なぜ『スティング』の「だまし」は気持ちよくて、『レッド・ノーティス』の「だまし」は安っぽく感じるのか
映画には、「だます」ことを大きな武器にしている作品がある。
観客に情報を与え、「きっとこういうことだ」と思わせておいて、最後にひっくり返す。
うまくいけば、「やられた!」と笑ってしまうほど気持ちいい。
でも、同じように「だまし」を使った映画でも、見終わったあとの感覚はまったく違う。
今回、『レッド・ノーティス』と『スティング』を観て、その違いを強く感じた。
結論から言えば、私は『レッド・ノーティス』のだましを少し安っぽく感じた。
一方、『スティング』は素晴らしかった。
見終わったあとに残ったのは、「やられた」という悔しさではなく、「やられた! 気持ちいい!」という感覚だった。
※以下、『レッド・ノーティス』『スティング』のネタバレを含みます。
『レッド・ノーティス』――好きな俳優が出ているのに
まず、『レッド・ノーティス』。
私はドウェイン・ジョンソンが好きだ。
ライアン・レイノルズとの掛け合いも楽しいし、ガル・ガドットも魅力的。
アクションも派手で、軽く楽しむ映画としては十分面白い。
ただ、「だまし合い」という脚本の部分については、どうしても物足りなさが残った。
この映画では、
「実はこうだった」
と思ったら、
「いや、実はこうだった」
となり、
さらに、
「実はもっとこうだった」
と状況がひっくり返っていく。
その瞬間には驚く。
でも、見終わってから振り返ると、
「本当にそれでいいのかな?」
と思ってしまう。
私には、だましが「物語の必然」ではなく、観客を驚かせるための仕掛けに見えてしまった。
もちろん、これは好みの問題でもある。
『レッド・ノーティス』は、そもそも重厚な犯罪映画を目指しているわけではない。
テンポよく、派手に、楽しく観るためのエンターテインメントだ。
だから、そこにリアリティや緻密さを求めること自体が違うのかもしれない。
それでも、同じ「だまし」を扱った作品として『スティング』と比較すると、その違いがよく分かる。
そして『スティング』を観た
その後に観たのが『スティング』だった。
これは、別格だった。
こちらも詐欺師たちが人をだます映画だ。
やっていることだけを考えれば、『レッド・ノーティス』と似ている部分もある。
ところが、見終わったときの感覚がまったく違う。
ものすごくスッキリする。
「そういうことだったのか!」
と思える。
そして、映画を振り返ると、
「じゃあ、あの場面は……?」
と、最初から見直したくなる。
これが『スティング』の凄さだと思う。
「だます」こと自体が凄いわけではない
今回、二本を比較していて思った。
どんでん返しは、それ自体が凄いわけではない。
「実は○○でした」
という展開なら、いくらでも作れる。
大切なのは、その事実を知った瞬間に、それまでの物語の意味まで変わるかどうかだ。
『スティング』では、最後に真相が分かることで、それまでの出来事をもう一度考えたくなる。
「あの会話はそういうことだったのか」
「あの行動にも意味があったのか」
と、過去のシーンが別の意味を持ち始める。
つまり、最後のどんでん返しが、それまでの映画を「再構築」してくれる。
これは非常に気持ちいい。
『レッド・ノーティス』のだましが安っぽく感じた理由
逆に、私が『レッド・ノーティス』のだましを安っぽく感じたのは、「驚き」が先に来てしまうからだと思う。
「実はこうだった!」
という情報を出す。
観客は驚く。
そしてまた、
「実はこうだった!」
と出す。
また驚く。
しかし、それを何度も繰り返していると、観客はだんだん学習する。
「どうせまた何かあるんでしょ」
となってしまう。
すると、どんでん返しが来ても、
「なるほど!」
ではなく、
「はいはい、またひっくり返したね」
になってしまう。
これは、どんでん返しを使う作品にとってかなり危険な状態だと思う。
観客が「騙されること」そのものに慣れてしまうからだ。
『スティング』は観客を騙すだけではない
『スティング』の巧さは、観客を騙しているのに、観客を置き去りにしないところにある。
観客には情報が与えられている。
その情報をもとに、
「なるほど、こういうことなのだな」
と理解する。
ところが最後に、
「実は、その理解そのものが仕掛けだった」
と分かる。
だから腹が立たない。
むしろ、
「やられた!」
と笑ってしまう。
観客も詐欺の一部に参加していたような感覚になる。
この感覚がとても気持ちいい。
もちろん『スティング』にも「そこまでやる?」はある
個人的に一つ引っかかったのは、やはりラストだ。
フッカーとゴンドーフが撃たれ、二人とも死んだように見える。
ところが、それも全部芝居だった。
さらに、FBIまで仲間だった。
ここは正直、
「そこまでグルなの?」
と思った。
「それを言ったら、何でもありじゃないか」と感じる部分もある。
それでも、映画を見終わったときには、不思議と嫌な感じが残らない。
それまで積み重ねてきた「詐欺」というテーマを、最後まで徹底的にやり切ったからだと思う。
映画そのものが、一つの巨大な「スティング」だった。
名作のどんでん返しは、見終わったあとに完成する
『スティング』を観ていて思ったのは、本当に優れたどんでん返しは、映画が終わったあとに完成するということだ。
映画を見ている最中に、
「えっ?」
と思わせる。
でも、それだけではない。
見終わってから、
「そういえば、あのシーンは……」
と考える。
すると、最初に観たときとは違う意味が見えてくる。
だから、もう一度観たくなる。
一方で、どんでん返しが「その瞬間の驚き」だけで終わってしまうと、映画を見終わったあとに残るものが少ない。
「驚いた」という感情は、一晩寝れば消えてしまう。
でも、
「あれはそういうことだったのか」
という発見は残る。
この差は大きい。
「観客を驚かせる」より「観客を納得させる」
今回、二本の映画を観て一番感じたのは、このことだった。
脚本において重要なのは、
観客をどれだけ驚かせられるかではない。
観客が騙されたあと、どれだけ納得できるか。
なのではないか。
「実はこうでした」は簡単に作れる。
でも、
「だから、あの場面があったのか」
と思わせるのは難しい。
そこには伏線だけではなく、キャラクターの行動、情報の出し方、演出、観客の心理まで関係してくる。
だからこそ、『スティング』は今観ても面白い。
名作は「騙されたこと」まで気持ちいい
ドウェイン・ジョンソンが好きなので、『レッド・ノーティス』にはもう少し期待していた。
映画としては楽しい。
キャストも魅力的だ。
でも、「だまし」という一点では、私は少し物足りなかった。
それに対して『スティング』は、見終わったあとに本当にスッキリした。
同じように観客を騙す映画なのに、なぜここまで違うのか。
たぶん答えは、
「騙すこと」そのものを目的にしているか、「騙されたことに納得できる物語」を作っているか
の違いなのだと思う。
良いどんでん返しは、
「驚かせる」。
もっと良いどんでん返しは、
「納得させる」。
そして最高のどんでん返しは、
「もう一度、最初から観たくさせる」。
『スティング』を観終わった今、私はそんなことを考えている。

