宝条潤と九条蓮 推理の交錯 -音楽家たちの連続殺人- 第2話「皇帝の墓標」
第2話「皇帝の墓標」
数日後 東京都立川市 天堂響一邸
朝。高級住宅街の一角にある豪邸の前には、パトカーと捜査車両が並び、多くの警察官が慌ただしく動いていた。
規制線の向こうでは鑑識が現場検証を続けている。世界的指揮者――天堂響一。その遺体が自宅書斎で発見されたのだ。
警視庁捜査一課も現場へ急行していた。柴田元治が頭をかきながら現場を見渡す。
柴田 元治
「こりゃあまた厄介な事件だな~」
瀬尾 隆
「ええ。あの音楽界の皇帝と呼ばれた指揮者ですからね」
瀬尾は書斎の写真を見ながら頷く。
瀬尾 隆
「犯人は相当被害者に恨みがあったみたいですね」
柴田 元治
「普通の殺人じゃねぇな」
瀬尾 隆
「ええ」
瀬尾が現場写真を指差す。
瀬尾 隆
「指揮棒の置かれた角度、それに破られた楽譜はどう見ても何かのメッセージです」
柴田 元治
「こういう時はハルちゃんの頭脳担当を呼ぶしかねぇな」
瀬尾 隆
「宝条先生ですね」
柴田 元治
「ああ」
柴田は口ごもりながら言葉を発する。
柴田 元治
「……ついでなんだけどよ……あいつに連絡しとくわ」
瀬尾 隆
「あいつ?」
柴田 元治
「九条だよ九条……」
瀬尾 隆
「えぇ~っ!?あの九条さんをですか!?」
柴田は苦笑する。
柴田 元治
「こんだけ厄介な事件だからな。念には念を入れてだよ」
九条蓮の書斎
同じ頃、九条は灰専用の高級ブラシを手に、灰の毛並みを整えていた。
抜け毛が舞うことのないよう、完璧な流れと力加減で梳いていく。灰は目を閉じ、甘んじて受け入れていた。
すると、九条のタブレット端末が着信を知らせる。また五味か、そう考える九条だったが、表示された氏名に眉を震わせた。
『柴田元治』
九条 蓮
「……何故?」
およそ数年間見ていない名前だった。数秒思考を巡らせた後、ブラシを置いて代わりにスタイラスペンを手に取った。インカムを装着し、通話アイコンをタップする。
九条 蓮
「九条です」
柴田 元治
「よお九条、元気だったか?」
目録にあるものと同じ声が聞こえた。九条の目が微かに細められる。
九条 蓮
「柴田さん、ご無沙汰しています」
柴田 元治
「その感じだととりあえず元気そうだな……ところで、折り入って頼みたいことがあるんだけどよ」
九条 蓮
「お断りしても?」
柴田 元治
「まだ何も言ってねえだろ!」
瀬尾 隆(心の声)
(早速拒否られてるし……)
柴田の様子を見ていた瀬尾は、やれやれと肩を竦める。
九条 蓮
「柴田さんが直々に連絡を寄越したということは、捜査協力の要請でしょう。申し訳ないですが、自宅を出るという選択肢はありませんので」
柴田 元治
「相変わらず引きこもってんな~」
九条 蓮
「外界との接触を遮断しているだけです」
九条の鋭い言葉に、柴田も苦笑いするしかない。しかし、そこで引き下がることはしないのもまた彼である。
柴田 元治
「けどな、今回の現場はお前に頼みたいほど厄介なんだよ。何せ被害者が世界的有名人だからな」
九条 蓮
「……どの人物ですか」
柴田 元治
「天堂響一だ」
九条のペン先が僅かに揺れる。
九条 蓮
「天堂響一……著名な指揮者ですね」
柴田 元治
「ああ、今朝自宅で殺されてるのが見つかった。さっきも言ったけど、現場がこれまた厄介でな……お前ならどうにか出来るだろ」
九条 蓮
「現場を見ないことには判断しかねます」
柴田 元治
「そう言うと思ってな……」
柴田がにやりと笑う。
柴田 元治
「もう五味をそっちに向かわせてある」
九条 蓮
「……柴田さんにしては用意周到のようですね」
柴田 元治
「おっ、褒めてくれんのか」
九条 蓮
「客観的視点からの事実を述べたまでです」
