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テレビを消した、そのあとに。


24時間テレビを見ていた。


さまざまな人が登場し、それぞれの想いを抱えながら挑戦している。


それを支える人がいて、応援する人がいる。


「頑張れ。」


テレビの向こうからも、こちら側からも、たくさんの声が届く。


僕も、頑張っている人を見れば応援したくなる。


でも、見ながら少しだけ考えた。


「頑張れ」という言葉は、

いつでも人を勇気づける言葉なのだろうか。


見えないもの


昔、身近に、長い間病気を抱えていた人がいた。


今では知られるようになった病気だけれど、当時は十分に理解されていなかった。


勉強はできた。

スポーツもできた。


だから、周囲からは「できる人」に見えた。


けれど、みんなと同じように生活することは難しかった。


「なぜ、やらないの?」


そう言われることもあったという。


できるように見える。


だから、やればできると思われる。


「頑張れ」と言った人にも、きっと悪意はなかったのだと思う。


それでも、その言葉が苦しくなる人はいる。


できることと、

やっても大丈夫なことは、

同じではない。


同じ景色を見ていたのに


ずっと昔、幼い子どもと観覧車に乗ったことがある。


高いところまで上がったとき、遠くに白バイらしきものが走っているのが見えた。


僕には、はっきり見えていた。


「遠くに白バイが見えるよ。」


一緒にいた一人は「見える」と言った。


でも、もう一人の子どもは、

「見えない。」

と言った。


僕には不思議だった。


白バイだと分からなくても、

オートバイらしいものくらいは見えるだろう。


「ほら、あそこ。」


それでも、

「どこ? 分からない。」

そのとき初めて、

僕に見えているものが、

この子には見えていないのかもしれないと思った。


後日、眼科で検査を受け、遠視であることが分かった。


僕たちは同じ観覧車に乗っていた。


同じ高さから、

同じ方向を見ていた。


それでも、

見えていた世界は同じではなかった。


「できない」と決めないこと


でも、不思議なこともあった。


その子はスポーツをするときには眼鏡を外していた。


「ボール、見えるの?」


そう聞くと、

「見える。」

と言う。


僕には分からなかった。


遠くにあるものが見えなかったのに、

なぜ動いているボールは見えるのだろう。


けれど、本人には見えている。


だったら、それでいいのだと思った。


人には、外から見ただけでは分からないものがある。


見えないから、

できないと決めつけられることもある。


反対に、

できるように見えるから、

「もっとできるだろう」と求められることもある。


どちらも、

本人にしか分からない世界を、

外から決めてしまっているのかもしれない。


頑張るということ


僕は「頑張る」ということ自体を否定したくない。


むしろ、できるならやってみればいいと思っている。


自分ができると思うなら、挑戦すればいい。


壊れないのなら、

人の倍やったっていい。


僕自身も、子どもと向き合う中で、

もっと早く子育てについて学んでいたら。


子どもが生まれる前に、

もっと自分の生活を整えていたら。


そう考えたことがある。


だから、自分からサッカーを学びに行った。


誰かに言われたからではない。


自分が、

「もっとできることがあるかもしれない」

と思ったからだ。


だから、テレビの中で自分から大きな挑戦をしている人を見ると、その気持ちを少しだけ想像する。


もちろん、本当の気持ちは本人にしか分からない。


それでも、

自分で「やる」と決めることと、

他人から「できるんだから、やりなさい」と言われることは、

似ているようで、まったく違うと思う。


できることと、偉いこと


以前、ある高校生と話をしたことがある。


「速く走れないと思ったら、絶対に速く走れない。」


僕は、そんなことを伝えた。


最初から自分で自分の可能性を閉じてほしくなかったからだ。


でも、もう一つ伝えた。


少しできるようになったからといって、

人を見下してはいけない。


上には上がいる。


できるようになっても謙虚でいれば、

もっと上へ行ける。


できることと、

偉いことは違う。


相手を尊重することと、

相手を恐れることも違う。


これはスポーツだけではないと思う。


仕事でも、勉強でも、

そしてAIを使うことでも同じなのかもしれない。


AIを使って、人より速くできるようになることもある。


今まで一日かかっていたことが、

短い時間でできるようになるかもしれない。


だったら、その力を使えばいい。


もっとできるなら、

もっとやってみてもいい。


でも、

「自分にできるのだから、あなたにもできる」

とは限らない。


そして、

「自分にはできない」

と最初から決める必要もない。


テレビを消した、そのあとに。


24時間テレビは、いつか終わる。


テレビを消せば、

僕たちはそれぞれの日常へ戻っていく。


障害のある人もいる。

病気を抱えている人もいる。

健康でも、仕事や生活に困っている人がいる。


制度によって支えられる人もいれば、

制度と制度の間からこぼれてしまう人もいる。


そして日本だけではない。


世界中で、

それぞれの人の生活が続いている。


僕たちには、

そのすべてを見ることはできない。


同じ場所にいても、

同じものを見ているとは限らないのだから。


だから、

「なぜ、できないの?」

と言う前に。


「頑張れ。」

と言う前に。


ほんの少しだけ、

自分には見えていない何かが、

この人にはあるのかもしれない。


そう想像できたらいい。


番組が終わっても、

僕たちの生活は終わらない。


テレビの中で感じた優しさを、

テレビを消した、そのあとにも。


少しだけ持っていけたらと思う。


最後に。

制作者も、出演者も、スポンサーも、視聴者も。

それぞれの温かい心が、これからも繋がっていくことを願って。



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