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宝条潤と九条蓮 推理の交錯 -音楽家たちの連続殺人- 第3話「マクロとミクロの鑑定眼(スキャナー)」

第3話「マクロとミクロの鑑定眼(スキャナー)」

ルクス国際音楽祭 コンサートホール

九条と潤たちはホールを後にして、一度玄関へと戻った。先頭を歩いていた瀬尾が振り向く。

瀬尾 隆
「関係者は6名……全員が【ルクス国際音楽祭】に関わっています。殺された天堂さんもその1人です。今は会場の方で準備とリハーサルを行っています。事件のことと、事情聴取をすることは伝えてますが……」

瀬尾の視線は、困ったように最後尾にいた九条に注がれる。九条はアタッシュケースをぶら下げ、スマートグラス越しに見つめ返す。

瀬尾 隆
「九条さん……行きます?」

九条 蓮
「断る」

はっきりとした口調だった。「だろうな」「ですよね」と柴田と五味が肩を竦める。

九条 蓮
「汚濁まみれの空間を移動するのも耐え難いというのに、複数の人間から声を聞かされるなど苦痛なだけだ。私はあくまで『整理』に来ている、警察や探偵の真似事をしたい訳ではない」

宝条 潤
「まあまあ、九条先生」

苦笑いをしながら、潤が宥めるように言う。

宝条 潤
「話を聞くのは、僕や警察に任せてください。九条先生は、そこにいてくれるだけでいい。『事情聴取』ではなく、『鑑定』をお願いしたいんです」

神谷 遥香
「潤、それってどういうこと?」

遥香が不思議そうに首を傾げている。潤は表情を引き締め、グラスの奥にある冷たい瞳を見る。

宝条 潤
「九条先生が見るのは、容疑者たちの様子だ。視線がぶれているとか、指の動きがおかしいとか……九条先生なら簡単に見抜けると思う。何かおかしなところがなかったか、逐一チェックしてほしいんだ」

神谷 遥香
「なるほど……もし違和感があれば、犯人だという証拠になるかもしれないってことね」

宝条 潤
「そういうこと。なんなら、声が邪魔になるなら耳栓やヘッドホンをしてもらっても構わない。九条先生には『鑑定』に集中してもらいたいんです」

潤の言葉に、九条はしばし目を閉じる。それから、ゆっくりと瞼を上げた。

九条 蓮
「……耳栓は必要ない、声の揺らぎが聞き取れなくなる。但し会話の内容は追わない、私は君の言う通り『鑑定』のみ行わせてもらう。あくまで『整理』のためだ」

宝条 潤
「それで構いません、よろしくお願いします」

潤がほっとしたように顔を緩め、周囲も胸をなでおろす。
潤は遥香たちと共に会場へ向かい、九条はいつもと同じく五味の車へと乗り込むことに。
ようやく汚染空間から逃れられた安堵なのか、珍しく九条が小さく溜め息を吐いた。

五味 剛
「先生、ここに来てから1時間くらいしか経ってないですよ。どんだけ疲れてんですか」

九条 蓮
「当然だろう、本当なら1分でも滞在したくない空間なんだ。この車内だけが比較的クリーンになっているだけで、このまま自宅へ引き返したいくらいだが」

五味 剛
「いい加減慣れてください……それで、宝条先生はどうですか?結構息合ってましたよ」

九条 蓮
「……君たち警察よりも遥かに優秀であることは確かだと言っておこう」

五味 剛
「へえ、先生にしては珍しい褒め言葉ですね」

九条 蓮
「事実を述べているだけだ」

シートに深くもたれかかりながら、九条は『灰の斑点』で一時的なデトックスを試みる。
これから向かう第二の汚染空間への拒絶反応を無理やりに押し込み、常温の水でゆっくりと喉を潤した。
上空では、まるでこれから巻き起こる事件を連想させるような、鈍色の雲が姿を現しつつあった。

