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お行儀のいい子は、欲しいと言えない子だった


幼少期、親戚の家や、祖母の家 普段行かないお宅に 母に連れられて行くことが苦痛だった
今思うと ずっと緊張していなくてはいけなかったから
お宅に伺うと お菓子やジュースが出てくる
どうぞ、と言われても 「はーい」とすぐに手を出すことは御法度
一旦遠慮して 「ありがとうございます」、と言う
周りを見て 他の大人たちが何かを飲み始めたら 母が飲み始めたら いただきますと手をつける
それが正しい手順だった
もちろん先方は私を褒めてくれる 「いい子ね!」とか「可愛いわね」とか
褒められても 嬉しい気持ちに油断してはいけない
母がこう言うから

「いえいえ、この子は鈍くさくて
勉強も全然できなくて
自分から何もできない子で」

褒められた分の何倍も 悪く言われた
いつも言われてるから 特に傷つくことはないけど、どうしていいかわからない、恥ずかしさがあった
逆に人前でこれ言われたらどんな顔してたらいいの?

その場を何とかやり過ごしても安心できるわけじゃなかった
家への帰り道、母と二人になった瞬間 また叱られるかもしれない
お行儀が悪かったんじゃないか
声が大きすぎたんじゃないか
喋りすぎたのではないか、、、

ずっと緊張していたから 全然楽しくない、という思い出しかない
安全のためにまず一旦、遠慮する
これが染み付いていた

自分がどう感じているかより 叱られないか
正しい反応をできているか
そっちの方が気になって、欲しいのか、嬉しいのかなんて考える余裕がなかった
大人になっても 根っこの部分は変わらない気がする

いろんな場面を経験するうちに 自分の気持ちを感じるより先に 安全な反応のバリエーションを増やしていった
その中で一番便利だったのが 「大丈夫」という言葉
すぐに受け取らなかった時にも相手に少し安心を渡せるような
そんな罪滅ぼしのような ニュアンスを持たせられる言葉だった

でも最近は 少し変えようとしている
誰かが何かをくれようとする時 好意を無下にしないためにも
ありがたく受け取る
笑顔で「ありがとう」と言う
嬉しい時は、「嬉しいです」と言う
まだ意識しないとできない 自動ではできない
でも、遠慮するより先に 受け取る練習を始めている

この話は
独断査定部の続きでもある
正しいかの査定の基準は
きっとここで作られた

https://note.com/le21le/n/n2cf7fbe8e5da?sub_rt=share_pw

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