#001 中高時代に心の中が言えなかった理由|漫画と性的指向問題|【エッセイ】今という時に向かって
私にとって漫画は表現しずらい媒体だった
漫画を描いていたのがいけないわけではないと思います。
やりようによっては、心の中も描ける、外側も描ける。楽しいことを思いついたらそれを描いて人に見せて楽しませてあげることもできる。
描いてちゃんとお話を終わらせることが出来たら、そこに現れる自分のこころの形をきっと見つけることもできるでしょう。
私は小学校低学年でやっていた一行日記の頃から、小3の時に学校の男の担任教師に「読書感想文」や「作文」という名のラブレターを書いていた時から、楽しいと思う根っこは一緒でした。
自分で何かに気づいたという「お題」が「過去」あったこととの化学反応で「解」を経て「思いもよらない結」へと走っていって自分でびっくりする。
そんなことを、習ったばかりの漢字を使って「できる子アピール」をし、少しユーモアを交えて「面白い子アピール」をしていました。
そこが楽しくて書いていたのでした。
これまで私にとって文章の「結」は、「うったえる」ものではなく、「ビックリするため」のものだったのです。
そういう思考回路の私は最初からラストを想像して物語を描くというのが出来なかったのだろうと想像します。
漫画は作画もします。私は描きながらお話を作る方法をとっていました。そうすると、どんどんお話がそれていくのです。
「作画」と「物語」を同時にやる。
プロでそういうやり方をしている人を見たことはありました。しかし、その方にしても文章にして何行が1ページという設計図の様なものを立てていました。何のガイドもなくお話を進めることは慣れていない私にとってハードルが高かったかと思います。
私にとって漫画で描きたいやり方が、実はとてつもなく難しいことだったことに気付けなかったのでした。
私が漫画を描くことで見たもの
漫画のサークルを主催していたために漫画をやめたいと正直に言いだすことが出来ずに計8年間を務めていました。漫画を描くということの2本立ての生活をしていました。
自分の描く漫画の世界では主人公が意見を通せないと強引に話をして他の人を困らせている。そんな場面が紙の上に現れていました。
現実と物語の行ったり来たりで自分に問題を見ることもありました。それをわからないなりに見ることで自分自身を知った気もしました。
しかし、それは文章を書いて心の中を見ていた時とは明らかに違っていました。私が求めていたのはそこではなかったのでした。
物語を作るということと、心の中をのぞいて気持ちを楽にするということで根本的に用途が違ったのです。
ノイズの問題と性的指向問題の二重構造。
私の周りにいた友達はほとんどが漫画のサークルの仲間でした。それ以外の子もいましたが、こころの中を話すようなお付き合いをした子はいませんでした。
サークル仲間。日常、弁当を食べたり、トイレに行ったり、移動授業の行き来の時に一緒に行く子。そういう友達でした。
中学の頃、私は性的指向問題についてのこころの専門書を読み漁り「こどもというのはそういうもの」という答えにたどり着いて一応の解決をみていました。
だからそれからはそういうものなんだと、いろいろなお話に仕掛けをして上手に人に話せるようにしていました。
しかし高校に上がる頃から分らなくなりました。
その時代コミケがやっと1回目が始まった頃でまだインターネットが一般的ではありませんでした。
だから、漫画という媒体で仲間を作るのは良かったと思います。
しかし漫画を描くという共通言語があって、その仲間がいても尚、私が私の性的指向問題を抱えた内向きのこころの世界から、外側の世界へとアプローチしていくには、何かの手段としての橋が必要で、そして私にはその橋が何なのかを見つけることが難しいことのようでした。
そして外側と内側を結ぶものを恒常的に継続させていなければいけないという危機意識が薄かったのだと思います。
自己肯定感の低さからくるノイズについて、それを中学の時に今読んでいる本と似たような専門書に触れていました。
この「人に頼るのが困難な必要以上にちゃんとしなきゃ」と思うのは子供の頃強く我慢を強いられて育った人に起こる特有のノイズなのだと、最近再確認をしました。
高校3年の進路で漫画は止めると決めたときの周りの反応
高校3年の時もう漫画は止めようと決めました。そうしたらこころが軽くなりました。
それならこれからどうしたらいいのだろう、そう思いました。何もない。夢中になれるものを何も持っていませんでした。
何も言わずに突然進路を「英語」に変えました。