【ルクス国際音楽祭】の会場は、まだリハーサル段階ではあったが緊張感と張り詰めた空気に包まれていた。
天堂邸よりも雑多で混沌とした空間に、九条のオーラはますます分厚く強固なものとなっている。
車から降りると、嫌悪感を全面に出したままポケットのピンセットを確認していた。

宝条 潤
「九条先生、五味警部補、行きましょう」

その様子に臆することもなく、潤は九条と五味を促した。
遥香や柴田は先に関係者へ話をつけに行っているらしく、3人で煌びやかなエントランスをくぐる。
仕立てのよい絨毯が敷かれたホールを足早に抜け、舞台裏へと向かっていく。

五味 剛
「宝条先生、慣れてますね」

宝条 潤
「先日も弟と遥香と一緒にリハーサルを見に行ったんです。音楽祭も楽しみだったんですけど……まさかこんな形になるとは」

五味 剛
「さすがは天下の宝条グループですねえ」

宝条 潤
「そんな大層なことでもないですけどね」

徐々に慣れてきたのか、五味と潤は軽妙にやり取りを交わすものの、九条は相変わらず口を開かない。
無駄に反響する声も、興味のない会話も、九条にとってはどちらもノイズに変わりないのである。

雑然とした舞台裏を通り、控室へと向かう。ほとんどのドアが閉まっていたものの、最も大きな控室のドアが半分ほど開いている。
ここが目的地だったらしく、潤がコンコン、とドアをノックした。

宝条 潤
「失礼します」

淀みない声で言い、潤がドアを押し開ける。先に到着していた遥香たちと、集められていた関係者が一斉に視線を寄越してきた。

如月 レイ
「宝条先生」

宝条 潤
「お忙しいところすみません」

如月 レイ
「いえ」

レイは穏やかに微笑む。

宝条 潤
「こちら、事象整理コンサルタント兼分類学者の九条先生と、警視庁の刑事さんたちです」

九条がお辞儀をする。柴田やほかの刑事たちもお辞儀をし、警察手帳を見せる。
控室には、男性と女性がそれぞれ3名ずつ待機していた。年齢もバラバラで、表情にも緊張が見え隠れしている。

九条は入り口近くを陣取り、6名全員の姿を俯瞰で解析した。無言でスマートグラスの出力を調整し、視界をモノクロへと変換させる。
不快な色彩がすべて剥ぎ取られ、世界が濃淡の影(グラデーション)へと収束していく。
6人の容疑者たちの体温、呼吸による胸の上下、皮膚の微動だけが、九条の網膜に冷酷な数値として浮き彫りになった。

九条 蓮
「……五味君、彼らの名前はわかるか?」

五味 剛
「ああ、はい。ここにメモしてます」

五味は警察手帳をめくり、当該のページを九条に掲げた。相変わらず整っていない彼の字体に内心溜め息を吐きながら、脳内にそれを記録していく。

『如月レイ:ピアニスト』
『天音美玲:ソプラノ歌手』
『黒崎真音:ヴァイオリニスト』
『朝比奈響:指揮者』
『茂呂敬四郎:調律師』
『久遠寺雅臣:音楽祭プロデューサー』

五味 剛
「知ってる人いるんですか?天堂さんみたいに」

九条 蓮
「界隈では名が知られている人物ばかりだ。ただ、天堂氏のように私の中ではあくまでデータの1つに過ぎない。目録(インベントリ)の隙間に挟み込まれているだけだ」

九条は目を閉じて、記録されている彼らの氏名と肩書に新しく顔をファイリングする。
6名は重装備の九条に、訝しげな視線を送っている。遥香は咳ばらいをして、真剣な表情で口を開く。
潤は少し表情を曇らせる。

