まなびさんが書いた「私が書いたものを、私より先に言葉にしてくれた人がいた」を読んで・・・
私は昔から、少し偏屈で、あまり群れることを好まない人間だった。
自分が「好きだ」と感じること、「形にしたい」と切望することに対しては、呆れられるほど貪欲で、ただひたすらに一人で突っ走ってきた。ふと立ち止まって振り返ると、周りには誰もいない。気づけばいつも一人だった。
毎日文章を書き続ける中で訪れる「孤独」を、特別恐れることもなく、平然と抱え込んで生きてきた。けれど、時折ふと波のように押し寄せる寂しさがなかったわけではない。
そんな私に、生まれて初めて届いた言葉があった。
「LaLaLaさんのようで在りたい。」
まなびさんが認めてくださったその言葉を読んだ瞬間、深い驚きとともに、胸の奥から温かい涙が溢れ出してきた。孤独のなかで突っ走ってきた自分の人生で、こんなにも人の言葉に心が震えたことはなかった。
この記事で最後の締めくくりで書いた。
「57歳のベイビー」として新しく生まれ変わって不器用にも進もうとする彼女へおめでとうと書いた。
「これが今の彼女だと思う」と感じていたあの情熱と、「57歳のベイビー」として新しく生まれ変わって不器用にも進もうとする彼女の姿は、完璧に読者(LaLaLaさん)に伝わっており、まなびさん自身もその「見つけられたこと」に深い感謝を覚えているという、奇跡のようなつながりが記録された記事です。
57歳のベイビーが踏み出す、響き合う世界への次の一歩
57歳。それは古い「被害者意識」という重たいコートを脱ぎ捨て、「自律」という名の人格が新しく産声を上げた瞬間でした。かつて「もう人生は変わらない」と本気で絶望していた彼女は、自分を縛り続けていたのが過酷な環境(現実)そのものではなく、心の中に深く根を張っていた「無意識の信念」だったことに気づいたのです。その古い信念を手放したとき、彼女はまるで別人のように軽やかで清々しい自分に出会いました。しかしそれは完成ではなく、新しい思考のOSを携えたばかりの、おぼつかない**「ベイビー(赤子)」の誕生**でもありました。
赤子としての彼女が、慣れない手つきで「心のラベル」を貼り、「自分褒めシャワー」で心のガソリンを満たそうと必死に歩み始めたある日のこと。目の前に、思いがけない**「極上のギフト」**が届けられます。
それは、LaLaLaという一人の読者が、彼女の紡いできた10本の法則を丁寧に読み解き、見事なフローチャート(図解)にして届けてくれた記事でした。
自分が何時間もかけて文章にしてきたものが、誰かの頭の中を通ることで、本人すら見えていなかった「美しいうねりとつながり」を持って浮かび上がってくる。それだけでも十分な驚きでしたが、彼女の心をより深く震わせたのは、その優れた技術や分析力そのものではありませんでした。その言葉たちの奥に隠されていた、傷つきながらも**「自分の人生のハンドルを、自分で握り直した一人の人間」としての彼女自身の生き方**を、LaLaLaがまっすぐに見つけてくれたからでした。
「私が長い時間をかけて自分の内側でやってきたことを、この方は、私が書いてきたものの中から見つけてくれていた」
他者との関係性を鏡にして自分自身を深く理解し、現実を根底から書き換えていく壮大な探求の記録。その泥臭い再生のプロセスを丁寧にすくい上げ、一人の人間としてこの上なく丁寧に扱ってもらえたこと。それは、かつて孤独に他責の檻で叫び、やがて自責の沼に沈みそうになっていた彼女にとって、これまでにない深い救いと、魂が共鳴するような喜びだったのです。
かつての「受け取り下手」な彼女なら、これほど大きな好意やギフトを前にして、「悪いな」「申し訳ない」と縮こまっていたかもしれません。けれど、別人格のベイビーとなった彼女は、そのあたたかいギフトを「嬉しい!」と120%の笑顔でまっすぐに受け取りました。**「受け取ることも、相手に与える喜びを渡しているのだ」**という、エネルギーの美しい循環を体現するように。
そして今、ベイビーの「次の一歩」が、静かに、しかし力強く決まります。
相手を決めつけることなく、時間をかけてその言葉の奥にある思いや人生を丁寧に見ようとするLaLaLaの姿勢に、彼女は「人に対する深い尊厳」を感じ取りました。そして心から、**「私もそんなふうに、LaLaLaさんのようで在りたい」**と強く願ったのです。
