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母と黄昏時の散歩

3ヶ月ぶりの帰省。母と一緒に、展覧会を2つ回って、IKEAをぶらぶらして帰宅すると、「なんか雲がピンク」と母が言う。せっかくだから散歩しようと、部屋着のまま外に出て、川沿いを目指す。川沿いに向かっている間も空の色はどんどん変わって、母が気に入ったピンクの色は姿を消し、薄い水色と黄色が夜を呼ぶ。

「もうウェディングしたのから1年なんだね」
母が早い季節を惜しむように言った。正確には、あと2ヶ月半もあるが、準備の期間を考えればちょうど1年前から本格的に動きはじめていた。この時期からわたしはエステに通い始め、プランナーさんと細かいすり合わせをしていた。
「今ごろはダイエットしてた」
「今リバウンドしたけどね」
と母は笑う。

この1年いろんなことがあった。感情がいい方向にも悪い方向にも、動かされた。身体も大きく変化した。だからこそ、季節とともに過ごしてきた1年だった。夏にはヨガをして、秋には母と妹と旅行をして、冬には、キャンドルを灯しながらこぎん刺しをして、春にはZINEをつくった。

「Aちゃんどうしてるかな?」
わたしは10年前、何度も何度も、その名前を呼んでいた。仙台に帰ってくるとAやん(Aちゃんのニックネーム)を思い出さずにはいられない。
「どうなんだろう…」
わたしはそれ以上のことは言えない。


最後にAやんに会ったのはR286のロイヤルホストだったはず。ちょうど未知のウィルスがじわじわと進行してきたころだった。あの日もAやんは推し活の「見たいアニメがあるからごめん」って言って、帰っていった。それがAやんを見た最後。

その後、AやんにLINEをしても、SMS(電話番号のメッセージ)を送っても、何も返ってはこなくなった。
あんなに濃い2年間を共にした友情は、決定的な喧嘩をしたなどではなく、フェードアウトした。

「Aやんはうちのことが羨ましかったんだと思う」
川の遊歩道に降りたころには薄暗かった。はじめて母にする話だった。

Aやんは高校に卒業したら芸能系の専門学校に通いたかったはず。だけど、家の事情から難しく、就職することを選んだ。彼女が東京に行ける目処がたった頃、コロナウィルスが蔓延した。

Aやんたちと行った夏祭りのりんご飴

一方のわたしは奨学金を借りながらも県外の大学に行き、その頃やりたいと思っていた手堅い仕事になるべく勉強をしていた。

彼女から見たら、わたしはうらめしいだろう。
今だから、そう気づいた。

大学生のわたしはわたしで余裕はなかった。授業料の免除をしてもらい、やっと大学に通える経済状況。狭い大学の寮に住み、入学してからまったく向いてないと気づいた実習に向き合う。決して、楽しいことだけではなかった。わたしも、大学の同期がうらめしかった。でもそれは、Aやんから見たら1段階も2段階も上の悩みに見えたのかもしれない。

「Aちゃんから見たら思い通りに行ってるように見えてたんだろうね」
Aやんの苦しみとわたしの苦しみは高校時代のように分かち合えなくなった。家庭の経済状況が苦しいのは同じなのに、ひとりは夢を叶え(ているようにみえ)、ひとりは夢を叶えることがどんどん先延ばしになった。

「一度さ、こう、わだかまりができちゃうと難しいよね」
母のことばは重みがあった。
遊歩道脇の川が少し急になって、ざらざりと流れる音が響く。いま、Aやんに再会できたとして、わたしたちはなにを話すのだろう。想像がつかないのが、すべての答えな気がした。


黄昏時は宵となる。
「そろそろ戻って餃子でも焼くか」
母とふたり並んで帰路についた。

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