宝条 潤
「実は、お伝えしなければならないことがあって……」

レイの表情が引き締まる。

宝条 潤
「昨日、天堂響一さんが殺害されました」

神谷 遥香
「そのことについて、お話を聞かせていただきたく思います」

改めて遥香が事件のことを伝えると、各々が不安そうに顔を見合わせる。最初に口を開いたのは、指揮者の朝比奈だった。

朝比奈 響
「信じられません……天堂先生が殺されたなんて」

神谷 遥香
「朝比奈さん、そう思われるお気持ちはわかります。しかしながら、事件は実際に起こっているんです。解決のためにも、ご協力をお願いします」

茂呂 敬四郎
「ふん……協力と言いながら、実は我々を疑っているんじゃないだろうな。関係者だからと言って犯人扱いされたら、たまったものではない」

不本意だという態度を隠そうともせずに言うのは、調律師の茂呂である。遥香が若い女性と言うこともあり、その分大きく見せているのだろう。
柴田が遮るように口をはさむ。

柴田 元治
「申し訳ありませんが、事件が事件なんでね。音楽祭のこともあって心配でしょうが、ここは穏便にお願いします」

久遠寺 雅臣
「そうだな。今は素直に協力しよう、音楽祭に泥を塗らないためにも」

彼を制したのは、【ルクス国際音楽祭】の総合プロデューサーの久遠寺である。茂呂は鼻を鳴らし、どっかりと椅子に腰かけた。
漂う不穏な空気に、客間の温度が少しだけ下がったような感覚を九条は覚えた。

黒崎 真音
「……でも、何を話せばいいんでしょうか?最近は音楽祭のことにかかりきりで、特に変わったことは……」

不安そうに目線を泳がせているのは、ヴァイオリニストの黒崎だった。それに同調するように、隣に立つ目つき鋭い女性―天音も大きく頷いた。

天音 美玲
「真音ちゃんの言う通りよ。協力するのはいいけれど……どう見たって警察じゃない人もいるのはどうしてなの?あなたは小説家の宝条潤でしょう……あそこにいる人は、防護服みたいなの着てるし」

部屋中に通るような声。さすがソプラノ歌手というだけあり、離れている九条の鼓膜を強く震わせてくる。九条は何も言わず、グラスの向こう側で彼らを見つめているだけだった。

九条 蓮(心の声)
(……声帯の振動数、340ヘルツ。完璧な発声だが、語尾の減衰が不自然に急すぎる。動揺を押し殺すために、喉の筋肉を限界まで硬直させているな)

神谷 遥香
「潤……宝条先生は、私たちが要請して捜査に協力していただいています。あちらにいらっしゃるのは特別な元鑑識の方です、警察の関係者ですのでご安心ください」

如月 レイ
「宝条先生がいらっしゃるなら、安心ですね」

凛とした声で、レイが少しだけ微笑んだ。潤は頬を緩ませ、恭しく頭を下げる。

宝条 潤
「先日のリハーサルではありがとうございました。不本意な形で再び顔を合わせることにはなってしまいましたが、今日もよろしくお願いします」

如月 レイ
「勿論です、微力ながら協力させていただきます」

途端に饒舌になった潤に、明らかに遥香が険しい表情を浮かべている。九条はそこまでとはいかないものの、ほんの僅かに顔を歪めていた。

九条 蓮
「……声と表情筋が弛緩しきっている、五味くんよりも不愉快だ」

宝条 潤
「さらっと俺までディスるのやめてもらっていいですか?まあ仕方ないんじゃないですかね、如月レイって演奏もですけど、美人で有名みたいだし」

九条 蓮
「外見に惑わされて、肝心なことを見落とさなければいいが……宝条先生。あなたの言う『物語』とやらは、女性の容姿(ノイズ)によってこれほど簡単に推理(プロット)が歪むものなのか。実に非合理的だ」

九条は冷たく言い放ちながらも、その瞳は解析することをやめていなかった。
指先、視線、唇、喉の震え……すべてが九条の手中で、目まぐるしく数字と記号に変換され、羅列され始めていた。

