「試行錯誤」が、自分の番になると全然きれいごとじゃなかった話
こんにちはなつです。
「本で読んで頭ではわかっているのに、いざ自分の身に降りかかると全然受け入れられない」
みたいな経験、ありませんか?
僕は最近、まさにそれを味わっています。
6月にある言語聴覚士学会の発表に向けて、先輩に資料の添削をお願いしたんです。
返ってきた修正コメントを見て、結構ショックを受けてしまって。
「こことここの整合性がない」みたいな指摘を読みながら、自分の論理の甘さが情けなくなる、というか。
頭ではわかってるんですよ。
「小さく試して、直しながら良くしていくのが大事」って。
ビジネス書や、職場の先輩からも言われるような助言。
なのに、いざ自分が指摘される側になると、全然受け止めきれない。
今日は、その「知っているのに、感情がついてこない」現象について、考えたことを書いてみようと思います。
参考にする本は、ジム・コリンズさんの『ビジョナリー・カンパニー ゼロ』。偉大な企業を作るための土台となる考え方を、これから組織を作っていくリーダーに向けて語った本です。
シリーズの中でも「ゼロ」は、組織の出発点に立つ人のための一冊で、リーダーシップや試行錯誤の話が詰まっています。
「試行錯誤」って、本で読むと美しいけど
この本の中で印象的だった考え方の一つが、「まずやってみて、修正しながら完成させる」というアプローチです。
完璧な計画を立ててから動くんじゃなくて、不完全でもまず出して、フィードバックを受けて磨いていく。
失敗は失敗じゃなくて、最終形に近づくための一歩——みたいな話。
これ、本で読んだときは「めっちゃ良いこと言うな」と思ったんです。
なのに、実際に自分が指摘を受ける側になると、全然そんな悟った気持ちになれないんですよね。
「整合性がない」って書かれている文字を見て、心がぐにゃっとなる。
「修正のために追加で時間取らなきゃ」って思うと、げんなりする。
「自分の論理ってそんなに甘かったのか」と、自分の能力に対する自信もちょっと揺れる。
本の中の「試行錯誤」と、現実の「指摘されてしんどい」って、同じ現象のはずなのに、感情の手触りが全然違うんですよね。
知識と感情のギャップを埋めるには
ここで一つ、自分なりに整理してみたいなと思っています。
「頭でわかってる」と「感情で受け止められる」の間にあるギャップって、どうやって埋まるんだろう、と。
僕なりに考えた仮説はこうです。
本を読んでも、ギャップは一発では埋まらない
当事者として痛い目に遭うことが、たぶん必要
痛い目に遭ったあとに、もう一度本に戻ると「あ、これか」と腑に落ちる
この往復を繰り返すうちに、感情が知識に追いついてくる
つまり、本で読んだことは「予習」でしかなくて、本番は実体験のあとの復習なんじゃないかなあと。
『ビジョナリー・カンパニー ゼロ』を読んだときは、「試行錯誤、いいね」で終わっていた。
でも今、修正コメントを受け取ってしんどくなってから本に戻ると、「あ、この苦しさ込みでの試行錯誤なんだな」と立体的に見えてくる。
本の役割って、答えを教えてくれることだけじゃなくて、痛い目に遭ったときに「これでいいんだよ」と背中を押してくれることなのかもしれないなあ、と思いました。

後回しにすればするほど、首を絞める
もう一つ、今回の件ではっきりしたことがあります。
修正をもらった瞬間に取りかからないと、しんどさが雪だるま式に膨らむ、ということ。
資料を開かない、考えないようにする——これ全部、その瞬間は楽なんですよ。でも、明日になれば期限が一日近づくし、頭の片隅では「やらなきゃ」が走り続ける。
気づくと、作業時間そのものより「やらなきゃ」と思っている時間の方が長くなる。
冷静に考えれば、修正をもらえたこと自体はラッキーなんです。
もし誰にも見せずに本番を迎えていたら、本番でこける。
指導してくれている先輩たちにも申し訳ない。
後悔も、修正の比じゃない。
だから、修正は早く着手するに限る、という結論は変わらないんですよね。頭ではわかってる。
あとは、それに感情を引き上げてもらうだけ。
まとめ
修正やフィードバックをもらってしんどくなったら、こんな順番で立て直すといいかもなあと思います。
まず「しんどい」と感じている自分を、責めない
本に戻って「これでいいんだ」と背中を押してもらう
後回しは自分の首を絞めるだけ、と思い出す
とりあえず資料を開く。進める。
一行直す。それだけでいい
知ってるのに、できない。
それで全然いいんじゃないかなあと、最近は思っています。
一緒に、ちょっとずつ感情を引き上げていきましょう。