九条の視線が、現在の時刻を確認する。
九条 蓮
「場所はどちらですか?」
柴田 元治
「立川だ」
九条 蓮
「五味君が出発したのは何分前でしょうか」
柴田 元治
「確か5分くらい前だったか……この情報必要か?」
九条 蓮
「私にとっては最重要事項ですので……準備がありますので、通話は終了させていただきます」
有無を言わさず、九条は柴田との通話を切り上げた。柴田が盛大なため息を吐く。
柴田 元治
「五味を先に向かわせて正解だったな……」
瀬尾 隆
「九条さん来るんですか??」
柴田 元治
「あの様子だと多分な……しっかし、相変わらずというか、パワーアップしてんなありゃ」
瀬尾 隆
「何ですかパワーアップって?」
柴田 元治
「どうも潔癖症が加速してるみたいだぞ」
瀬尾 隆
「……来て大丈夫ですかそれ?」
現役時代の九条を知る瀬尾が、こめかみを押さえる。
数ミリのずれすら許さない、あの鋭い視線と口調。それが数年経過した今、丸くなるどころか更に進化しているとは。当時のことを思い出し、頭が痛くなるような気がしたのだった。
宝条邸
潤は書斎で原稿の確認をしていた。
その時、スマートフォンが鳴る。
画面には【遥香】の文字。
宝条 潤
「遥香?」
通話ボタンを押す。
宝条 潤
「もしもし?」
遥香の声が聞こえる。
神谷 遥香
『潤』
その声はいつもより真剣だった。
宝条 潤
「どうした?」
神谷 遥香
『事件よ』
宝条 潤
「……」
神谷 遥香
『天堂響一が殺害された』
宝条 潤
「……何だって?」
潤の表情が変わる。
宝条 潤
「指揮者の天堂響一が殺害された!?」
神谷 遥香
『ええ』
宝条 潤
「そんな……」
神谷 遥香
『かなり難解な事件でね……事件現場まで送るから来てくれる?』
潤は即答する。
宝条 潤
「ああ」
神谷 遥香
『10分後に迎えに行くわ』
宝条 潤
「了解」
電話が切れる。
潤は立ち上がる。黒田が入ってくる。
黒田
「坊ちゃま?」
宝条 潤
「事件だ」
黒田
「……またですか?」
宝条 潤
「ああ」
潤はコートを手に取る。
宝条 潤
「しかも今回は、嫌な予感がする」
九条蓮の書斎
九条は儀式の準備をしていた。そこへ扉が開く。
五味 剛
「先生!」
九条 蓮
「……」
五味 剛
「大変です」
九条はゆっくり顔を上げる。
九条 蓮
「立川で起きた天堂響一殺害事件のことか?」
五味 剛
「!はい!どうしてそれを!?」
九条 蓮
「先ほど柴田さんから連絡があった。厄介な事件とはどう厄介なのだ?」
五味が現場写真を机に並べる。
五味 剛
「現場がかなり異様なんです」
五味が写真を見せる。書斎。遺体。そして――指揮棒。破られた楽譜。奇妙な配置。
九条はしばらく黙って見つめる。そしてほんのわずかに目を細めた。
九条 蓮
「……美しいな。これは単なる殺人ではない」
九条は写真を並べ替える。
九条 蓮
「誰かが意図的に“意味”を置いている」
五味 剛
「意味……」
九条は静かに立ち上がる。
九条 蓮
「……儀式の準備を進める」
五味 剛
「おっ!」
五味の顔が明るくなる。
五味 剛
「ということは!」
九条 蓮
「外界へ出る」
五味 剛
「やった!」
九条 蓮
「ただし」
九条は真顔で言う。
九条 蓮
「除染工程は通常の3倍だ」
五味 剛
「そっちかあ……」
灰が「にゃあ」と鳴く。
九条は窓の外を見る。
九条 蓮(心の声)
(音楽家の死……そして配置されたメッセージ……これは始まりに過ぎないな)
天堂響一邸 事件現場
規制線の張られた豪邸。
周囲にはパトカーや捜査車両が並び、多くの警察官が慌ただしく動いている。
1台の車が現場へ到着する。運転席から遥香、助手席から潤が降りる。
宝条 潤
「やっぱり大事になってるな……」