神谷 遥香
「……では、今からお話を伺わせていただきます。まずは、昨日から本日にかけての皆さんの行動をお聞かせ願います」

遥香が中心となり、聴取が開始された。所謂不在証明(アリバイ)の確認であり、形式的な質問がそれぞれに投げかけられる。
九条は会話の内容を注視することはなく、彼らの声を鼓膜へと通し数字(データ)へと濾過していく。

九条 蓮
「それでは、昨夜はおひとりで過ごしていたということですね?」

茂呂 敬四郎
「さっきからそう言っているだろう。俺には関係ないことだ、さっさと帰らせろ。暇じゃないんだ」

先ほどから苛立ちを露わにしている茂呂の語気が、段々と強まっている。
しかしその明らかな不自然さには早々に興味を失った九条の視線は、彼の右手首に鋭く突き刺さっていた。
そこにはサポーターが施されており、皮膚を覆い隠している

九条 蓮(心の声)
(右前腕の筋肉に、不自然な硬直と微小な震え(エラー)。調律師特有の職業病ではない。昨夜、通常使わない『太いスチール弦』を、素手で限界まで巻き上げたことで生じた急性の筋繊維の微細断裂……彼が犯人か? いや、それにしては歩幅の荷重分布が絨毯に残された足跡と一致しない。この男は、犯人ではない。別の『誰か』に、その腕(調律)を利用された不純物だ)

九条はタブレット端末とスタイラスペンを取り出し、素早く結果を記録していく。
カチ、カチというペンが画面を叩く音が、容疑者たちの嘘もしくは真実をめくっていくメスの解体音となり始めていた。

久遠寺 雅臣
「茂呂、落ち着けよ。変に怒っているとますます疑われるぞ?正直に話せばいいんだから」

茂呂 敬四郎
「正直に話したところで、結局証拠やアリバイがないとかで犯人扱いされるのがオチだ。そんなことは我慢ならん」

どこまでも傲慢な姿勢を崩さない茂呂に、特に若い捜査員たちは委縮してしまっているような空気を醸している。
久遠寺や柴田がなんとか宥めようとしているものの、茂呂の苛立ちは減少どころか増幅の気配を見せるばかりだった。
潤は遥香の隣に立ち、茂呂の瞳を静かに見つめていた。

宝条 潤(心の声)
(……僕と視線が合わない。一度くらい合ってもいいはずなのに、この距離でも重なることがない。意図的に逸らしているとすれば、もっと不自然になる。ということは……)

潤の視線が、茂呂のそばに立っている久遠寺に注がれる。それと同時に、茂呂の視線が一瞬だけ久遠寺に向いたのを、潤は見逃さなかった。

宝条 潤(心の声)
(やっぱり、茂呂さんは久遠寺さんにさっきから何度も視線を送っている。茂呂さんは怒っているんじゃない、怯えているんだ。彼と久遠寺さんの視線の交わし方には、共犯者特有の『秘密の共有』と、それが崩れることへの恐怖の物語が流れている)

潤の脳内で、推理(プロット)が積木のように組みあがっていく。その背後で、九条は絶え間なくペンを滑らせていく。
茂呂の氏名の隣には、潤も読み取った『恐怖』、そして『焦燥』の文字が冷たく残された。

天音 美玲
「本当に解決する気はあるんでしょうね?警察が頼りにならないから、推理作家や変な鑑識を呼んでいるんでしょ?」

茂呂と同じく声を荒げているのは、こちらも険しい表情を浮かべている天音美玲である。
潤や捜査員は苦笑いを浮かべるだけだったが、九条の視線は彼女から剥がれることはない。

九条 蓮(心の声)
(彼女が『推理作家』というワードを口にした瞬間、瞳孔が0.8ミリ散大した……なぜ彼女は、宝条潤という存在をこれほど警戒している?プロットの破綻(エラー)を恐れているな)

