商品券、あるいはタダ券の使い方
時々心の中でもやもやーってすることがある。
子供の頃、10円玉を拾って遠くの交番に届けたら、お巡りさんが褒めてくれて、ポケットから10円玉を出し「ちゃんと届けられてえらいね」と言ってくれた。
小さな正義感が交番までわたしの背中を押してくれていたのに、その10円玉は子ども心に善行の光栄をむやみに曇らせた。
そんな感じ。
新年度が始まる4月、我が町からちょっと分厚い封筒が送られてきた。
町民応援商品券というやつだ。近隣の自治体でも配っているが、我が町は周辺と比べだいぶ高額だった。5人分。10万円はいかないけど、結構それに近い金額になった。期限は3ヶ月。
さて何に使おう。
町内には小さなスーパーが1軒で、ドラッグストアは2軒あるが最近できた大型チェーン店は対象店舗ではない。魚屋さんは何軒かあるが、八百屋さんはないんじゃないかな。電気屋さんも2軒あるが両方とも某メーカーの専門店で何か物を売っている気配はない。個人経営の食事どころは何件もある。コンビニも1軒対象店だ。
賢く使おうと考えすぎて、スタート半月は一枚も使うことができなかった。
――ああ、まずい。もう半月過ぎた。
遠くの方で小さな焦りの火がついた気がした。
――なんでもいいからまず使おう。
小さなドラッグストアへ向かう。
トイレットペーパー、シャンプーとコンディショナーの詰め替え。台所洗剤。食品用ラップ。
手当たり次第に”腐らないもの”をカゴに放り込む。
――最近なんでも値上げ値上げだからちょっとありがたいかも。
とりあえず初日はこんなもんでいいかな、などと思いつつ会計すると2976円。ピリリと3枚切り離して渡すと
「お釣りは出せないんですぅ。」
真っ黒に日焼けしたお姉さんが口をとんがらせて一枚トレーに戻す。舌打ちしないようにお口をしっかり閉じて千円札を出して商品券を引っ込める。
当分必要としない物に貴重な生活費を取り崩してしまったわけだ。
――次からはもう少し計算しながら買い物せねば。
家に帰って主人と娘に話すとどちらも「ふーん。」
町内専用商品券の威力なんてそんなもの。
「モバ充、アマゾンのカートに入ってるから、次何か買う時一緒に買っといて」
――だから、今私は町内で買い物という使命があるんだって。
ドラッグストアは便利だ。ある程度、日配品も置いている。チーズや牛乳、納豆、豆腐くらいならスーパーと値段も変わらない。でも生物は買いだめするわけにいかない。
結局牛乳2本と納豆をカゴに入れ、トイレットペーパーを買ってなんとか1000円をわずかに超える。
――1枚しか使えなかった。
スーパーに行く。小さなスーパー。入り口を入ると正面の一等地に猫の額ほどの島があって、なぜかいつも同じ果物が乗っている。
壁沿いにすいすいと進むと3分あればレジに辿り着いてしまう。
何か、何かを買わなければと瞼をかっぴらいて棚の商品一つずつ目で追う。
――え、コレだけ?しかもなんか、高くない?隣町のスーパーなら肉も魚ももっとずっと安いんだけど。お菓子は定価だし。
小さな漬物のパック、パン、ティーバッグ、ジュース1本カゴに入れて商品券1枚で会計を済ます。
思うように使えない。タダ券なのに日頃の節約根性が染み付いて手を伸ばすことができない。
1枚、2枚、じわりじわりと消費はするものの、5冊あった束はまだ4冊が未使用だ。
――何か大きなものを買わなければ間に合わない。
そうだ!アレだ!
実はかねがね買おうと思っていたものがある。ヘアアイロンだ。独立した娘が今まで使っていた物を持っていってしまったので、とりあえず2軍の物を使っていたのだ。
町内の電気屋はメーカー専門店なので、そのブランドの高額の物をネットで調べる。いい感じのお値段で見つけた。ネットでもさほど値引きしていない。「コレだ!」と型番をメモして電話をかける。
果たして小売などしているのか。
「大丈夫ですよ。すぐ取り寄せますね」男性の店員さんが愛想良く請け負ってくれた。
――よしよし、これで17枚消費は約束された。3束目に突入だ。
私は夜勤が多いが、日勤もある。早番も遅番もあるから帰宅時間はまちまちで、完全にその日暮らしでやっている。
――あ、今日は帰り道で買い物して行こうかな。
いやいやまてまて、家まで戻って町内で買い物しなきゃダメだ。商品券がまだまだあるんだっけ。
家に帰ると仕事の疲れが追いかけてくる。
――買い物は明日にしよう。
仕事場は家から町内とは反対方向なので、少しだけ面倒くさい。気力の上乗せが必要だ。
取り寄せたヘアアイロンが届いたと連絡がきた。初めてのお店にちょっとだけ緊張しながら入店する。
「いらっしゃいませ。」見慣れない顔にヘアアイロンの客と分かったのだろうか。
パソコンで何やら作業していた電話と同じ声の男性が「おーい」と呼ぶと、山積みダンボールの影から小さな高齢女性が出てきた。
ヘアアイロンはレジ横にすでに置いてあったが、女性は履いていたサンダルを脱いで一旦奥に入っていき、メーカーの名前の入ったティッシュの箱を一つ持って戻ってきた。
未使用の商品券1冊と、使いかけの束から数枚ぴりりと切り取って渡すと”えっ”という顔をする。
こちらも驚いて
「使えますよね?」
と慌てて聞くと
「はいはい、大丈夫ですよ。」
女性は答えてヘアアイロンとティッシュの箱を渡してくれた。
――ここで商品券を使う人はいないんだろうか。
店を出て車に乗るとなぜだかお線香の匂いが漂っていた。
――このティッシュもらっちゃったけどご先祖様は鼻かんだら困らないかしら。
朝帰り、夕方帰り、いそいそとドラッグストアへ詣でる。
――今日は娘のおやつのグミを買おう。
グミを数種類とシャンプー、コンディショナーの詰め替え。1000円を少し超えたから2000円を目指す。牛乳とボディソープ。うーん、とりあえずトイレットペーパー。
2枚消費。
――娘は喜ぶわね。
ドラッグストアへ。
2枚消費。
――あれ、今日、何買ったんだっけ?