神谷 遥香
「世界的指揮者の殺人事件だからね」
2人は規制線を越えて敷地内へ入る。
すると――柴田が気づく。
柴田 元治
「お~いみんな!」
周囲の捜査員たちが振り返る。
柴田 元治
「ハルちゃんが先生連れてきてくれたぜ!」
瀬尾 隆
「先生!」
松岡 遼
「待ってましたよ~」
奈良 修平
「宝条先生だ!」
三浦 忍
「お前はしゃぐな」
宝条 潤
「どうも」
潤は軽く頭を下げる。
遥香はすぐ仕事モードに切り替わる。
神谷 遥香
「現場の状況はどうなってますか?」
柴田の表情が曇る。
柴田 元治
「最悪だ……」
宝条 潤
「最悪?」
柴田 元治
「ああ」
柴田は手帳を開く。
柴田 元治
「被害者は天堂響一。死亡推定時刻は昨夜22時から24時」
瀬尾が続ける。
瀬尾 隆
「死因は首への強い圧迫。絞殺と見られています」
宝条 潤
「争った形跡は?」
柴田 元治
「それが妙なんだ」
柴田は首を振る。
柴田 元治
「書斎の中はほとんど荒れてねぇ」
宝条 潤
「……」
柴田 元治
「金目のものもそのまま」
瀬尾 隆
「強盗目的ではありません」
宝条 潤
「怨恨……」
柴田 元治
「そう考えるのが自然だな」
松岡が資料を差し出す。
松岡 遼
「ただ問題はここからです」
潤が写真を見る。そして目を細める。
宝条 潤
「……これは!」
写真には死亡した天堂。その傍らには指揮棒。そして――破られた楽譜。
神谷 遥香
「この配置……」
瀬尾 隆
「指揮棒は遺体の右側に45度の角度で置かれていました」
柴田 元治
「しかも楽譜が不自然に破られてる」
松岡 遼
「鑑識によれば偶然破れた形じゃありません」
宝条 潤
「誰かが意図的に破った……」
松岡 遼
「ええ」
松岡が写真を指差す。
松岡 遼
「さらに問題なのがこれです」
宝条 潤
「?」
写真を拡大する。そこには楽譜の端に赤いインクで書かれた文字。
"G"
宝条 潤
「G……?」
神谷 遥香
「音楽用語?」
瀬尾 隆
「専門家にも聞きました。バイオリンの最も太い弦……G線だそうです」
潤の表情が変わる。
宝条 潤
「G線……」
柴田 元治
「さらにだ……」
柴田は深刻な顔になる。
柴田 元治
「犯人は現場に侵入した形跡を一切残してねぇ」
宝条 潤
「形跡がない?」
神谷 遥香
「指紋は?」
瀬尾 隆
「なし」
柴田 元治
「靴跡もなし」
松岡 遼
「防犯カメラにも怪しい人物は映っていません」
宝条 潤
「……」
神谷 遥香
「完全犯罪に近いわね」
柴田 元治
「だから最悪なんだよ」
その時、奈良が自信満々に手を挙げる。
奈良 修平
「つまり犯人は透明人間ですね!」
奈良 修平
「違う」
奈良 修平
「えぇ……」
潤は現場写真を見続ける。G。指揮棒。楽譜。不自然な配置。
宝条 潤(心の声)
(これは単なる見せしめじゃない……犯人は何かを伝えようとしている)
神谷 遥香
「潤」
宝条 潤
「ああ」
潤は写真を見つめながら呟く。
宝条 潤
「この事件……まだ始まったばかりだ」
潤たちが現場写真を見ながら考え込んでいると、規制線の向こうに1台の車が止まる。ドアが開く。
降りてきたのは、白い手袋。白いマスク。首から下げられた携帯用空気清浄機。そして除菌シートの入ったケース。
異様なほど清潔感を追求した男だった。その隣には所轄の警部補・五味剛。
九条は周囲を見回す。まるで汚染地帯に足を踏み入れた人間のような表情だった。
九条 蓮
「……」
五味 剛
「先生、大丈夫ですか?」
九条 蓮
「空気中の埃が予想より多いな」
五味 剛
「そこですか!?」
五味が部屋に入って遥香と柴田に伝える。
五味 剛
「神谷警視、柴田警部。九条先生をお連れしました」
九条が現場に入ってくる。九条はハンカチで手袋を拭く。