天音のデータに『警戒』という文字を刻む。九条の手元の動きに気付いたのか、天音は唇をきゅっと結んだ。

如月 レイ
「美玲さん、不安に思う必要はないでしょう。宝条先生は素晴らしい推理作家さんです、きっと早々に犯人を捕まえてくれるはずですよ」

天音 美玲
「あなたに偉そうに言われる筋合いはないわよ。また男に媚を売ろうとでもしてるんでしょう、涼しい顔をして中は何を考えているんだか」

朝比奈 響
「天音さん、今如月さんにそんなこと言ってどうするんですか。天堂先生が殺されたんですよ、揉めている場合じゃないです」

慌てた朝比奈が止めに入るものの、天音はきつく如月を睨みつけている。如月は動揺することもなく、穏やかな表情を浮かべていた。

宝条 潤(心の声)
(……彼女の刺々しい言葉は、警察への不満じゃない。僕と如月さんが親しげに話したことへの『明確な嫌悪』だ。まるで、大好きな誰かを奪った泥棒を見るような目……彼女と如月さんの間には、どんな過去(プロット)が隠されている?)

潤は目を閉じて、容疑者たちを線と線で繋いでいく。

『過去に確執があった?』
『秘密を共有している可能性』
『何かに怯えている』

九条とは異なり、読み取った感情から仮定を次々に書き込んでいく。さながら、物語の推敲を行っているかのようであった。

宝条 潤
「……でも、早めに開放してほしいのは僕も同じです。音楽祭のリハーサルだって控えているんですよ、話が終わったら帰してくれるんですよね」

朝比奈も困ったような顔をしながら、遥香たちにそう訴える。「一通り終わったら」と遥香が言いかけたところで、九条がタブレット端末から顔を上げた。

九条 蓮
「……先ほどから、貴方たちの身体と動作は明らかに『恐怖』を表現している。特に茂呂氏と久遠寺氏、それに朝比奈氏……何故だ?」

周囲が水を打ったように静かになる。それを引き裂いたのは茂呂だった。

茂呂 敬四郎
「恐怖だと?ばかばかしい、聞かれるまでもないだろう。殺人事件が起こったんだぞ」

九条 蓮
「それが恐怖の根本的原因とはならない。まだ容疑者の段階だ、無実なら怯える必要はないはずだ」

茂呂 敬四郎
「ふざけるな!天堂が殺されたんだ、俺たちだって被害に遭うかもしれない、」

宝条 潤
「……被害に遭う心当たりがあるんですか?」

茂呂の声を遮り、潤が問う。その言葉に茂呂はしまったと顔を強張らせた。

宝条 潤
「僕も、茂呂さんたちが何かに怯えているように感じていました。九条先生の解析と、あなたの発言で確信を持てました……自身が被害者になり得る理由とは、一体なんですか?」

潤と九条の視線が、容疑者たちに注がれた。捜査員たちは困惑した様子で2人を見ていたが、天才たちの目は逃すまいと網を張り巡らせている。

茂呂 敬四郎
「……ふざけるな!もう付き合えん、俺は帰る!」

しかしそれを振り払うようにして、茂呂は足早に歩き出してしまった。捜査員たちの制止を振り切り、扉を開けようとした。

九条 蓮
「――『焦燥』という狂った音叉で、自身を破滅へと調律しないことだな」

九条の冷徹な声に、茂呂が瞳孔を大きく見開く。しかし何も言い返すことはなく、わざとらしく大きな音を立てて扉を閉めた。

茂呂の足音が苛立たしげな調律で去っていく。客間は気まずい空気が漂うものの、九条は気にも留めない様子で再びタブレットに視線を落とした。

久遠寺 雅臣
「……茂呂が出て行ったなら、私たちも構わないか?話せることは全部話しましたが」

おそるおそる久遠寺が口を開く。他の4名は口を開かないものの、同調するように遠慮がちに頷くしぐさを見せている。
遥香がちらりと潤を見ると、潤は軽く顎を引いた。

神谷 遥香
「では、本日はこれで終わりとさせていただきます。何かあればすぐに連絡させていただきますので、くれぐれもご自身の行動には注意して下さい。お忙しい中、ありがとうございました」

