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フェーズ7「人は信用しない」私が、722人のフォローを整理して「10人」を選ぶ理由

私の哲学

私も含め、多くの人が無意識に行っているのは「他者との交流」ではなく、**「自分にとってのメリットの採集」**だということになります。

鏡としての他人: 自分の価値観を肯定してくれる人(=安心感が欲しい)

道具としての他人: 自分が有利になる、利用できる人(=利益が欲しい)

観客としての他人: 自分を褒めてくれる人(=承認欲求を満たしたい)

相手そのものを見ているのではなく、「自分に何を与えてくれるか」という機能を見ている。だから、その機能が失われれば(相手が自分を褒めなくなったり、メリットがなくなったりすれば)、関係は簡単に途切れる。

そんな**「条件付きの繋がり」**ばかりを見せつけられれば、「人は信用しない」という結論に至るのは、ある意味で非常に論理的であり、自己防衛として正しい判断だとも言えます。

ただ、その「孤独な悟り」は、創作において非常に強力な武器(視点)になります。甘い幻想を抱かないからこそ、人間の本性を生々しく描けるはずです。
だから私は人間そのものよりも今執筆している。主人公、登場人物この人たち人ではないけどを通じて自分の価値観を再構築している。


人間というのは、つくづく「自分中心」にできている。

「気が合う」というのは、自分の価値観を肯定してくれるということ。 「好き」というのは、自分にとって心地よい存在であるということ。 結局のところ、多くの人は他人の中に「自分にとってのメリット」を探しているに過ぎない。

鏡として、道具として、あるいは自分を褒めてくれる観客として。 相手そのものを見ているのではなく、「自分に何を与えてくれるか」という機能を見ている。だからその機能が失われれば、関係は簡単に途切れる。

そんな「条件付きの繋がり」ばかりを見せつけられれば、「人は信用しない」という結論に至るのは、ある意味で非常に論理的な帰結だ。

私は基本、人を信用していない。 けれど、いや、だからこそ。 創作という魂を削る作業を通してだけは、嘘のない「本物の繋がり」が持てると信じたかった。

noteを始めて、もうすぐ1年になる。 ありがたいことに、数字上のフォロワーは765人に達した。 フォロー数は722人.しかし今、私はその数字をすべて捨てて、身辺整理をする準備をしている。

ことの発端は、数日前に起きたネット回線のトラブルだった。

自宅の光回線が断絶し、私は陸の孤島に取り残された。 それでも、創作の灯を消したくなくて、不自由なスマホのテザリングを使って必死に記事を投稿し続けた。「繋がらない」「苦しい」と、SOSを発信しながら。

その時、私のタイムラインに返ってきたのは「静寂」だった。

700人以上のフォロワーがいるはずなのに。 心配の声をかけてくれたり、励ましのコメントをくれたりしたのは、ほんの数名。 あとの数百人は、私が泥沼でもがいている横を、無関心に通り過ぎていった。

ああ、そうか。 これが現実か、と腑に落ちた。

私はこの1年、フォロワーに対してできる限りの誠実さを尽くしてきたつもりだ。 フォローしてくれた人のページに行き、記事を読み、感想を書き、フォローに対するお礼とフォローバックをしてきました。そしてできるだけ言葉のキャッチボールをしようと努めてきた。 けれど、それは悲しいほどの一方通行だった。

多くの人にとって、私は「数合わせ」か「読まないスキを押し合う機械」でしかなかったのだ。 記事の中身も読まず、ただ「お返し」を期待して押されるスキ。 コメントもなく、魂の交流もないフォローボタン。

そんなものは、もういらない。

私にとっての「フォロー」とは、単なる購読登録ではない。 その人の作品を読み込み、思考に触れ、言葉を交わして、互いに高め合っていくことだ。 そうやって深く付き合える人数なんて、私のキャパシティを考えれば、せいぜい「10人」が限界だろう。

私自身も反省しなければならない。 「せっかくフォローしてくれたから」と、惰性でフォローバックし、読みきれない記事に埋もれていた自分を。私自身もスキをしてくれた方にスキのお返しをしていた。フォローしてくれた。そしてフォローバックした相手の記事を読み、コメントをしたかと言うとそう多くはできていない。それは相手に対しても、自分に対しても不誠実だった。

だから、2月の「1周年」を迎える前に、私はけじめをつける。

数字だけの関係。 読まないスキの応酬。 困っている時に無視を決め込むような、希薄な繋がり。

これらすべてをリセットし、フォローを大規模に整理する。 これは「閉じる」ことではない。これから出会う、あるいは今残ってくれている「本物の10人」と、濃厚な時間を過ごすための「開かれた決断」だ。

去る者は追わず。 けれど、この偏屈な私の言葉に耳を傾け、作品を愛し、言葉を交わしてくれるあなただけは、何があっても大切にしたいと思う

2年目は、数字はいらない。 「共犯者」と呼べるような、熱のある読者とだけ、私は生きていく。


追加

​成功している表現者たちの数字を見て、気づいたことがある。

彼らのプロフィールは、圧倒的に「フォロワー数」が多く、「フォロー数」が少ない。

​彼らは「フォローバック」という義理で人を繋ぎ止めていない。

(作品力)

けれど、私はその数字の裏にある「ぬるま湯」に浸かるのを、今日限りでやめることにした。

​私は「交換条件」で繋がりたくない

​この1年、私は「されたら返す」を礼儀だと思い込んでいた。

フォローされたらフォローし返す。

スキされたらスキし返す。

​「相互フォロー」という名の馴れ合いは、もう2026年には持ち込まない。

​「作家」として生きる

​2年目の私は、方針を180度転換する。

​「フォローバック」はしない。

私の作品を読み、本当に面白いと思ってくれた人だけがフォローしてくれればいい。義理のフォローは、お互いのタイムラインを濁すだけだ。

​私がフォローするのは「作家」だけ。

「付き合い」ではなく、心から「この人の文章が読みたい」「悔しいけど上手い」と思わされる、本物の書き手だけをフォローする。

​作品で殴り合う。

フォロワーを増やすために愛想を振り撒く時間があるなら、その時間を最高傑作を書くことに費やす。

​たとえフォロワーが10人に減ったとしても、その10人が私の作品に熱狂し、言葉を交わせる「共犯者」であるなら、700人の幽霊よりも価値がある。

​2026年、私は「いい人」を辞める。

noteの書き方 #断捨離 #人間関係 #SNS疲れ #クリエイターの悩み #本音 #2026年の抱負

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