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“Ice Age”から”花吹雪”へ-ROTH BART BARONの2枚のアルバムが切り拓く次の世界 #1 (Melt and blooms)

ROTH BART BARON (ロットバルトバロン)の新作”LOST AND FOUND”がリリースされた。

このアルバムをものすごく楽しみにしていたことは間違いない。でも今回書くのはこの作品についての文章ではない。まだ全然聴き込んでいないから。というのも理由の一つだが、彼らの前作”8”もまだ僕にとってはリアルタイムの音楽だからだ。
リリースから2年も経ったなんて本当に信じられないくらい、このアルバムにまだ新鮮さを感じるし全然聴き飽きていない。
だからまず”8”について書くことからしか始められないというのが二つめの理由。
そしてもう一つの理由は、このニ作は二つで一つの作品なのではないかと思うからだ。
その点については、後で触れたいと思う。

今年はROTH BART BARONのメジャーデビューから10周年を過ぎ、過去を総括するとともに新たな未来への一歩を踏み出した記念すべきディケイド。
このnoteでは3回に渡り、日本音楽界の「国宝」(人気映画に便乗した定義付け)ROTH BART BARONの新作を総力特集したい。
Web雑誌やってるみたいな言い方するな。というツッコミはさておき。

まず序章である#1では、彼らのデビュー作「ロットバルトバロンの氷河期」から10周年を記念したツアー最終公演が音源化された、今年リリースのライブアルバム”Ice Age:Melt and Blooms TOUR-Final-“とともに、彼らの10年の軌跡を振り返るところから始めたいと思う。


正直に申し上げると、僕は彼らのデビュー当時からのファンではない。
ここ数年でなんかロットバルトバロンってよく名前聴くな…と思って検索したら、1stの「ロットバルトバロンの氷河期」、ジャケットが昔の映画みたいだしタイトルもいいな、と思い聴いてみて驚愕した。
なんだこの音楽は。「インディ・フォーク」という言葉からイメージする音とはまったく違う世界がそこにはあった。
そう、世界そのものが在った、と言った方がいい。

「ロットバルトバロンの氷河期」は、本人たちが意図したように、まさに映画そのものの音楽作品だ。
曲名は各章のタイトルのように一つの物語を示唆しているし、多分に暗示的な古典の引用を含んでいる。
楽曲は統一感があるなんてもんじゃない。アコースティックギターとドラム、そして弦楽器とホーン・セクションというバンドと言うには不思議な編成。そして時間の流れを変えてしまうかのようなゆったりとした曲進行。
それだけでなく、最低限の楽器で鳴らされる音と音の余白の残響でさえも演奏の一部であるかのような研ぎ澄まされた立体的な音像。どれもがアルバムを通して一つの「世界」の具現化であることを立証し、語りかけてくる。
その世界とはどんな世界なのか。

「目を覚ませ 顔を洗って カーテンを開ければ 氷河期が僕らの すぐそこにやって来る」
という囁くような歌い出しで始まるオープニング「氷河期#1」。
続く「#2」では、「このふざけたお芝居を終わらせてやるんだ」「こんな場所で生きていたくないし こんな場所で死にたくもない」と世界に対する静かな怒りを滲ませながら、おそらくまだ少年である「僕ら」の行動開始が宣言される。
「#3」の「僕らみんなが欲しがる 救いなんていらないんだよ」と吐き捨てるような歌詞で終わる序章三曲で立ち上がるのは、それまでの社会が崩壊し、「氷河期」と喩えられる静寂が訪れた終末の世界。そこで子供たちが自分たちに身勝手な願いや希望を託そうとする大人たちに反旗を翻す、という物語だ。
この三曲に通底するのは、出だしのアコースティック感からは想像もつかないようなスケールとダイナミズムだ。まるで交響曲のクライマックスのようなカタルシスが一曲ごとに訪れる。

北欧の民謡のような哀愁漂うフォーク・バラッドの「春と灰」ではより直截的に、戦争とその結果滅びていく世界の情景が歌われる。
「目を開いて よく見てみろよ 何が起こるのかを」
「ねえ僕ら あとどれだけの時間を生きていられるだろう どれくらいの時間を 耐えていけるだろう」
架空の物語の言葉が、なぜこのように痛切に響くのだろうか。

「蝿の王」はもちろんゴールディングの、世界で最も有名なジュブナイル小説からの引用だ。
「子どもたちよ急ぐんだ 柔らかい気持ちが嘘になる前に 新しい街を作るんだよ 家を燃やせ 名前を捨てろ」。
次第に高揚する小刻みなドラミングとファンファーレのようなホーンと共に、「この想いは 僕のものだ 君なんかに わかってたまるもんか」とこれまでの世界と決別し、新しい世界の創造を高らかに宣言する。「蝿の王」の少年たちが無人島で彼らだけの国を作ろうとしたように。

「帰還」の「いつだって君は 大丈夫だと言う
もう手遅れだって 知っているのに」、
「炎」の「僕にもう少しだけ 時間をくれないか 多分今日が僕らの 最初で最後の美しい日だ」というリリックは、しかしその独立が長くは続かないこと、終わりが近づいていることを示唆する。
(帰還とは、歌詞の内容的におそらく「ジェダイの帰還」の引用だろう。)
「オフィーリア」という「ハムレット」の悲劇の登場人物の名を冠した最終曲の、「いつか遠い 次の人生で また会おうよ」と葬送曲のような厳かなコーラスとともに映画は幕を閉じる。
どこまでも少年たちの目線で語られる抵抗と希望の物語。しかしどこまでも現実は厳しく、彼らには限られた時間しか残されていない。
あまりに多くの物事が後の世代に持ち越され、あまりに多くのツケが子どもたちに押し付けられ、それを支払うための猶予はあまりにも短い。彼らは心を通わせる相手と来世での再会を約束し、希望をそこに持ち越すしかなかった。
わずか40分弱の作品。しかしそこには、まさに「氷河期」と呼ぶのにふさわしい一つの世界の終末が完璧に記されている。

この続編とも言える2作目の”ATOM”では、さらに複雑さを増した混沌の世界が描かれる。
この2枚のアルバムはどちらも僕にとってフェイバリットであり、例えばRadiohead の”Kid A”と”Amnesiac”と同じ双子のアルバム、そしてその2枚のような一種の黙示録として心に深く刻まれている。

謝らなければならない。「10年を振り返る」などと書いてしまったが、無理だった。
彼らのすべての作品を一つのnoteにまとめることなどできるわけがない。見通しが甘すぎたことに書きながら気がついた。誠にごめんなさい。

彼らはその2枚の傑作により早くもバンドの音を完成させながらも、その後目まぐるしい変貌と進化を遂げ、その独自の音楽性をとめどなく拡張してきた。それらの素晴らしい作品群については、また別の機会に書きたいと思っている。

そして2023年、彼らは”8”というアルバムでもう一度彼らの出発点、「少年たちの物語」というテーマに「帰還」した。
そしてその物語は、最新作”LOST AND FOUND”にも引き継がれている。
しかしそれは原点回帰といったものではない。鳴らされる音も全く違うし、何より1stにあった一種の諦念や達観のようなものがそこにはない。
まるで輪廻が一回転し、「次の人生」が始まったかのように、彼らは初めて見る世界を生き生きと喜びに満ちた声で歌い始めた。
彼らはもう炭鉱のカナリアではない。預言はすでに現実となったのだから。今の彼らは、あの大洪水の後に初めて現れた大地からオリーブの枝を咥えて戻ってきた鳩だ。

次のnoteでは、これまでの彼らの奇跡と現在地を繋ぐ前作”8”について書いてみたい。


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