消えてしまうものを言葉に残す 天音 翔プロフィール
はじめまして。
天音 翔(あまね しょう)です。
僕は、消えてしまうものを、
言葉に残しています。
人の記憶。
過ぎていく時間。
もう会えない誰か。
何気なく飲んだ一杯のコーヒー。
雨の匂い。
音楽を聴いたあとに残る、名前のない感情。
そして、
一緒に生きた小さな命。
そういうものは、
気づいたときには、
もう手の中にないことがあります。
だから僕は、書いています。
■ このnoteについて
このnoteでは、
小説、随筆、音楽、日常の物語を書いています。
以前は、福祉の現場で見てきた
「生きづらさの構造」について、
多くの記事を書いていました。
それも、僕の大切な一部です。
長く福祉の現場にいて、
人が生きていく姿を見てきました。
うまく言葉にできない人。
正しく生きようとして、
苦しくなってしまう人。
誰にも気づかれないところで、
小さな一歩を踏み出す人。
そこで見てきたものは、
今の僕の文章の中にも残っています。
でも現在は、
福祉そのものを説明することよりも、
人が生きた時間や、
失われていくもの、
それでも残っていくものを、
物語として書くことが多くなりました。
■ 僕が書いているもの
たとえば、
色のない世界に、
少しずつ色が戻ってくること。
一杯のコーヒーに、
誰かとの記憶が残っていること。
音楽を聴いた瞬間、
何十年も前の自分に戻ること。
そして、
長い時間を一緒に生きた犬が、
少しずつ軽くなっていくこと。
大きな事件ではありません。
新聞にも載らないし、
歴史にも残らない。
でも、
ひとりの人間にとっては、
世界が変わってしまうほど
大きな出来事があります。
僕は、
そういうものを書きたいと思っています。
■ 音楽について
僕にとって、
音楽と文章はあまり離れていません。
ベートーヴェンを聴いて、
言葉が生まれることがあります。
モーツァルトから、
物語が始まることもあります。
文章を書いているのに、
頭の中では音楽が鳴っていることもあります。
だから僕の作品には、
ズレ。
間。
残響。
沈黙。
余韻。
そんなものが、
よく登場します。
文章にも、
休符があっていいと思っています。
■ さくらのこと
僕のnoteには、
「さくら」という犬が登場します。
長い時間を、
一緒に生きてきました。
犬との暮らしを書こうとすると、
どうしても「かわいい思い出」だけでは
書けませんでした。
老いること。
できなくなること。
身体が軽くなっていくこと。
そして、
一緒にいられる時間には
終わりがあるということ。
それでも、
一緒に生きた時間まで
消えてしまうわけではありません。
だから僕は、
さくらを書いています。
忘れないためというより、
「ここに生きていた」
ということを、
言葉の中に残すために。
■ 僕が大切にしていること
うまい文章を書きたい。
もちろん、
そう思うことはあります。
でも、それ以上に、
読んだあとに、
何かが残る文章を書きたい。
読み終わって、
スマートフォンを閉じたあと。
電車の窓を見たとき。
コーヒーを飲んだとき。
雨が降ったとき。
昔好きだった音楽を聴いたとき。
ふと、
文章の一節を思い出してもらえたら。
それで十分だと思っています。
■ 最後に
ここには、
いろいろな物語があります。
音楽の話もあります。
日常の話もあります。
笑う話もあります。
少し苦い話もあります。
そして、
別れについて書いたものもあります。
全部に共通しているものがあるとすれば、
「残るもの」
なのかもしれません。
人は、
いつかいなくなります。
時間も、
戻りません。
音楽も、
鳴った瞬間から消えていきます。
それでも、
誰かを大切にしたこと。
誰かと笑ったこと。
一緒に歩いたこと。
名前を呼んだこと。
そういうものまで、
なくなるわけではない。
僕は、そう思っています。
消えてしまうものを、
言葉に残す。
ここは、
そんなnoteです。
天音 翔
