今はまだ、
親戚の家で暮らしていた猫が死んだ。そのことを聞いたとき、その猫が幼い頃に僕のジーンズをよじ登って来たときのことが思い浮かんだ。
あれは僕が大学に入学した年の冬で、僕は精神疾患になりたてだった。とても寒くて、心細い日々だったと記憶している。スライド式の白いガラケーで、その猫の写真を撮った。ふわふわでか弱いその姿を、いつまでも忘れられずにいる。
あれから、十年以上の時間が過ぎた。ふわふわで小さかった彼女は大きく成長し、そして年老いた。六月の曇天を掻き分けて、虹の橋を渡った。
命は、いつか尽きる。それは当たり前で、それでもとても寂しいことだ。もっと撫でてやればよかったな。会いに行ってあげればよかったな。後悔はいつだって後からするものだ。してあげればよかったと思うことばかりが、悲しみに埋め尽くされかけている頭に浮かんでくる。
少し前に、彼女に会いに行った。「にゃあ」と鳴くその姿は一見するとそのままなのに、年老いた彼女を抱き上げてみて随分と軽くなっていることに驚いた。その軽さを、なぜだか今も覚えている。
きっとあの頃にはもう既に、彼女の魂は少しずつ天国に行ってしまっていたのではないか。そんなことを思って、散歩道の途中でため息をついた。歩いても歩いても、心は落ち着かなかった。「ごめん」でも「ありがとう」でもない、言語化できない思いが浮かんでは消える。
もう二度と会えなくなる。そういう経験は初めてではないけれど、何度経験したって慣れることはない。誰かや何かを失うことに慣れてしまえるほど、僕は上手く大人になれなかった。悲しみに任せて泣き喚くことができるほど、純粋な人間でいることさえできなかったのに。
悲しみを悲しみのまま抱きしめられたなら、虹を軽やかに駆けて行ったであろう彼女にうまく「ありがとう」を言えただろうか。「出会えてよかった」と、彼女の瞳が閉じる前にそう伝えることはできただろうか。
馬鹿だなぁ。幾つ失えば気付くんだろう。命は神様の気まぐれで消えてしまうし、伝えそびれたことなんて幾つもあっただろ?
そう嘯いて、空を見上げた。彼女に出会えた喜びのような青空と彼女を失った悲しみのような曇天が、境界線さえ朧げなまま広がっている。
ありがとう。君の美しい毛並みも、スリスリしてくれたときの表情のひとつひとつも、きっと忘れることはない。
まだそちらには行けないけれど、少しだけ待っていてよ。たくさんたくさん、お土産を引き連れて行くから。
喜びと悲しみが入り混じって、鼻の奥がツンとする。見上げた空はいつの間にか灰色で、鼻先にポツリと雫が落ちた。雨が降り続いて、いつか上がる。そうしたら、彼女が渡ったであろう七色の橋が見える。雨は、次第に強くなっていく。
もっと、降れ。今はまだ、今だけは。
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