九条 蓮
「五味君」
五味 剛
「はい」
九条 蓮
「ここが事件の現場かね?」
五味 剛
「はい」
五味は頷く。
九条は静かに屋敷を見る。
九条 蓮
「配置の臭いがする」
五味 剛
「相変わらず何言ってるかわかんねぇなぁ……」
一方現場の警察関係者たちも2人に気付く。
柴田 元治
「お!ついに来たか!」
瀬尾 隆
「ほんとに来た……」
柴田が九条に声をかける。
柴田 元治
「よお九条、久しぶりだな。五味から話は聞いているが……相変わらずのようだな。こっちがうちの管理官のハルちゃん」
神谷 遥香
「警視庁捜査一課管理官の神谷遥香です」
遥香は警察手帳を見せ、顔を引き締めて九条に挨拶をする。美しい顔立ちには聡明さが滲み出ている。
しかし九条はいつもと変わらぬ無表情で、一歩だけ下がって遥香を一瞥した。
わずかに鼻腔をくすぐる、上質な練香(ねりこう)の微かな残り香。格式高い名家特有の「匂いのノイズ」をスキャンし、九条の眉間がミリ単位で狭まる。
九条 蓮
「……九条蓮だ」
神谷 遥香
「お話は伺っています。警視庁の鑑識課におられたそうですね?」
九条 蓮
「昔の話は関係ない、私にとってはただの過去の記録(データ)に過ぎない」
九条はそう口にするものの、それを聞いていた周囲の人間がざわつき始める。特に鑑識たちは、遠巻きに九条の姿を観察していた。
『九条って……やっぱり前にウチにいた九条蓮か』
『……誰ですか?』
『お前知らないのか!?あの伝説と言われてる天才だぞ!』
潤が柴田に尋ねる。
宝条 潤
「えっと……知り合いなんですか?」
柴田 元治
「ああ」
柴田は腕を組む。
柴田 元治
「あいつは九条蓮。うちの鑑識課の主任だったやつで、今は事象整理コンサルタントと分類学者として働いてる」
宝条 潤
「元鑑識さん……」
潤は興味深そうに九条を見る。
九条は現場へ入る前に靴の裏を除菌シートで拭いていた。
宝条 潤(心の声)
(何してるんだあの人……?)
柴田 元治
「んで隣にいるのが所轄の警部補の五味剛。九条が鑑識やってた頃の部下だ」
五味は警察手帳を確認しながら九条について歩いている。
宝条 潤
「なるほど」
瀬尾が苦笑する。
瀬尾 隆
「にしても九条さん、相変わらず潔癖症なんですね……」
宝条 潤
「潔癖症?」
柴田 元治
「ああ」
柴田は呆れた顔になる。
柴田 元治
「あいつ……重度の潔癖症でよ。外を『汚濁』とか言って、めったに家から出ようとしねぇんだ」
宝条 潤
「汚濁?」
瀬尾 隆
「昔からなんですよ。現場に来てもまず除菌。署に戻っても除菌。飯食う前も除菌」
柴田 元治
「1回、鑑識の連中が九条の机を3センチ動かしただけで大騒ぎになったこともあったな」
瀬尾 隆
「ありましたねぇ」
宝条 潤
「……」
潤は九条を見る。
九条は真剣な顔で携帯用アルコールスプレーを手にしていた。
宝条 潤(心の声)
(変な人だな……)
神谷 遥香
「……変わってるけど」
遥香は静かに九条を見る。
神谷 遥香
「優秀なのは間違いないわ」
柴田 元治
「ああ」
柴田の表情が少し真面目になる。
柴田 元治
「現役時代の検挙率は異常だった」
瀬尾 隆
「証拠品の並び方だけで犯人の利き手を当てたこともありましたしね」
宝条 潤
「へぇ……」
潤の目に興味の色が宿る。
その時、九条がふとこちらを見る。潤と九条、2人の視線が初めて交わる。
九条 蓮
「……」
宝条 潤
「……」
数秒沈黙。
五味 剛
「あっ!」
五味が気付く。
五味 剛
「先生、あの人ですよ」
九条 蓮
「?」
五味 剛
「宝条潤先生」
九条の目がわずかに細くなる。
九条 蓮
「……」
潤も九条を見る。
2人の天才は、まだ言葉を交わしていない。