遥香が言い終えると同時に、久遠寺が待っていたとばかりに腰を上げ、控室から出て行こうと歩き出す。
朝比奈が慌てて後を追い、未だ憮然とした様子の天音がヒールを鳴らしながら続く。
委縮している黒崎は顔を伏せたままで、殿の如月がそれを支えるように肩に手を置いていた。

宝条 潤
「――九条先生、さっき茂呂さんに『焦燥』と言ってましたよね。何かに焦っているということですか」

最後の1人が出ていくと、潤が早速九条に声を掛けた。九条は鎮静のルーティーンを行った後、ようやくスマートグラスを外す。何の感情も持たない冷たい瞳が、潤を見上げた。

九条 蓮
「茂呂氏の指先の震えは恐怖からくる反射によるものだが、喉の開きや視線の振れ幅は焦燥によるものだ。久遠寺氏も同程度の数値を記録している」

宝条 潤
「朝比奈さんは?彼にも恐怖が見えると言っていましたが」

九条 蓮
「それに間違いはない。ただ、彼には『焦燥』が見られなかった。茂呂氏と久遠寺氏とは、また異なる恐怖を抱いているということだろう」

宝条 潤
「違う恐怖……」

潤は噛みしめるように反芻し、顎に手を当てる。それから何かを思いついたらしく、遥香に向き直った。

宝条 潤
「遥香、さっきの6名に共通する揉め事みたいなことがなかったか、調べた方がいい。天堂さんが殺された理由も、おそらくそれが関係している」

神谷 遥香
「わかったわ、調べてみる。皆さん有名な方だし、きっとすぐに出てくるはずよ」

宝条 潤
「頼んだ。何かわかれば知らせてほしい……九条先生、他に気になることは?」

九条 蓮
「……ひとまずは、解析は終了している。導き出せる論理的な答えはこれ以上ない……ただ、わかってるのは……」

九条の目は、窓の外に映る曇天を見つめる。今にも泣き出しそうな空が、重く垂れこめていた。

九条 蓮
「次に奏でられるのは、『D』だということだ」

如月 レイ
「D?」

潤が写真を見せながら説明する。

宝条 潤
「実は、今回の殺人現場には妙なメッセージが残されていました」

如月 レイ
「メッセージ?」

宝条 潤
「指揮棒。破られた楽譜。そして"G"という文字」

レイは写真を見つめる。

宝条 潤
「僕も九条先生も、連続殺人の可能性を指摘しています」

如月 レイ
「……」

レイはしばらく考え込む。
潤は続ける。

宝条 潤
「現場の状況から考えると、犯人は音楽関係者である可能性が高い。さらに"G"という文字は、ヴァイオリンのG線を意味している可能性があります」

レイの目がわずかに動く。

如月 レイ
「……なるほど」

黒崎 真音
「G……」

神谷 遥香
「何か心当たりがありますか?」

真音は写真を見つめたままゆっくり説明する。

黒崎 真音
「ヴァイオリンには4本の弦があります。低い方から順に――G線、D線、A線、E線」

宝条 潤
「……」

黒崎 真音
「そしてG線は最も太い弦です。音も重くて深い」

如月 レイ
「天堂さんみたいな大物指揮者を象徴するには確かに合うわね」

黒崎 真音
「ええ」

真音は写真を見る。

黒崎 真音
「もし犯人が本当にヴァイオリンの弦を見立てにしているなら……」

真音の顔が曇る。

黒崎 真音
「この事件はまだ終わっていないと思います」

九条 蓮
「やはり……」

如月 レイ
「もしまた誰かが殺されるとしたら……」

レイは不安そうに呟く。
静寂。誰も軽々しく言葉を返せない。

潤はそんなレイを見る。そして静かに言った。

