visual diary 📱📝 20250923









23 September 2025
国立新美術館で『時代のプリズム:日本で生まれた美術表現 1989-2010』展を観ました。
1989年は平成元年。2010年は平成22年。
バブル期のピーク時〜リーマン・ショックの少し後までの22年間。その頃の現代美術作品について11のキーワードを手がかりに多角的に辿る展覧会でした。
図録の帯に書かれている「歴史になる前に再考せよ!」という言葉が、鑑賞後、問いとしてじわりとくる展覧会でもありました。
自分の中でも、この時代がまだ〝過去〟になりきっていないので、何か自分も当事者であるような感覚を意識させられました。
*
最も印象的だった作品は《人々の声 東京》(2007年)。
フィオナ・タンが東京で集めたスナップ写真をもとに制作した作品です。
そのスナップ写真は、フィオナ・タンとは面識のない一般の人たちが撮ったもの。
旅行に行ったときの駅での写真、小さな子どものはしゃぐ様子、家族団欒のひととき、就職?の記念撮影などなど。
家族のアルバムの中にあれば、そのご家庭のだけの思い出にすぎないものばかり。
それらを、フィオナ・タンはお揃いの木製の額に収めて、美術館の壁にずらりと並べてみせることで、
プライベートなものということから切り離して、誰もが眺めることのできる〝景色〟へ、私的な記録を公に共有する〝時間の断片〟へと変換。
1枚1枚をよく観ると、「あー 国鉄の頃の電車🚆ってこういう感じだった」とか「そうそう。父母会のとき、🧑🏻お母さん方ってこういうファッションしてたな」とか、少し前の生活文化というか、その時代ならではの特色が思い起こされます。
と同時に、写真の中の私的な物語が自分の思い出とも重なって、知らない人が撮った写真だけど、「あ、これ、 実家にも🎎あった!」とか「仕事はじめの日はお振袖着たなぁ🎍👘」などなど、懐かしさとか 親しみの共感や 自分なりのいろいろな記憶がよみがえってきます。
観ているうちにだんだん、ちょっと前の 一般の人々の〝記録〟ということを超えて、写真と鑑賞者との間に、なにか新しい関係を結ばせようとしていることが解ってきます。
そこに、フィオナ・タンの眼差しを感じました。
*
壁に架けられた写真の集積が、時代や場所を越えて、個人の思い出から普遍的な響きへと 変わる。
《人々の声 東京》を通して、その響きを聴く。
この体験こそが 作品の魅力と感じました。
私のカメラロールに入っている写真も、いつか、未来の誰かにとっての《人々の声 東京》のような響きになるのかもー😃📷
#時代のプリズム
フィオナ・タン《人々の声 東京》(2007年)
川俣正《トロントプロジェクト1989/コロニアル・タヴァーン・パーク|1991》
米田知子《Japanese Houseより》(2010年)
奈良美智《Dead Flower》(1994年)
安齊重男《ヨーゼフ・ボイス、学生との対話集会、東京藝術大学、1984年6月2日》
#art #photographicart #exhibition #tokyo