だがこの瞬間――互いがただ者ではないことだけは理解していた。
周囲の刑事たちも自然と様子を見守っていた。
五味 剛(心の声)
(おお……)
瀬尾 隆(心の声)
(なんかすごい組み合わせだな……)
柴田 元治(心の声)
(天才同士の初対面か)
九条は白い手袋を整える。
そして潤へ軽く会釈した。
九条 蓮
「事象整理コンサルタント兼分類学者の九条蓮です。宝条先生のお噂はかねがね」
潤も会釈を返す。
宝条 潤
「宝条潤です。こちらこそ……」
潤は自然に右手を差し出す。
宝条 潤
「よろしくお願いします」
ところが、九条はその手を見たまま動かない。
数秒の沈黙。
宝条 潤
「……?」
九条 蓮
「申し訳ないが……」
九条は丁寧な口調のまま言う。
九条 蓮
「握手はお控えいただきたい」
宝条 潤
「は……はあ……」
差し出した手が宙に浮く。微妙な空気。
五味は慌ててフォローする。
五味 剛
「あー先生!悪気はないんです!」
九条 蓮
「事実だ」
五味 剛
「もうちょっと言い方あるでしょ!」
瀬尾が苦笑する。
瀬尾 隆
「相変わらずだなぁ……」
柴田 元治
「通常運転だ」
潤は手を引っ込める。
宝条 潤
「なるほど。そういう主義なんですね」
九条 蓮
「ええ。人との接触は極力避けています」
宝条 潤
「徹底してますね」
九条 蓮
「例え手袋越しでも、他人に触れるなどという接触行為は耐え難いものでしかないもので。汚染経路は少ない方がいい」
宝条 潤
「……」
宝条 潤(心の声)
(本当に徹底してるな~この人)
遥香も少し呆れた表情になる。
神谷 遥香(心の声)
(話には聞いてたけど、想像以上ね……)
五味 剛
「でも先生?さすがに手袋したままでも握手くらいした方がいいですよ?相手が誰だかわかっているんですか?」
九条 蓮
「推理小説家であり、宝条グループの総帥の宝条潤だろう。先ほど既に高速検索(ソート)済みだ」
神谷 遥香
「潤のことをご存知なんですか?」
遥香が少し声を弾ませる。幼馴染として、自分を知っていると聞いて誇らしく思ったのだろう。
だが、九条の声は相変わらず冷徹だった。
九条 蓮
「データとして私の記録(インベントリ)に残っているだけだ。彼がそのような人物だからといって、接触をしなければいけない論理的理由はない。それとも、その行為『整理』に影響するとでも宣うんじゃないだろうな?」
九条の言葉に五味はあたふたしているものの、当の潤は怒りどころか少し興味すら覚えた。
若くして総帥という立場になり、加えて天才推理小説家と呼ばれる彼にとって、それらを完全に無視して接してくる人物は九条が初めてであった。
潤は首を横に振り、すっと頭を下げた。
宝条 潤
「五味警部補、でしたか。僕は構いません。こちらこそ、事情も知らないのに失礼しました。改めてよろしくお願いします。九条先生」
九条 蓮
「こちらこそ、こういう性分なもので」
九条のオーラに、ほんの僅かに緩みが見えた。
潤は中性的な顔に笑みを浮かべ、差し出した手を滑らかにポケットへと戻した。目の前の男は、ただの潔癖の変人ではない。
世界のすべてを数字と記号で切り裂こうとする、剥き出しの頭脳そのものだった。
2人の『天才』が、初めて共鳴した瞬間だった。
五味 剛
「ちなみに先生、昨日も会場に来る前に2時間くらい除染してました」
九条 蓮
「1時間47分だ」
五味 剛
「細かい!」
宝条 潤
「……」
潤は思わず吹き出しそうになる。
宝条 潤
「面白い人ですね」
九条 蓮
「よく言われます」
五味 剛
「いや言われてないと思います」
柴田 元治
「ハハハ!」
現場の空気が少しだけ和らぐ。
だが次の瞬間,九条の視線が現場写真へ向く。その表情が変わる。
九条 蓮
「……」
潤も同じ写真を見る。