宝条 潤
「……犯人は僕が必ず見つけます」

如月 レイ
「本当ですか?」

宝条 潤
「はい」

潤は笑顔になる。

宝条 潤
「きれいな女性を不安にはさせられません」

如月 レイ
「……」

黒崎 真音
「……」

一瞬沈黙。

レイは思わず吹き出す。

如月 レイ
「ふふっ」

黒崎 真音
「噂通りですね」

宝条 潤
「え?」

黒崎 真音
「女性に弱いって」

宝条 潤
「誰がそんなことを……?」

如月 レイ
「有名ですよ」

宝条 潤
「えぇ……?」

練習室に少しだけ笑いが戻る。
しかしその瞬間……潤の背筋を冷たいものが走った。

宝条 潤
「……っ」

如月 レイ
「どうしました?」

宝条 潤
「いや……」

潤は首を傾げる。

宝条 潤
「なんか急に寒気が……」

振り返ると、遥香が鬼の形相で見ていた。

神谷 遥香
「……」

宝条 潤
「は……遥香……?」

九条は不思議そうに見ている。

九条 蓮
「……わからない……男女で関わるほど無駄な時間はないというのに、なぜ君たちはここまで仲良くしている?」

宝条 潤
「まあ、幼馴染なんで……っていうか、先生は恋愛とか興味ないんですか?」

九条 蓮
「ない」

宝条 潤神谷 遥香
(やっぱり即答!)

その日の夜 神奈川県相模原市 茂呂敬四郎の別荘

深夜。
山間部に建つ豪華な別荘。周囲には人影もなく、静寂だけが支配している。
別荘の一室で世界的調律師・茂呂敬四郎は、1人でワインを飲んでいた。
テーブルには楽譜。そして音楽祭の資料。

茂呂 敬四郎
「まったく……」

茂呂は不機嫌そうにグラスを置く。

茂呂 敬四郎
「天堂のやつも運が悪かったな。まあ自業自得か」

鼻で笑う。
しかし次の瞬間……

カタン――

微かな物音。

茂呂 敬四郎
「?」

茂呂が顔を上げる。
窓の外で何かが動いた気がした。

茂呂 敬四郎
「誰だ?」

返事はない。
茂呂は立ち上がり、不安そうに窓へ近づく。だが外には誰もいない。

茂呂 敬四郎
「……気のせいか」

そう呟いた瞬間、背後に……

スッ――

人影。

茂呂 敬四郎
「!?」

茂呂が振り返る。そこには黒い服の顔の見えない人物。

茂呂 敬四郎
「な……っ!」

犯人は何も言わない。ただ静かに近づいてくる。

茂呂 敬四郎
「だ、誰だ貴様!?」

茂呂は慌てて後ずさる。しかし逃げ道はない。

茂呂 敬四郎
「待て!金か!?いくらでも払う!」

犯人は答えない。

茂呂 敬四郎
「まさか……!」

茂呂の脳裏に、3年前のある青年の顔が浮かぶ。篠宮奏介だった。

茂呂 敬四郎
「お、お前……!」

犯人の目が鋭く光る。

茂呂 敬四郎
「やめろ……!やめてくれ!う……うわあああああっっっっっっ!!!」

絶叫。そして――静寂。
数分後、別荘の灯りが消える。
闇の中から玄関から1人の人物が現れる。黒いヘルメットに黒いライダースーツ。顔は見えない。
その人物は振り返ることなくバイクへ乗る。

ブォォォォォン――

ヘッドライトが闇を切り裂く。そしてバイクは夜の道路へ消えていった。
その後に残されたのは、静まり返った別荘だけ。

そして翌朝――警察に1本の通報が入ることになる。
世界的調律師、茂呂敬四郎……死亡。それは、天堂響一に続く、第二の殺人だった――。

第3話 完

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