思想強めです。
人間が学ぶ意味、とは何なのだろうか。
そもそも人間はあくまでもヒトであり、動物であるのに我が子や他の幼い子どもたちが疑うこともなく人間と動物は違う!と言い切っていて戦慄している。
最近の障害者の権利、女性の権利、学ぶ権利、を主張する人達。
それぞれの権利は当然であるが、主張の仕方がかなり理解できない。
ここに、私自身も障害者である。ことを明記しておく。以下、それをふまえて読んでほしい。
今まで、障害者にとっても、女性にとっても、学ぶ機会に関しても、かなり権利が認められて最大公約数的に解決策が取られていた様に思う。
障害があっても、障害者のままで保護してもらいながら、手厚い支援を受ける権利。そして、健常者(と敢えて言わせてもらう)とは区別することにより、戦場の様な世の中から、生存権を認められてその人らしくいきる権利。を認められていた。ということもできる。
しかし、知的障害と診断されても義務教育の普通学級に在籍はまだわかるが高等学校は今現在ではまだ義務教育ではない。本来中学校の内容が理解している上で進学すべきである。少なくとも文章が読めたり四則演算くらいは出来てほしい。現状の日本では高校は義務教育みたいなもの、とおっしゃるのであれば、大学はどうなるのだろうか?
分数の出来ない大学生。
といった本が話題になった時代はまだ良かった。ソースは確かではないが塾講師をしている大学生が小中学生の問題が解けない人がいる。しかも結構な数である。
フェミニスト、と言われる人達もはや死語なのかもしれないが、女性が仕事はしなくていい、大学にも行かなくていいという時代には確かに必要だったかもしれない。しかし、子どもを産み、育てる。ことに限って言えば母体の安全と生後1ヶ月以内の乳児にとっては出来る限り母親がそばにいてあげた方が良い、というのは明確なのではないだろうか。しかし、これは明確、という表現を使う為に敢えて短い期間を設定したが、一般的な企業が採用している育児休暇一年以内という一歳の誕生日までは母親が休んでもいい!という権利であり、女性の特権なのだ。でなければ3年も育休延長を男女平等に全員が3年ずつ取る世の中。
に果たしてなるのだろうか。
会社は経営破綻になるか、子どもを持たない選択をした社員たちへの負担が激増するか、非正規雇用が今以上に増えるか。どちらにしてもいい未来は見えないのである。
もうここまで来ると権利の主張をする権利をもとめているのかと思ってしまう。
いくら気持ちの面で男性であったり女性であったりしても、生物学的な性別は変わらない。社会的な性差があるのは人間だけであるし、生物学的に両性具有の人以外は生物学的な性別があるはずである。生物学的に無性別な人がいるのかいないのかは知識が無いので名言は避けておく。
人間が人間であるのは我々が勝手にやっていることであり、大きな地球上の歴史の中で考えれば僅かな僅かな生物の種の1つが種の中で考えていることなのだ。
一寸の虫にも五部の魂。
ライオンの世界にはライオンの生き方
カブトムシの世界にはカブトムシの生き方
タンポポの世界にはタンポポの生き方
どこかの歌にもあるけれど、
ライオンはタンポポにはなれないし、
タンポポもライオンにはなれない。
人間が、人間として生きるために、人間としての尊厳を保つために学ぶのだ。というと、少し大袈裟すぎるのだろうか。
lagamo