破られた楽譜。不自然な指揮棒。"G"の文字。
九条 蓮
「興味深い」
宝条 潤
「ええ」
九条 蓮
「これは殺人事件ではない」
宝条 潤
「?」
九条 蓮
「犯人による演奏だ」
潤の眉が動く。
宝条 潤
「演奏……ですか」
九条 蓮
「ええ」
九条は写真を見つめたまま言う。
九条 蓮
「そして犯人は、まだ曲の途中です」
その言葉に、潤も遥香も柴田たちも表情を引き締める。連続殺人。その可能性が、初めて全員の脳裏に浮かび上がった――。
現場保存された書斎。室内には緊張感が漂っている。
遺体はすでに搬送されているが、不自然な角度で置かれた指揮棒。破られた楽譜。そして"G"の文字。事件の異様さを物語っていた。
神谷 遥香
「九条先生」
九条がゆっくり振り向く。
神谷 遥香
「先ほどおっしゃった“曲の途中”というのは?」
九条は現場写真へ視線を落とす。
そして静かに答える。
九条 蓮
「そのままの意味だ」
九条は指揮棒を指差す。
九条 蓮
「まだ犯人の犯行は終わっていない」
瀬尾 隆
「連続殺人だと?」
九条 蓮
「おそらく」
柴田 元治
「根拠は?」
九条 蓮
「配置です」
全員
「配置?」
九条 蓮
「この現場には“完結感”がない」
柴田 元治
「何だそりゃ?」
五味 剛
「先生翻訳してください」
九条 蓮
「つまり犯人が伝えたいメッセージが中途半端なんだ」
神谷 遥香
「中途半端……」
九条 蓮
「完成していない文章のようなものだ。まだ続きがある」
潤は静かにうなずく。
宝条 潤
「僕も同意見です」
九条が潤を見る。
潤は破られた楽譜を見つめている。
宝条 潤
「まず気になるのはこの楽譜です」
柴田 元治
「楽譜?」
宝条 潤
「ええ」
潤は写真を手に取る。
宝条 潤
「破られ方が不自然なんですよ」
神谷 遥香
「どういうこと?」
宝条 潤
「普通なら怒りに任せて破る。でもこれは違う」
潤は写真の破れ目を指差す。
宝条 潤
「明らかに計算して破っている」
瀬尾 隆
「確かに……」
宝条 潤
「しかも……」
潤は"G"の文字を見る。
宝条 潤
「わざわざGという文字まで残している」
松岡 遼
「犯人からのメッセージですかね?」
宝条 潤
「その可能性が高いですね」
九条 蓮
「……」
九条も楽譜を見る。そして……
九条 蓮
「興味深い」
宝条 潤
「何かわかりましたか?」
九条 蓮
「この楽譜」
九条は指揮棒へ視線を移す。
九条 蓮
「指揮棒の角度と連動している」
宝条 潤
「連動?」
九条 蓮
「ええ」
九条は写真を並べる。
九条 蓮
「単独のメッセージではない。楽譜、指揮棒、Gの文字、この3つは1つの文章だ」
神谷 遥香
「文章……」
潤も考え込む。
宝条 潤(心の声)
(G……)
潤の脳裏に、音楽祭のパンフレット。レイ。朝比奈。そして篠宮奏介の話がよぎる。
宝条 潤
「もしかして……」
神谷 遥香
「何か思いついた?」
宝条 潤
「まだ確証はない」
潤は"G"の文字を見つめる。
宝条 潤
「でもこの犯人、音楽をよく知っている人間ですよ」
九条 蓮
「同感だ」
九条は即答する。
九条 蓮
「素人ではない。むしろ……」
九条は静かに呟く。
九条 蓮
「音楽そのものを使って殺人を演出している」
室内に沈黙が落ちる。
その時、奈良が勢いよく手を挙げる。
奈良 修平
「わかった!」
三浦 忍
「嫌な予感しかしない」
奈良 修平
「犯人は音楽の先生!」
全員
「違う」
奈良 修平
「何で!?」
潤は苦笑しながらも、再び楽譜へ視線を落とす。そして心の中で呟く。
宝条 潤(心の声)
(G……犯人は何を伝えようとしている……?)
その頃、誰にも知られない場所で――次の標的へ向けた準備が、静かに進んでいた。
第2話 完