周りはびっくりしていました。私は特に英語の成績が良いとか話すのが得意だったとか、そういう才能を周りに見せたことはありませんでした。
本来私は社交的な人でしたが、趣味が人に外から見えるもの(洋裁とか運動とか)ではなく全て見えない内向きのもの(漫画、模写、書道など)でした。日本語の言葉としての表現が性的指向問題で閉じていました。
そして、本人にしてみれば大まじめだったのですが、そういうわけでコミュニケーションのツールである英語が当時の自分に向いているとは今考えると思えませんでした。
サークルの仲間は「あの子は間違った方向へ行っている」と思ったらしく私をデザインスクールの学校見学に一緒に連れて行ったりして、目を覚まさせようとしました。
だけど私はもう漫画を描く気がなかったので、聞き入れませんでした。しかしサークルは継続しました。
相変わらず会報は出していましたが継続せざるおえなかったのは「漫画を描くためのサークル」から「お友達のサークル」になっていたためでした。
やめ時が分かりませんでした。
十八の私へ
アンジェラ・アキ「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」という歌があります。
15歳の悩む自分が大人になった自分に向かって手紙を書く。消えてしまいそうで誰の言葉を信じて歩けば良いのかわからない。その答えを大人になった自分が言う「自分の言葉を信じて歩けばいい」
もしもあの頃の私が私に手紙を書いてきていたら、今の私はこう言ってあげたいです。
「サークルについて一度ちゃんと考えてみるといいです。止めるべきか継続するべきか、サークルとしてどうするのがベストなのかを。
そしてサークルについて自分なりに考えたことを皆と共有して、それでも漫画と距離を置きたいのであれば「私は漫画を休みたい」と言えるときに言ったらいいです。
そして一度立ち止まって何もせずにじっくり時間をかけて自分のこころについて、進路について、考えてみるといいです。
そうすればきっといい答えが見つかるはずだから。
今迄そうして何度もピンチを乗り切ってきたのだから、今回もきっとうまくいく」
その後の事
20年ほど前、私は小さな居場所会の様なものに参加し、そこで出していた新聞に「一ページエッセイ漫画」を連載しました。
やはり途中で辛くなってしまい辞退をしましたが、描き上げた漫画は本にして周りの人に配りました。
エッセイ漫画は1ページというのがあまりに短く自分の思う「解」だったり「結」だったりを描くようにはなっていませんでした。それ故にも辛くなってしまっていました。
しかし面白くもありました。人が読んで面白いと言ってくれるのもうれしかった。
今迄原稿というものを取っておくということをしていませんでしたが、その原稿は最後だと思ったので大事に捨てずに取っておいてあります。
漫画をやめて、noteに「フィクション」として小説を書きました。
メッセージをうったえるという形はとりませんでしたが、真剣に人を愛した分、読者に「私はこう感じる」と言えるものが育った気がします。書いた内容に自己嫌悪に陥ることはありませんでした。
私は少しだけ自分に誇れる生き方ができているのだなと、自分の成長を褒めてあげたい気持ちです。
性的指向問題は大人になってから話を聞いてほしくて専門のこころのプロに少しだけ通いました。そのプロは私の話を聞いた後「子供とはそういうものです」そう言いました。
私が中学生の時にたどり着いた答えと一致していて、もうこれ以上そこに通う意味はないと思い、それきりそこへは行きませんでした。
学校に行く事で猶予期間を貰っている
私は今、学校に行くことで「自分が何をしたくて、どんなことに向いているのか」を迷う「猶予期間」を貰っているのだと気付きました。
今SEOをやろうと思っているけれど考える程にこの方向だろうか、と思ってしまっています。本当はこころの中を扱う仕事がしたいのではないのだろうか、心理学がやりたいのではないだろうかと思ってしまいます。
それも含めてこれから学びながら決めたいと思います。
この坂を昇れば何か見えるのでしょうか。
それは行ってみなければ分かりません。
そして今私は、これから先もう少し自分のこころの中と外の世界がフラットな景色でつながるような仕事に就きたいと思っています。
「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ」
清沢哲夫(のちの暁烏哲夫)氏の詩「道」から
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