第一話 あと五日(後編)
道路が白く光っている。
ひまりは自転車にまたがった。
角を曲がったところで阪神電車が走っていった。
川に近づくにつれて、空が広くなった。
夙川沿いへ入ると、大きな木の下に影が続いていた。
そこだけ少し涼しかった。
ひまりはペダルを強く踏んだ。
*
美緒と奈々は、川沿いの木の下にいた。
少し離れたところに奈々のお兄ちゃんもいる。
「遅かったな」
美緒が言った。
「宿題しててん」
「終わった?」
「うん」
ひまりは少し考えた。
「だいたい」
奈々は地面を見ていた。
「なにしてんの?」
「石」
「石?」
「きれいなん探してる」
ひまりもしゃがんだ。
白い石を拾った。
「これ?」
奈々は見た。
「普通」
「じゃあ、これ」
「それも普通」
「全部普通やん」
「うん」
奈々が笑った。
ひまりも笑った。
三人でしばらく石を探した。
それから川のそばへ下りた。
水の上に出ている石を順番に渡った。
美緒が片足を滑らせた。
「あっ」
靴が水に入った。
ひまりと奈々が笑った。
「最悪」
美緒は濡れた靴を見た。
それでも脱がなかった。
木陰に戻った。
頭の上で蝉が鳴いている。
三人で地面に座った。
奈々が拾った石を並べた。
白いの。
灰色の。
少し赤いの。
しばらく誰も話さなかった。
「淡路島行ってん」
奈々が急に言った。
「いつ?」
「前」
「何したん?」
「海」
「何海?」
「知らん」
ひまりが笑った。
「海は海やん」
奈々がひまりを見る。
「ひまりも海行った?」
「須磨」
「クラゲおった?」
「おらんかった」
「クラゲ刺されたら痛いで」
「刺されたん?」
「刺されてない」
「なんで知ってるん?」
「お母さんが言ってた」
その話はそこで終わった。
美緒が濡れた靴を日に当てていた。
「うちも海行った」
「どこ?」
「白浜」
「パンダ?」
「海」
「ああ」
また静かになった。
ひまりは木の枝で土に丸を描いた。
「盆踊りも行った」
「一緒に行ったやん」
美緒が言った。
「あ、そうやった」
「青いやつ食べてたやん」
「蒼太は赤」
「知ってる」
「舌めっちゃ赤かってん」
美緒は「ふうん」と言った。
ひまりは枝で丸の中を塗った。
「ばあばの家も行った」
「どこ?」
奈々が聞いた。
「御影」
「御影ってどこ?」
「電車乗ったらある」
「遠い?」
ひまりは考えた。
「まあまあ」
「泊まった?」
「うん」
「何日?」
「一日」
奈々が石を一つ川へ投げた。
ぽちゃん、と音がした。
「明日も来る?」
美緒が聞いた。
「知らん」
「うち工作ある」
奈々が言った。
「何作るん?」
「貯金箱」
「まだ?」
「うん」
「間に合うん?」
奈々は指を折った。
「今日が二十七やろ」
二十八。
二十九。
三十。
三十一。
「まだある」
ひまりも指を出した。
五本。
朝に数えたのと同じだった。
*
木の影が長くなった。
川沿いを歩いていた親子が帰っていった。
犬を連れた人も見えなくなった。
来たときより、川の光が黄色くなっている。
美緒が言った。
「そろそろ帰ろかな」
奈々が空を見る。
「まだ明るいで」
「でも夕方やん」
「何時?」
「知らん」
三人とも分からなかった。
奈々がお兄ちゃんを呼んだ。
「もう帰る?」
兄は空を見てから言った。
「そろそろ帰った方がええんちゃう」
美緒が立ち上がった。
ひまりは地面に座ったままだった。
「もうちょっとおらん?」
「明日また来たらええやん」
美緒が言った。
ひまりは自分の指を見た。
朝は五本。
明日は四本。
「夏休み、もう終わるな」
美緒が自転車を起こしながら言った。
「まだあるで」
奈々が言った。
「ちょっとしかないやん」
「四日くらいある」
「今日入れたら五日ちゃう?」
「分からん」
二人とも、それ以上数えなかった。
「じゃあな」
美緒が自転車に乗った。
「また明日」
奈々も乗った。
ひまりも立ち上がった。
学校が始まったら、美緒とは毎日会える。
奈々とも会える。
でも、それとは別だった。
ひまりは自転車に乗った。
川沿いを走る。
木の影が途切れて住宅街へ入ると、夕方なのにまだ暑かった。
少し急いだ。
五時半を過ぎているのかは分からない。
*
家の近くまで来たところで、ひまりは自転車を止めた。
低い石垣から伸びた植え込みに、茶色いものがついていた。
蝉の抜け殻だった。
背中が割れている。
脚の先まで残っていた。
指で触ると軽い。
ひまりはしばらく見た。
それから葉っぱから外して、水筒のポケットに入れた。
自転車に乗る。
家に着いて玄関を開けると、お母さんの靴と蒼太の靴があった。
もう買い物から帰ってきている。
「ただいま」
台所からお母さんが顔を出した。
「おかえり」
ひまりは靴を脱ぎながら聞いた。
「今何時?」
お母さんが時計を見る。
「五時四十一分」
ひまりは手を止めた。
「……一分?」
「十一分」
「あ」
「五時半って言ったよな」
「何時か分からんかってん」
「分からんかったら早めに帰ってきたらええやん」
ひまりは黙った。
少し考えた。
「美緒がまだ大丈夫って」
言っていない。
「美緒ちゃんのせいにせんの」
すぐにばれた。
「……はーい」
「手洗ってき」
思ったより怒られなかった。
洗面所へ向かうと、蒼太がついてきた。
さっきまで泣いていたことは、もう忘れたみたいだった。
「なに持ってるん?」
水筒を指している。
ひまりは蝉の抜け殻を出した。
「セミ?」
「抜け殻」
蒼太は近くで見た。
「動かへんの?」
「動かへんで」
「触っていい?」
「壊さんといてな」
蒼太は人差し指で、抜け殻の背中をちょんと触った。
「かたい」
「うん」
「どこにおったん?」
「帰り道」
「いっぱいおった?」
「これだけ」
蒼太はもう一度触ろうとした。
ひまりは抜け殻を少し高く上げた。
「もうあかん。壊れそう」
「ぼくもほしい」
「自分で見つけたら?」
「明日探す」
「明日は知らんで」
「おねえちゃんも探して」
「いやや」
ひまりは抜け殻を持って自分の部屋へ行った。
机の端に置いた。
机の上には、夏休み新聞と、読みかけの本と、読書カードがある。
ひまりは読書カードを新聞の下に入れた。
壁のカレンダーを見る。
二十七日。
指で数えた。
二十八。
二十九。
三十。
三十一。
四日。
ひまりはもう一度数えた。
二十八。
二十九。
三十。
三十一。
やっぱり四日だった。
「ごはんやでー」
お母さんが呼んだ。
「はーい」
ひまりは蝉の抜け殻を机に置いたまま、部屋を出た。
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