見出し画像

【短編青春小説】「青いままの果実」

「青いままの果実」


窓際のカーテンが、開いたままの窓から入る風に一度だけ膨らんだ。

五時間目の終わりから降り続いていた雨は、部活が始まるころには止んでいた。校庭の白線はところどころ薄く消え、鉄棒の下に溜まった水が、傾きかけた光を細長く返している。教室には私と彼女だけが残っていた。

黒板の端に、日直の名前がまだ残っている。チョークの粉が文字の下に散らばり、窓から差し込む光の角度に合わせて、白く浮かんだり消えたりしていた。

彼女は自分の机に座り、鞄の中身をひとつずつ確かめていた。教科書、筆箱、折りたたんだプリント。最後に、机の奥から青い実を取り出した。

手のひらに収まるほどの大きさで、表面には雨粒のような細かな斑点がある。校庭の隅にある木から落ちたのかもしれない。彼女はそれを指先で転がし、耳を澄ますように眺めていた。

「それ、食べられるのかな」

私が言うと、彼女は顔を上げた。

「さあ」

窓の外で、野球部の金属バットが一度だけ鳴った。音は校舎の壁に当たり、廊下の奥へ遠ざかっていく。彼女の手の中で、青い実が止まった。

「匂いは?」

「しない」

彼女は実を鼻先へ近づけた。髪が肩から滑り、頬の横に細い影をつくる。私は窓の外を見たふりをした。濡れた土の匂いに混じって、どこかの家から茹でたとうもろこしの匂いが流れてくる。

夏休みまで、あと三日だった。

黒板の右上に貼られた予定表を見れば、誰でもわかることだった。けれど、彼女はその紙を見ないまま、青い実を机の上に置いた。

「明日、持ってくる」

「何を?」

「赤くなったやつ」

私は返事をしなかった。

彼女は笑ったのかもしれない。口元が少し動いたが、窓からの光が強くて、表情までは見えなかった。机の上の実だけが、濃い青色を保っている。

廊下のスピーカーから、下校を促す放送が流れた。音が割れ、最後の一節だけが長く伸びた。彼女は鞄を閉じ、椅子を引いた。

そのとき、青い実が机の端から転がった。

私は反射的に手を伸ばした。実は床へ落ちる直前に止まり、机の脚に触れてから、反対側へ戻ってきた。まるで教室の中に、見えない傾斜ができているようだった。

彼女も手を伸ばした。

私たちの指が、実を挟んで触れた。

ほんの一瞬だった。

彼女の指先は雨に濡れた紙のように冷たく、私は息を吸ったまま、吐き出すタイミングを失った。彼女は何も言わず、指を引いた。青い実だけが、私の掌に残った。

窓の外で、雲の切れ間から光が差した。

机も椅子も、黒板の文字も、床に落ちた鞄の影も、すべてが斜めに伸びた。彼女の制服の袖口に、金色の線が走る。細い糸のほつれまで見えた。

「返して」

彼女が言った。

私は実を渡した。彼女はそれを受け取り、スカートのポケットへ入れた。

窓の外では、校庭を横切る影がゆっくり長くなっていた。さっきまで聞こえていた運動部の声も、ボールの弾む音も、もう校舎の向こうに薄れている。

彼女は教室の扉へ向かった。

私は机の上に残った小さな水滴を見つめた。いつ落ちたのか、誰のものかもわからない。指で触れると、冷たさはすぐに消えた。

「明日ね」

扉のところで、彼女が振り返った。

私は頷いた。

彼女が廊下へ出ていく。足音がひとつ、ふたつ、階段の向こうへ遠ざかる。教室に戻った風がカーテンを揺らし、窓辺の光を床から机の脚へ、机の脚から壁へ押し上げていった。

私は窓を閉めなかった。

空の色は、まだ青いままだった。

(終)




ペイ・フォワード プロジェクト共同マガジンの仲間を募集中!参加希望の方はコメント欄か、メッセージ機能でメッセージください!



チップがわりにこれをやってみてね🤗

いいなと思ったら応援しよう!

LaLaLa はぁ、はぁ……っ! お願い、です……! 『怪獣の腹の中で』を……どうしても、私の手で「紙の本」にしたいんです……っ! あなたの、そのサポートが……本の、一ページに、なります……っ。 はぁ……応援、してくれませんか……っ?