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延べ6000人の方が読んでくださった記念|「一行日記」を改め「一行ジャーナリング」としました|【エッセイ】日常のスベッたコロンだ


ゆみれもんてぃーのページがまったく読まれない覚悟もあったので、読んでいただけて、本当に嬉しいです。ありがとうございます。

「延べ6000人の方が読んでくださった」ことを記念して、私が書くことについてどう思っているのかを記事にしてみました。

お付き合いください。


「一行日記」の正しい定義を知らないのに、そう言っていては申し訳ないので、調べたら、

「毎日1行、その日『やったこと』を書き留めるそれが『1行日記』です」

そう書いてありました。

頭の中を書くとは違うのかと思いました。だいたい日記じゃないし。

じゃあ。ジャーナリングかな?

「ジャーナリング」とは、一定の時間内で自分の頭に浮かんだことをありのままノートに書き出すことです。 具体的な出来事や自分の気持ちを考えながら書く日記とは違い、とにかく浮かんだことを書き出していくのが特徴。 内容がポジティブ、ネガティブであるかを問わず、抽象的な文章や表現であってもOKです。

「ネガティブ、ポジティブに関わらず頭の中に浮かんだことをありのまま書く」というのは合ってる気がします。更に言うなら「何も考えず直感で手を動かす」です。

でも長い文章を書かないのです。

じゃあ、
「一行ジャーナリング」
とでも言ったらいいのでしょうか。

この言葉もあるといけないので調べてみます。

そういう言葉はないみたいなので、
これからは「一行日記」と言わずに、「一行ジャーナリング」ということにします。

お得な「一行ジャーナリング」だった


 このnoteでも散々書いたので知っている方は知っている話ですが、私の「書くこと」のルーツは「一行ジャーナリング」にあります。
 
 日記ではないので毎日していた訳でもノートに付けてまとまった形にしていた訳でもありませんでした。

 ただ広告の裏にその辺にある鉛筆で自分の考えていることを書くということで、頭の中身が見える。それが「驚きで」「実用的で」「遊び」となるのが「お得」でしかなかったから続けたのでした。

 「書く」ことについて「幸せ」を感じたり、「才能」を感じたり、「自分の生きる道だ」と感じたりしたことは一回もありませんでした。
 
 ただ本当に「親が心のケアをしてくれることができない」子供時代において「生きるための知恵」だったので、「文章を書くのが好きで、得意だったのだ」と気付いたのは、ここ数カ月の事です。

実験的な詩ができた訳


 最近自分のnoteの公開記事のラインナップを見ていると、「詩が増えた」ということに気付いていました。

 私は確か「エッセイが書きたいのでは?こころの因数分解が書きたいのでは?」と困惑気味です。

 自分が「こころの因数分解」や「日常のスベッたコロンだ」を書こうとして取ったメモがありました。

 途中まで書こうとするのですが、結論がさっさと出てしまって、記事が終わってしまいます。ものの15行ぐらいで決着がついてしまう。しかも、「こころの因数分解をしていない」記事になってしまいました。

 そういう記事は少し寝かせておいて、又何かの記事と一緒にして一まとめの気付きにするのも良いかなと思うのですが、メモの状態でそのままになっていっている記事もたくさんできてしまったのです。

 それで、そのメモの中のいくつかをひとつの記事の中にポンポンと入れて、何か書いてみようとキーボードを打っていったら、そこに一つの思いができているのに気付いたのです。

 でも書き終わってみるとそれは、「思い」であって、意味も無ければ結論もない。これでいいのだろうか?

 そうして私は「実験的に」この詩を「詩なのか?」と思いながら公開しました。

 全く読まれないことも覚悟しました。

 しかし、蓋を開けてみると「中心に据えていたその日公開の別記事」よりも読まれている結果になりました。

 しかもそれに「スキ」を付けてくれている方がいる。

 「思い」を読み取ってくださったその方の中にこの詩に対する何かがあったのかと思うと不思議な気持ちになりました。

エッセイも詩も書くということに変わりはない


 エッセイを書くことも詩を書くことも私にとって頭の中身を出すということで、人生の中において、差はないので構いません。今はきっとそんな気分なのでしょう。そう自分を納得させています。

 ただ、「エッセイ(こころの因数分解をエッセイというのならばの話)を書きたいのになぁ」こんな時はそう思います。

 子供の頃のピアノに似ていました。やっている曲がやらなければならないほどに次の曲が気になって練習してしまう。そういう気の散りやすい子でした。

 子供の頃の癖というのは大人になってもそのままなのかもしれません。

色んな種類の文章を書いていきたい


 書くということの幅を持つのは良い事です。

 私はカタツムリの記事を書くのが好きです。

 楽しいから、「カタツムリのまるさん」についてレポートした記事を公開したら、とてもよく読んでくださっているようで、まるさんの記事が楽しいのかなという気持ちがします。

 私は文房具の記事を書くのが好きです。

 本当に文房具の好きな方からしたら際限なく買ってしまう100均ハンコだったりと、私のは毛色の変わった「好き」だと思うのです。

 それを、おもしろいと読んでくださる方がいる。それも書いてみて分かったことでした。

 きっと私の事なので、実験的に書いてみたい項目が出てくるかもしれません。その時には、臆せず書いていきたいと思います。

 意外なところに皆さんの「読みたい」があります。とてもうれしいです。ありがとうございます。そして書く方は、楽しんで書いているので今後も書けるはずという気持ちがあります。

私は書くことが好きで良かった。
私は書いていて満たされる人で良かった。
自分が自分であれて良かった。

 そう思うのです。


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