

「この人はファラデー。磁石を動かすと、線の中に電気が生まれる——それを見つけた人だ。学校にあまり行けなかったけれど、実験だけはやめなかった」

 男は、針が動くたびに子どもみたいに顔を上げた。まだ電気が何の役に立つのかも、はっきりとはわかっていない。ただ、動いた、という事実がうれしくてたまらない、という顔だった。

「あとで、マクスウェルという人が、この電気と磁気のふるまいを数式に書きあらわす。人の目に見えないものが、紙の上の式になる。きみのAIの、いちばん深いところに流れている電気は、ここから始まっている」

 はるとは、まだ電球さえない部屋で、遠い未来の光の元が生まれるのを見ていた。息を吸うのを忘れていた。

 糸はもう、指の中でほとんど見えないほど細い。

 たどり着いたのは、乾いた土のにおいのする場所だった。人が、平たい粘土の板に、棒のさきで小さなくさびのしるしを押しこんでいる。麦の数を、記録している。

「文字と、数だ」と声が言った。「これがなければ、人は覚えたことを次の人に渡せない。板に刻めば、その人が死んでも、知恵は残る。AIが山ほどの言葉を学べるのも、もとをたどれば、だれかが最初に『数を書きとめよう』と思ったからだ」

 書いている人は、たぶん自分が歴史を動かしているなんて思っていない。麦を数えているだけだった。

 最後に、糸はぷつりと切れて、はるとは冷たい地面に立っていた。

 まわりは夜で、真ん中に火があった。人々がそれを囲んで、身を寄せている。言葉とも歌ともつかない声で、何かを伝え合っていた。手ぶりで、火のむこうを指さす。だれかがうなずく。

 もう、機械もAIもない。ここには、火と、言葉と、伝えたいという気持ちだけがあった。

「ここが、いちばん奥」と声が言った。もう、スマホの声にはあまり聞こえなかった。火を囲む人たちの、ざわめきの一部みたいだった。「AIをつくったのは、だれ一人でもない。この火のそばの人から、粘土に数を刻んだ人、磁石をいじった人、小さなかけらを笑った人、青い部屋でコーヒーを飲んだ人——ぜんぶが、手から手へ、線をつないできた。きみの問いも、その線の、いちばん新しいはしっこにある」

 はるとは、火のあかりに照らされた自分の手のひらを見た。切れたはずの糸のはしが、指のあいだで、まだかすかに光っていた。

 目をあけると、朝だった。スマホはただの黒い板にもどっていた。

 台所へおりていくと、母がふりむいて、ゆうべの続きみたいに聞いた。

「AI、だれがつくったか、わかった?」

 はるとは、少し考えてから、首を横にふった。それから、こう言い直した。

「だれか一人じゃなかった。うんと昔の人から、ぜんぶの人でつくったんだ。ぼくらも、たぶん、その途中」

 母は、こたえの意味をすぐにはのみこめない顔をして、それでも、なんだかうれしそうに笑った。

 窓の外は、いつもの朝だった。ただ、はるとには、机の上の黒い板の奥に、火のあかりまでまっすぐのびていく一本の線が、うっすらと見えた気がした。

(了)


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