数字だけ正しいひと
営業企画部に、数字だけ正しい人がいた。
会議で担当者が「先方の反応は悪くありませんでした」と報告すると、彼は資料から顔を上げて、「悪くないというのは、成約確率にすると何%くらいですか」と聞いた。
担当者が答えに詰まり、課長が「まあ、感触としてだよ」と助け舟を出しても、「感触の前回比が分からないと、改善したのか悪化したのか判断できません」と続けるので、最後には報告した人の説明が足りなかったような空気になる。
質問に答えが返ってくると、彼は必ず「ありがとうございます」と言って、資料の余白に数字を書き込んだ。答えが返ってこなかった箇所だけが、空欄のまま残った。
「若い層に人気があります」と言えば年齢区分を、「ほとんどのお客様に満足いただいています」と言えば回答率と母数を確認した。
忘年会の候補について誰かが「駅から近い店がいいですね」と言ったときには、近いとは徒歩何分以内かと聞き、そこまでならまだよかったが、信号待ちを含むかどうかまで確認し始めたので、幹事は駅前の居酒屋をすべて諦め、会社の会議室に缶ビールを並べた。
それでも、彼の数字はいつも合っていた。
会議のあと、給湯室で彼の話になったとき、私は紙コップのコーヒーを混ぜながら、「あの人、数字だけ正しいんだよ」と言った。
悪口としては正確だったので、その呼び方はすぐに部署へ広がった。
本人だけは知らなかった。
ある日の昼休み、数人で食事をしていると、誰かが彼に「彼女とかいないんですか」と聞いた。彼は箸を止めることもなく、「いません」と答えた。
「欲しくないんですか」
少し考えてから、彼は「欲しいかどうかを判断できるほど、交際した経験がありません」と言った。
全員が笑ったが、彼はなぜ笑われたのか分からない顔をしていた。
私は半分は親切で、半分は余計なお世話として、「人間なんて、会ってみないと分からないですよ」と言った。
すると彼は素直にうなずき、「そう思います」と答えたので、珍しく話が通じたような気がした。
その三か月後、私は四年付き合った恋人と別れた。
最後に会った日、私はファミレスのテーブルにスマートフォンのカレンダーを開いて置き、「結婚するなら、いつ頃を考えてるの」と聞いた。
彼は画面を見ようともせず、「いつかはしたいと思ってるよ」と答えた。
私は来年なのか、三年後なのかと聞き直したが、彼はドリンクバーから二杯目のコーラを持ってきて、「そういうのは期限を決めるものじゃないでしょ」と言った。
数字だけ正しい人なら、いつかとはいつまでなのか聞いただろう。
そう考えた自分に腹が立った。
一か月ほどして、友人に勧められ、私はマッチングアプリを入れた。
登録画面では、年齢、居住地、身長、学歴、職業、年収、休日、喫煙、飲酒、結婚の意思、子どもを希望するかどうかまで聞かれた。人間をこんな項目に分けてよいものかと思ったが、ひとつ残らず入力した。
相手に求める条件も設定した。
年齢差は五歳以内。遠距離は避けたかったので、居住地は同じ県内。私は煙草の匂いが苦手だから非喫煙。休日が合わなければ会う時間を作りにくいため土日休み。前の恋人のような曖昧さにはもう付き合いたくなかったので、結婚の意思は「二年以内」に限定した。
年収だけ少し迷い、自分と同じ水準以上に設定した。
検索結果は四千人から六百人になった。
そこから、身長を入れた。
別に高身長が好きなわけではない。ただ、以前付き合っていた人が私より少し低く、それを本人が気にしていたせいで、ヒールを履くたびに面倒だったのである。あれは身長の問題ではなく、自尊心の問題だったが、自尊心では検索できなかった。
六百人は、百八十人になった。
飲酒頻度、転勤の有無、家事への考え方を追加すると、三十七人になった。
アプリでは、興味のない相手を左へ、会ってみたい相手を右へ払う。
何人かの写真を左へ送ったあと、おすすめの一番上に見覚えのある顔が出てきた。
会社の、数字だけ正しい人だった。
プロフィール写真の彼は、公園らしき場所で不自然に微笑んでいた。笑顔を作るよう指示されたのだろうが、笑う理由が提示されていないため、口元だけが先に動いている。
年齢三十七歳、同じ県内、年収七百万円台、土日祝休み、非喫煙、飲酒は月に二回程度。転勤なし、家事は「できる方がする」、結婚は二年以内、子どもは希望する。
自己紹介には、こう書かれていた。
「性格については主観的な評価になるため、実際にお会いして判断いただければと思います。連絡頻度や会う回数については、お互いの希望を確認しながら調整したいです」
会社で読むなら、一行ごとに腹が立つ文章だった。
連絡頻度くらい気分で決めろと思うし、会う回数まで事前確認する男と恋愛が始まる気もしなかった。デートの候補店を比較表にし、告白の成功率を算出し、結婚記念日には前年との差異を報告してきそうだった。
左へ払おうとした指が止まった。
条件欄には、私が設定した項目がすべて並んでいた。
土日休み、非喫煙、転勤なし、家事をする。結婚の意思があり、子どもを希望している。年収は私以上で、住んでいる場所は電車で二十分だった。
彼は曖昧な返事をしない。
結婚したいかと聞けば、「考えています」とは言わず、いつまでに何を決めるか答えるだろう。子どもが欲しいと言うなら、保育料も家事分担も睡眠時間も調べるはずだった。
たぶん、誕生日に花を贈る理由は理解できない。
けれど、花の本数は間違えない。
画面には、相性度九十六%と表示されていた。
残りの四%について、私はよく知っていた。
指は右へ動いた。
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