見出し画像

一家に主婦は二人いらない

実母との同居がこんなに疲れるものだと、同居する前は知らなかった。
一家に主婦は二人いらない、という言葉を誰かに教わったわけじゃない。渡る世間は鬼ばかりだったかしら、あの手のドラマで知った。でも同居を始めて何年か経った今なら、その意味が骨身にしみてわかる。母との同居に疲れている人は、たぶん私だけじゃないと思う。

同居が始まったとき、私はまだ「家族なんだから、うまくやれる」「夫婦だから理解してもらえる」と思っていた。血の繋がった親子なんだから、義理の家族との同居よりよっぽど気楽なはずだと。実際に始まってみて、そうじゃなかった。

台所からしてそうだった。私の家なのに、冷蔵庫の中身の並べ方は、いつのまにか母のルールになっていた。しょうゆの位置、買い物。野菜室の使い方、鍋の置き場所。私が変えると、次の日には元に戻っている。何も言われない。ただ、静かに、確実に、元に戻される。

洗濯物のたたみ方もそうだ。なぜか母が洗う。夫の下着もだ。
私のたたみ方は、母からすれば雑らしい。私が畳んだタオルは、私が見ていない間に、母の手でもう一度畳み直される。それを見つけたとき、正直、笑ってしまった。怒る気力もなかった。夫は無言でいてくれた。

テレビのチャンネル権にいたっては、話し合いすらしたことがない。気づいたら、リビングのテレビは母の見たい番組がついている。夫は見たい番組があるときは、自分の部屋のパソコンで見る。それが冷たい人だね、食卓を囲んでみるものじゃないのかといわれるが、そんな食事を幼いころからしてきたことはない。

こういう話を人にすると、「実母なんだから贅沢な悩みじゃない」と言われることがある。そうなのかもしれない。義理の母じゃないんだから、もっと気楽なはずでしょう、と。でも、実の母だからこそ、遠慮のいらない分だけ、境界線があいまいになる。義理の関係なら引ける一線が、実の親子だと引きにくい。

一家に主婦は二人いらない、というのは、たぶん誰も悪くない話なんだと思う。母は母のやり方で、この家をずっと回してきた人だ。母にとって義母に当たる祖母を追い出してきずいた城。正確には今は私たちが借りている部屋だけれど。今さら自分のやり方を変えろと言われても、変えられないのかもしれない。

でも、いつまでも子供扱いされている感覚だけは、消えない。兄弟は、夫にうちの親子のことをこう話していたのが聞こえた。「いつまでも親離れ子離れの出来な親子で」。
え、そうなのかな?
誰もやらないからこうなってるの、誰も覚えてないよね、きっと。

何かを決めるとき、最終的には母の判断が優先される。私が生活費を支えていても、私が仕事で疲れて帰ってきても、この家の中での序列は、なぜか変わらない。仕方ない仕方ない。何度言ってきただろう。でもちょっと疲れた。言ってもいいよね、ちょっと疲れたって。

断れない性格だから、私は毎回、黙って合わせてきた。
夫は何も言わなかった。ひたすらスマホゲームを叩いていた。
台所のルールも、洗濯物のたたみ方も、テレビのチャンネルも。合わせることに慣れすぎて、自分が何にどれだけ我慢してきたのか、数えたこともなかった。

母との同居に疲れたとき、逃げ場はどこにあるんだろう。
実家に主婦は二人いらない、という言葉だけが、頭の中でずっと繰り返されている。答えは出ない。

もしも夫に逃げられたら。
脳裏に過るが、その不安をかき消すように、今日もまた、母のルールに合わせて、静かに冷蔵庫のしょうゆを、母の定めた位置へと戻す。

ここから先は

0字

¥ 100

創作が長く続けられるよう、応援よろしくお願いします