ここがゴールではありません。別人格 of ベイビーになった彼女は、自分を愛するだけでなく、「他者という尊い存在を丁寧に見つめ、敬意を贈る」という、より成熟した「自分軸」のある関係性へと歩みを進めていきます。
57歳。悲劇の脚本を自ら破り捨てて生まれたベイビーの目の前には、孤独に戦う必要のない、あたたかい伴走者たちと響き合う、どこまでも自由な新しい旅路が広がっているのです
「LaLaLaさんのようで在りたい」 そう願った57歳のベイビーが、次に起こした行動。それは、これまでの「自分を見つめる」という内省の刃を外側へ向けることではなく、目の前の「他者」をどこまでも丁寧に、尊厳を持って見つめ直すという、静かで力強い実践でした。
かつての彼女は、自分の「被害者意識」を守るための他責の鎧を着て、相手を自分の内面の不満を映し出す「鏡」としてだけ捉えていました。しかし、LaLaLaという存在に出会い、自分の紡いだ言葉の奥にある人生を丸ごと抱きしめられるという体験をした今、彼女の視界は大きく開かれたのです。
「相手が何を伝えようとしているのか。その言葉の奥に、どんな思いや人生があるのか。それを決めつけるのではなく、時間をかけて、丁寧に見ようとする」
これこそが、彼女が踏み出す具体的な行動(次の一歩)です。 noteにコメントをくれる一人ひとり、日々の介護の仕事で関わる人々、そしてかつて傷つけ合ってしまった元夫に対しても。相手の表面的な言動に一喜一憂して「自分軸」をブレさせるのをやめ、その人の奥にある「いのちの温もり」をじっと見つめること。それは、LaLaLaが彼女にしてくれたことの、優しい「模倣」から始まる、ベイビーのハイハイの練習でした。
そしてこの行動は、彼女の中で、ある一つの美しい確信へと繋がっていきます。 それが、かつて彼女自身がnoteの街で見つめ、胸に刻んでいた**「恩送り(ペイフォワード)」**という愛のエネルギー循環でした。
彼女はかつて、10年以上という長い歳月と、100万円を超える高額な費用をかけて「心の自由への最短ルート」を探し求め、ネガティブな沼から這い上がってきました。そして今回、その不器用な歩みをLaLaLaという温かい伴走者が「とてつもなく壮大な探求の記録」として、見事な図解とともに言葉にしてくれました。
この、自分自身が受け取った「理解される喜び」と「深い救い」という極上のギフト。それを自分の中だけに留めておくことは、せっかく流れ始めたエネルギーの川をせき止めてしまうことになります。
「次は、私が手渡す番だ」
これこそが、57歳のベイビーが「恩送り」としてnoteを書き続ける真の理由になったのです。 誰かから愛されることをクレクレと要求する「受け取りすぎ」でもなく、自分を削ってボロボロになる「与えすぎ」でもない。毎日3分の「自分褒めシャワー」で自ら満タンにした自己肯定感のガソリンタンクから、溢れ出た温かいエネルギーを、今度は自分が立ち止まっている「かつての自分のような誰か」へと、そっと流していくこと。
「あなたを幸せにするのは、誰でもないあなた自身ですから」
彼女が100の法則を書き、ペンを握り続けることそのものが、LaLaLaから受け取った「尊厳」という名のバトンを次の誰かへと繋ぐ、壮大な「恩送りの旅」となりました。
57歳のベイビーは、もう寂しさを埋めるために走ってはいません。 ただ、自分が受け取った温かい光を、今度は自分の手で次の誰かの足元へと照らし出すために。 noteだけの小さな世界だけでなくペイフォワードの温かい川に、感謝という名の小さな一滴を投じるように、彼女は今日も微笑みながら、新しい言葉を紡ぎ、歩みを進めていくのです。
法則61:「ライオンキングのシンバは『本当の自分』を取り戻した物語で彼女が語った。
「私は本当は何者なのだろう?」と
その答えは、どこか遠くにあるのではなく、
ずっと自分の中にあったことに気づくかもしれません。
この記事は、
これに気づいたのかもしれません。
その過酷な努力によって別人格になれたなら「57歳のベイビー誕生おめでとうございます!」ともう一度言わせてください。












まなびさんのこれからの発信を、どうぞお楽しみに!

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