蓄音機ノスタルジアー碧空|【エッセイ】こころの因数分解
私がまだ10代だった頃に父が東京に出てきて住んだという家を見に行きました。
そこは後に母と結婚してから住んで、買い取ったらしいのでその時にはその家は存在していました。
とても狭いところで、一軒家でしたが一階に1間とキッチン。2階に1間という作りでした。階段が直角に近い形で付いていて、怖かったのを覚えています。
そこの家を手放すというので、私達は片付けに行ったのです。
天袋を開けると真新しいビニールに入った犬のぬいぐるみが出て来ます。不思議です。何だか良く分かりませんでしたが、それは持って帰ることになりました。
次に押入れを開けました。
そこから、厚み20㎝x幅40㎝x奥行き40㎝位の四角い取っ手の付いた灰色の箱が出て来ました。厚み15㎝x幅40㎝x奥行き40㎝位のこちらも取っ手の付いた赤い箱も出て来ました。
開けていいかと聞くといいというので開けてみました。
灰色の箱を開けてみるとそれは「蓄音機」でした。
赤い箱は「レコード」が入った箱でした。
話には聞いたことがあっても見るのは初めてです。
音を増幅するラッパはついていませんでしたが、ノスタルジックなものが大好きだった私は、家に着くと使い方を教わりました。
脇についている穴に2回折れ曲がった鉄のハンドルをはめ込み、ぐるぐると回しゼンマイを撒きます。
余り巻くとゼンマイが切れてしまうそうなのです。どこまで巻くと「余り巻くと」という状態なのかがわからないので、おっかなびっくりこれで動くのかと思うような位置で止めました。
金属の爪をスライドさせると、ターンテーブルが勢いよく周ります。
なるほど、と思いました。
よく機械の中を見ると、なにやら先のとがった3㎝くらいの金属の針がたくさん落ちています。
何かと尋ねると、「レコード針」だと返されました。
その頃、私達が目にしていたレコードは「ダイヤモンド針」。
レコードが傷つかない様に細心の注意を払って針を落としたものでした。少し手元が狂っただけでレコードに傷が付き、再生させたとき針が飛んでしまう残念なレコードになってしまうからでした。
それを考えるといかにも丈夫そうな針でした。
繊細さの欠片もない。縫い針より太い。
その頃はまだ知らなかったのですが、蓄音機はその針がその頃手に入らないということで苦労されている方もいるとの事でした。あの大量の針があったら商売でもできたかもしれません。
それはさておき、
わたしは針をスピーカーになっているアームに取り付けて、「碧空」と書かれたレコード盤をターンテーブルに乗せました。
ハンドルを回し爪を動かす。ターンテーブルが回ります。そこへ針を落とすと、ゴリゴリといった音と共に音楽が流れて来ました。
タンゴです。マイナー調の聞きなじみのある音楽でした。
音が良いとかそういう問題ではありません。「鳴っている」という感じです。
ザリザリゴリゴリという雑音と共に不明瞭な音が鳴ります。とても原始的な音でした。
良いとは思いませんでした。
私は次の日も、又次の日も、蓄音機を出し「碧空」を聴きました。
仕組みが面白かったのです。
電気を一切使っていないのに音が鳴る。
不思議なものでした。
何て素敵なんでしょう。オルゴールみたいだ。私はそう思いました。
他にもレコードが何枚かあったのですが、このレコード以外に聞いた記憶がほとんどありません。
家は一度壊しています。もしかしてそのときに蓄音機は救出されなかったのかもしれません。
私も「蓄音機は?」とは言いませんでした。
大事なものはすぐに忘れてしまう人。
いろいろそのときにあったもので、今思うと救出しておいた方が本当は良かったものがありました。
仲間と作った大量の漫画の同人誌。絵。そして、蓄音機。
でもいいのかもしれません。
何がいいのかは分かりませんが、そのとき救出できなかったのは、きっとそういう役割だったのです。
無くてもいい役割。役目を終えた役割。
だから私は今そっと思い出すのにとどめておこうかとおもいます。そして 時々思い出して「実はね」って、誰かにこんな風に話すものなのかもしれません。
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