スーパーへ。
1枚消費。
――また牛乳買ってしまった。
熱心なドラッグストア信者の如く、通い詰める。
気づけばあと残り1ヶ月。
レジで商品券を使う人も最近は見かけない。
誰も並んでいないタイミングでレジに向かう。
――いまだに使っている人なんてわたしだけ?
トイレの棚にトイレットペーパーは収まらなくなり、廊下に置くことにした。その横にティッシュの箱も並べる。
――ホルムズ海峡が完全閉鎖してもうトイレットペーパーは3ヶ月くらいは安心ね。
仕事で使っているボールペンのインクが切れた。
――ドラッグストアに置いてあったかな?でもインク1本じゃ買えない。他に買う物は…。何か仕事の時に使う物…。お弁当で食べる物…。
仕事ノートの端にボールペン替芯、レトルトカレーとメモする。
明日は早番だ、と今日は早く寝なきゃとベッドに入る。
――早く帰れるから、明日はドラッグストアとスーパーの両方行こう。何買おう…。
何も思いつかない。ありそうで、ない。行ってから考えよう。なんとなく寝付けない。
休日になると娘をドラッグストアに誘ってみる。
「なんでも買ってあげるから」
「だってあそこ何もないじゃん」
と娘。結局1人でお買い物。
栄養ドリンク、お風呂の洗剤、とりあえず腐らないトイレットペーパーとティッシュ。
お菓子と牛乳、卵、とりあえずラップとシャンプー、コンディショナー。
狭い廊下がなおさら狭くなる。掃除機をかけようとするとトイレットペーパーの壁が崩れる。
イライラ
閉じた財布から緑の紙がはみ出ている。
――仕方ない。外食するか。
「ねえ、どこかにご飯食べに行かない?タダだからさ」
「別に行ってもいいけど」
と主人。
「ダイエットしてるから行かない」
と娘。
――協力してよ。
ドラッグストアで財布を開くたび緑色の商品券が目に入る
――ああ、まだある…。
――もう商品券なんてみんな使い切ったよな。
トイレに入るとトイレットペーパーの山に扉が当たり跳ね返っておでこを打つ。
――もうっ。
お菓子の棚にはいつになくたくさんのお菓子が積んである。
――隣町のスーパーで期間限定のスナックが食べたいな。
あと1週間。曇りがちの天気。気持ちが乗らない。
後4日。なんとか残り2枚。
仕事の都合で買い物できる最終日。
最後のお願い。何か買わせて。
ぐるぐる店内を巡る。トイレットペーパーに換算したら4つ分。もうそんなにいらない。
もう1周。
――どうしよう。どうしよう。
手に持っていたスマホがブルブルする。
ハッと我に帰り県外の娘の名前の表示に気づく。店の端へ行って小声で
「もしもし」
「暇だから電話したー」
と娘。
「今暇?今日休みでしょ?」
と続ける。
「ママ、今それどころじゃないの。急いで2000円買い物しなきゃ行けないの。」
とわたし。事情を説明する。
「じゃああたしの日焼け止め買ってよ。一番高そうなやつ。」
突如通路が開け、店内が広く拡張していく。両肩に乗っていた何かがゴロゴロと崩れ落ちが、背筋が伸びる。顔を上げ揚々と日焼け止めコーナーへ向かう。
――あった。2000円ちょっと超える日焼け止め。
最後の2枚を台紙から切り離し、胸を張って店員に手渡す。
これでわたしも卒業よ。
晴れ晴れとした気持ちで車に戻ると
「あぁ、疲れた。」
1人呟く。頭の中のバツ印だらけの買い物メモが薄れていく気がした。
再び娘から電話がかかってきた。
「2000円超えた?」
なぜだかよくわからないが娘に礼を言うと
「それ着払いでもいいよ。」
遠いところの娘は冷静だった。
そういえばあの10円玉、どうしたんだろうね。
きっとモヤモヤしながらも使ったんだろうね。

