【型と自由】──「プレバト!!」の俳句から考える、五・七・五の可能性
はじめに
「自由」とは何も決められていないことなのか。
私たちは「自由」という言葉を、何にも縛られないこととして考えがちです。
決まりがない
制約がない
好きなようにできる
けれど、本当にそうでしょうか
俳句を考えてみると、この「自由」という言葉の意味が少し違って見えてきます。
俳句には、五・七・五という基本的な型があります。
たった十七語で、
言いたいことをすべて説明するには、あまりにも短い。
それなのに、その短さの中から、
風景が立ち上がり、季節が感じられ、
ときには人生まで見えてくる。
不思議なことです。
そこには、「型」と「自由」の関係があります。
MBS/TBS系で放送されている「プレバト!!」の人気企画、「俳句の才能査定ランキング」
俳人の夏井いつき先生が、芸能人たちの詠んだ句を「才能アリ」「凡人」「才能ナシ」の三段階で厳しく評価し、必要に応じて添削していきます。
私はこの番組が好きで、よく観ています。
単なる芸能人の俳句を競う番組ではありません。
限られた五・七・五の言葉の中で、
何を残し、何を削るのか。
一つの言葉を置き換えるだけで、句の景色や余韻がどのように変わるのか。
その過程を見ていると、日本語というものを、
あらためて考えさせられます。
言葉は、ただ意味を伝えるための道具ではない。
一語の選び方によって、
見える風景が変わり、
伝わる感情が変わり、
ときには作者自身も気づいていなかった世界まで立ち上がってくる。
そう考えると、「プレバト!!」の俳句査定は、
笑いながら楽しめる一方で、
日本語の奥深さを学ぶことのできる、
実に尊い番組だと思います。
型は自由を奪うものではない
五・七・五という決まりがあると、窮屈に感じるかもしれません。
しかし、型があるからこそ、
言葉を選ばなければならなくなります。
一つの言葉を入れるために、別の言葉を捨てる
説明したい気持ちを抑える
あえて言わない部分を残す
そうして生まれるのが、俳句の「余白」です
つまり型は、表現を制限するだけではありません。何を残し、何を捨てるのかを作者に問いかけるものでもあるのです。
型を守るから型を破ることに意味がある
俳句には、五・七・五から外れる
「字余り」「字足らず」があります。
さらに近代には、五・七・五という定型そのものから自由になった自由律俳句も登場しました。
ここで大切なのは、
「型を破ったから、より新しくなった」
と単純に考えないことです。
むしろ、型を知っているからこそ、
型を外すことができる。
そこに表現者の意思があります。
五・七・五に収めることよりも、
その瞬間の息づかいや感覚を優先する。
型を捨てるのではなく、型に支配されない。
この違いは大きいと思います。
「自由」とは何でもいいことではない
「自由律俳句」を考えてみても、型を外せば何でも俳句になるわけではありません。
そこには言葉の凝縮があり、
風景があり、余白があり、
一瞬を捉える眼差しがあります。
つまり、型がなくなったとしても、
表現には別の秩序が必要になる。
これは俳句だけの話ではありません。
文章にも、音楽にも、絵画にも、そして人生にも
通じることではないでしょうか。
完全な自由は、案外、表現を難しくする。
何をしてもいいからこそ、
何をするのかを、
自分で決めなければならないからです。
日本文化に見る「型」の思想
日本には、型を重んじる文化が数多くあります。
茶道、能、歌舞伎、書道、武道
そこではまず型を学びます
繰り返し、身体に覚え込ませる
そして、型を身につけた先に、
自分自身の表現が生まれてくる。
「型にはまる」という言葉には、どこか否定的な響きがあります。
しかし、日本文化における型は、
必ずしも個性を消すものではありません。
むしろ、
型を身につけることで、型から自由になる。
この逆説が、日本の文化にはあります。
「道」を志した方なら、この言葉の意味をきっと理解していただけるでしょう。
人生にも「型」がある
考えてみれば、私たちの人生にも型があります。
学校へ行く
仕事をする
人と出会う
家庭を持つ
年齢を重ねる
社会には、さまざまな「こうあるべき」が存在します。その型に沿って生きることで、
安心できることもあります。
一方で、ある年齢になると、
その型に違和感を覚えることもある。
「自分は本当にこれでいいのか」
そう思ったとき、人は少しずつ自分の型をつくり始めるのかもしれません。
型から外れることが、必ずしも自由ではない。
自分にとって必要な型を、自分で選べること。
それが、本当の自由なのではないでしょうか。
おわりに 型の中に自由があり、自由の中にも型がある
俳句の五・七・五は、何百年もの時間を超えて残ってきました。
しかし、その一方で、
俳句は五・七・五から外れることも許してきた。
ここに、俳句という表現の強さがあるように思います。
型がある
だから、型を超えられる
そして、型を超えたとしても、
そこには新しい秩序が生まれる。
考えてみれば、私たちの人生も同じなのかもしれません。
型だけでは窮屈になる
自由だけでは、
どこへ向かえばいいのかわからなくなる。
だからこそ、
型と自由の間に、
自分だけの生き方を見つけていく。
俳句の十七音が教えてくれるのは、言葉の技法だけではありません。
限られたものの中で、何を選ぶのか
何を捨てるのか
そして、どこまで自由になるのか
それは、短い句をつくること以上に、人間がどう生きるのかという問いなのかもしれません。
(随筆随想)
