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Childish Gambino “Algorythm” -宇多田ヒカルの炎上とXの無意味さ

チャイルディッシュ・ガンビーノの2020年リリース「3.15.20」のオープニング・ナンバー。

綴りはインターネットの「アルゴリズム」と音楽の「リズム」を掛け合わせたもので、そのままインターネットやSNSのアルゴリズムに踊らされる現代社会を風刺した曲です。

以前取り上げたダフトパンクの “Technologic”にも通じるテクノロジーへの批判でもあるのですが、少しベタかなーと思って逆に取り上げにくかった感のある曲。

でも今回書くことにしたのは、やっぱチャイルディッシュ・ガンビーノの言う通りだよなー、と思わざるを得なかったからです。

選挙前くらいから、それまでまったく見ていなかったX、旧Twitterを見始めたんですよ。
いろんな意見が見れるかなと思って。
しかし結果的には、心が磨耗しただけでした。

確かにいろんな意見はある。
しかしどれもそのポスト単体では何の意味も成していない。

つまり、人の話って例えばワンセンテンスで完結することはまずないし、いきなり道端で出会った人に一文で自分のお気持ちを伝えて去っていくことってまずないじゃないですか。

そのワンセンテンスがどんなに練られた明確なステートメントであったとしても、こっちはその人がどんな人で普段どんな考え方に基づいて生活しているのかまったく知らない。
そんなよく知らない人の心の呟きを単体で聞かされても、その背景やその心境に至ったプロセスを知らなけばどうとも受け取れない、何の意味も読み取れない、と個人的には思ってしまいます。

これは実際に知らない人だけではなく、有名人や知人であっても同様で、文字だけのワンセンテンスでその人の考えを理解できることなどまずあり得ないと思うんですよ。

然るにそれを全員が当たり前のようにやっているのがX旧Twitterで、呼び方が安定しないんだけどそれは自分がアクセスできるカルチャーだと思えないから。

とにかく、みんな自由に短文呟いてますよね。
建前上はイーロン・マスクの言う通り自由な言論空間であり、対等かつ建設的な意見交換の場になり得るはずなのですが、実際どうなのかはご存知の通りでしょう。

選挙後、問題はさらに悪化しているように思えます。
確かに様々な意見がタイムラインに秒刻みで投稿されています。
しかしそこに意見の交換や議論というのは果たしてあるのでしょうか?

誰かの一言に誰かが一言で返す。確かにそれも一つのコミュニケーションと言えるのかもしれませんが、おそらく双方ともに何の理解にも繋がらない。
むしろ互いの立場から言いたいことを言うだけで完結し、対立を明確にして去っていくだけのように見える。

一般の人だけではなく、どんなに著名なアーティストや知識人、論客もそれをやっている。
そこに驚きを禁じ得ません。
正直、何の対話にもなっていないとしか思えないんですよ。
言葉で生計を立てている人でさえそれをやってしまう。
自らの言葉のバックグラウンドや文脈を伝えることがいかに困難なのかをわかっているはずの人が、誰もが見られる空間で一言でなんかズバリ言いました的なポストして炎上したら相手の無理解を責める。
正直、何の意味があるのか、何の得があってやっているのかがよく理解できません。

Twitterにはもちろん利用価値があります。
でもそれは端的に言うと商業ツール、ビジネス告知的な発信やオフィシャルな発表としてのポストだけだと思います。
個人の意見表明、特に不特定多数に向けた発信としてはこれほど向かないツールはないんじゃないでしょうか。

もちろん、「それは一部の界隈の話であってピースフルな言論空間も存在しますよ」という反論もあるかもしれません。

ここで問題になってくるのが例のアルゴリズムというやつで、一部の界隈であってもユーザー各自にとってはそれが「世界のすべて」になってしまうのがソーシャル空間なんですよね。
気になるポストを表示しただけで、AIが関連性の高いポストを無限にお勧めしまくってきます。

あまりにも不毛。ただただ何もしていないのに見るだけで磨耗していく。
それなのに見続けなければならないという強迫観念だけは増していく。

不躾ですが、みんなソーシャルメディアの使い方を間違えてはいないでしょうか。
根本的に、ワンセンテンスでその人の考え方なんてまるでわからないですよ。
その人の過去の投稿をすべて遡って読み込めばある程度の背景や文脈はわかるのかもしれませんが、そんなこといちいちしないですよね。時間がいくらあっても足りないし、誤解を恐れずに言えばそこまで他人に興味ないし。

つまりわからない言葉同士が絶対に交わらない状態で衝突し炎上し合っている。
愛し合うように喧嘩しようぜ、やるせなさ引っさげて。
と米津玄師はかつて歌いましたが(「感電」)、ここには愛し合う前提はない。
たった一瞬のストレス発散を求めて火花を散らしているだけですよ。

今回心底うんざりしたのは、宇多田ヒカルまで炎上してしまったことです。
別に政治的でも何でもない、蕎麦屋に行ったとかよくわからないただの軽口ポストで。
みなさん、どれだけ余裕ないんでしょうか。
常に誰かにマウント取られたと思いながら日々を過ごしているんでしょうか?

ただ、元のポストの炎上については宇多田ヒカルを擁護したかったのですが、その後彼女が余計な反応をしてしまったためにまたややこしくなっています。

そこに関しては正直悲しい。宇多田ヒカル、あなたは言葉の不確かさや多義性を誰よりも表現の糧にしてきた人ではなかったのか。
なぜ自らの言葉のパフォーマティブな効果を考慮せずに反応してしまうのか。
そもそもたとえ軽口、ギャグであっても知人以外からすれば曲解して突っかかってくる人がネットには無数にいることくらい想像するべきだし、自身の影響力を考えればそこは折り込み済みで何を言われても流すべきだったでしょう。

炎上そのものよりも、X見てなければ宇多田ヒカルの言葉の取り扱いに対するリスペクトや信頼が減じることはなかったなー、と思うと純粋に損した気持ちになります。

というわけで、著名人の方々は特にXではなく、noteで発信してください。
そうすれば文脈込みで言語化できるしnoteもユーザー獲得につながってwin-winです。

最後、なぜかnoteの宣伝のようになってしまいましたが、これも日頃の恩返し。
宇多田ヒカルのnoteデビューを僕は待ちたいと思います。待つわ、いつまでも待つわ。

最後に、数年前の佐野元春のインタビューが今、非常に意味のあるものだと思ったので貼っておきます。
「あらゆる熱狂には気をつけるように。でも楽しく、落ち着いていこうぜ。」

右も左も、熱狂には気をつけていこう。



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