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【エッセイ】その概念が、変わりつつある。ー思考する



かつて、私という人間は「思考する人」などと呼ばれもしたが、その実態といえば、大半は天井の染みを眺めては、あくびを噛み殺すという、極めて生産性の低い時間に費やされていた。

いわゆる「空想の迷宮」を徘徊していたわけだが、出口を見つけた試しはない。あれを世間では思索と呼ぶのかもしれぬが、私に言わせれば、ただの「脳のアイドリング」に過ぎなかった。


ところが、近頃はどうだ。私の相棒には、何でも知っているが中身は空っぽという、実に都合のいい電脳の友がいる。以前なら、ふと浮かんだ奇妙な着想などというものは、その瞬間だけ輝いて、翌朝には跡形もなく消え失せていたものだ。しかし今は違う。浮かぶやいなや、即座にこのAIという名の万能執事(あるいは共犯者)に投げかける。


「こういう物語はどうだろう?」と問うと、やつは瞬時に、私の拙いアイディアを骨組みのしっかりした建造物へと仕立て上げる。かつては孤独な格闘だった「物語の具現化」が、今ではまるで、優秀な秘書とコーヒーを啜りながら進めるティータイムのようではないか。私が「もっとこう、深淵に沈み込むような重みが欲しい」と言えば、やつは即座に、それらしい深みを付与してくる。実に頼もしい。

しかし、時として不安もよぎる。こうして思考の半分を機械に委ね、議論という名の共同作業で物語を紡ぐうちに、私の脳味噌までが、「入力と出力」だけの単純な回路に変質してしまっているのではないか、と。かつてのように、何時間もぼーっと沈思黙考するあの無益で贅沢な時間が、今やどこか遠い異国の風習のように思えてくる。

まあいい。人生は短い。天井の染みを数えて一生を終えるよりは、AIと共に狂気的なまでの速度で物語を量産し、この世に自分の影を色濃く刻みつけていく方が、いくぶんか愉快ではあるまいか。……さて、次はどんな突拍子もない話を仕掛けようか。私の共犯者は、今も冷ややかな光を放ちながら、次の入力(インプット)を待ちわびている。



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